真・の・ブログ

日常的な事、ちょっと考えさせられるような事、まじめな事、不真面目な事、料理の事自転車の事等々等々、音楽の事以外の事を徒然と書き綴っていくつもりです。 が、どうなるかはわかりません。

日記(42)玄米〜食べること〜トリオ〜電車を乗り間違えた

寝床から起きる気がせず、昼頃まで布団の中にいた。
寝床から這い出たものの、何もする気がしなかったが、玄米を炊いてご飯を食べた。
43才になってから、白米を炊いたことがない。何故白米を炊かずに玄米を炊くのか考えてみた。
玄米が食べたいからではない。
白米を炊く方がめんどくさいからだ。白米を精米し、といで、水に浸し、火加減を調節し、そういう作業がめんどくさい。
玄米は洗って圧力鍋で炊くだけ。時間が来たら火から下ろして圧力が下がるまで蒸らすだけ。
簡単きわまりない。
ただ、食べるのがめんどくさい。玄米はちゃんと噛まないと翌日の大便は玄米になるからだ。
玄米は体力がないと食べられない。そういう意味では体力は出てきたのかもしれない。
ぬか漬けを、食べる分だけ切り取り、ぬかどこへ戻す。このような食べ方を思いついたのは長年ぬか漬けを作っているが最近の話だ。高菜の浸かりが悪い。やはり鮮度が良すぎて、多少干してからの方が漬けやすかったのだろう。Y夫婦にプレゼントしてやろうと思っていたがやめよう。出来損ないのものをプレゼントするには僕の料理人としての矜持が許さない。

ところで、僕は、食べる、という言葉が大好きである。食べる、食べた、食べない?食べようよ、などの言葉が大好きである。
また、共に食事をする行為が大好きである。というより、ものすごく重要な行為であると考えている。一緒にご飯を食べることは、僕にとって、その人とリハーサルをするより、100通のメールをやり取りするより、キスすることより、酒を酌み交わすことよりも、何よりも重要なことであり、愛おしい行為であり、コミュニケーションなのです。
一緒にご飯を食べてくれる人を時々探す。僕は息子と何よりも共に食事をとりたいと思っている。
僕にとって食はおろそかならざることであり、しかしながら最もおろそかにしがちなことであります。僕にとって独りで食べること程つまらないことはない。

今日は三鷹のウナマスでトリオのライブだった。僕のライブにしては客が入っていた。
余り客が入ると調子が狂って演奏が良くなくなるのだが、そこまで入っていた訳ではなく、ちょうど良い客の入りであった。
トリオは調子よくなってきたと思う。ようやく芳垣さんの音が少しだけ「耳」に入るようなってきた。僕にとってドラマーを「聞ける」ようになるまでには時間がかかる。そうなってくるとトリオは飛躍的に良くなってくると思うのだ。勿論、聞けるようになってきた、の意味は、文字通りのその意味ではない。一応20年プロとしてやってきた、僕の言う所の「耳」に入るということである。

お客には、いつものKさんの他に、珍しくUさんや、弟が来ていた。
最終セットにはドラマーのO君も観に来てくれた。

武蔵野線に乗って帰ろうと思い、国分寺で中央特快に乗り換えたら、西国分寺を通り越し、立川まで行ってしまった。精神的に応えるこのドジをやらかした。
1時間以上帰る時間が遅くなる。こんなときでも独りで住んでいることは応えるのだ。
ささやかなやなことがあっても、帰ると幸せな家庭がある。それならば、帰るまで少し時間が延びたとしても我慢出来たかもしれない。いや、そういうものが失われているからこそ、今ほんのささやかなことが応えるようになっているのだろうと思う。

明日は雪だそうだ。とても嬉しい。心の冷たさとを強く感じずに済む。



関連記事
スポンサーサイト
  1. 2015/04/08(水) 02:01:18|
  2. あの朝からの記録
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<日記(43)真冬のような一日 | ホーム | 日記(40.41)ピアノのショールームのオープニングパーティー~日々雑感、いや常に日々雑感。>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://makoppo081.blog52.fc2.com/tb.php/1238-aa2fd558
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)