真・の・ブログ

日常的な事、ちょっと考えさせられるような事、まじめな事、不真面目な事、料理の事自転車の事等々等々、音楽の事以外の事を徒然と書き綴っていくつもりです。 が、どうなるかはわかりません。

中村洋一作曲 組曲東海道五十三次 発売!!!

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僕の親父の作曲した組曲、東海道五十三次のCDが完成した。
父親は邦楽の演奏家であり作曲家なのです。
親父が、某俺の大嫌いな放送局の委嘱を受け、作り始めたこの作品は、足掛け40年もの歳月をかけて完成させられた。
東海道五十三次の安藤広重の版画を見た印象を、各宿場ごとの55曲にまとめた組曲。
親父の曲の中には必ず一つどこか変な音がある。
意図的に前後関係とずれた音であるとか、重要な音が半音でぶつかっていたりとか。
まるで助川太郎の、すっごい変な即興のパッセージのようなフレーズが頻出するのだ。
まるで普通にはいかない。
親父と話した数少ない音楽に関する会話の中で、今だ覚えている事の一つに、作曲をするときに、一曲に必ず一つ、演奏者がここを弾きたい、と思うような場所を作るのだそうだ。
その変な音が、親父の言うところの演奏者が弾きたい音、なのかどうかは解らないが。


親父が大学時代演劇に狂っていた弟が、学校を辞めて演劇の道へ進むのではないか?というようなことを母が案じていたときに、父は大丈夫だといったそうな。
旭(弟)は真と違い、芸術に対する狂気じみた執着がない。一時演劇にかぶれることはあっても、それで道を踏み外す?ことはない、と。
事実、弟は今では一流企業のサラリーマンとして、僕に言わせれば、立派に道を踏み外している。
僕は、父親の、芸術に対する狂気じみた執着、に対して畏怖の念を持つ。
僕は、芸術家になれるひとは、才能がある人、という訳でないと思っている。そうではなく、石の上に10年座り続けることの出来る人間のみが、芸の道を貫徹出来るのだと思う。
自分自身の短い芸術生活を振り返ってみても、幾多の困難があった。そして、これからも困難はある。どころか、歳を重ねるにつれ、立ちはだかる困難はより大きなものとなっていく。
親父にしても、それは同じ事だろう。そのなかで、40年間一つの事に執着し切った愚直さに対して、ぼくは畏怖の念を持つ。
実は親父と音楽の話等殆どしたことはない。僕の音楽家としての要素として、親父からの直接的な影響は皆無だといっていい。
だが、母は僕と親父が驚く程同じことを言うという。
親父がまだ若いころ、演歌等の売れる曲を書いてはどうか?という話も多々あったらしい。
だが、それらを断り、我が道を行った。頼むから、演歌等を書いてお金持ちになっていて欲しかったというのが、僕の正直な気持ちだが。
親父は、ライナーの中で、東海道を旅する当時の旅人の楽しさに想いを馳せたと書いてある。
僕は、その東海道を自転車で旅したことがある。感覚的に似た部分がどこかあるのだろう。

演奏家は、尺八の田辺頌山、藤原道山はじめ、当代きっての凄腕ばかりとあり、とにかく素晴らしい出来になっています。
全曲尺八と箏と三弦と十七弦の四重奏によるもので、全曲調弦の基本は変えずに作曲されている。作曲上は制約が大きくなるが、演奏する側は箏や三味線の調子を楽曲ごとに大幅に変化させずに演奏することが出来るよう工夫されているのである。

西洋音楽しか聞いた事がないひとたちにとっては、邦楽器の音色の美しさに驚く事だと思います。特に十七弦という大きな箏の響きに僕は心を惹かれるものがあります。
4枚組で、8000円と、少々値は張ります。特に貧乏なミュージシャンが購入して聞くには厳しいものがあると思います。
が、それだけの価値のある作品であると思います。

もしご興味がある方がおられましたら、僕に連絡ください。
買って損はないアルバムです。

東海道五十三次

作曲 
中村洋一

演奏
藤原道山(尺八)、岡村慎太郎(三弦)、池上眞吾(箏)、帯名久仁子(十七弦)
田辺頌山(尺八)、平野裕子(三弦)、木田敦子(箏)、丸田美紀(十七弦)

発売元:邦楽ジャーナル http://hj-how.com/SHOP/2559.html
にはたづみレコード 











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