真・の・ブログ

日常的な事、ちょっと考えさせられるような事、まじめな事、不真面目な事、料理の事自転車の事等々等々、音楽の事以外の事を徒然と書き綴っていくつもりです。 が、どうなるかはわかりません。

2011総括

今年一年を総括して。


今年は本当に色々なことがありました。
正月空けには木原鮎子と三輪知可とのツアー。京都から山形まで行って東京へ戻るツアー。
鮎の実家の廃校の小学校。父さんが一人で住む山のなかの集落。
暖房を入れても部屋のなかが0度の家でみんなで雑魚寝したね。
楽しい思い出となりました。

2月には太田朱美とツアーしたね。大阪集合で、何故かやはり千紘が帯同し、呉の実家に泊めてもらった。
福山のみんなにも会えたけど、今度は泊まりたいな。
晴天率の高い瀬戸内が吹雪で、山を越えた出雲は晴れてたね。
ホテルの窓から朱美と千紘と三人で雪の上に馬鹿なことを書いてるのを見て楽しんだ。
いい思い出になった。

そんなことがあったと思ったら東日本大震災が起こった。
親しい友人とも連絡が取れなくなり、まず大丈夫だろうとは思っていたけど、やはり心配だった。
僕自身の運命のチャンネルも大きく変わり、何をやっても何を思っても思い通りに行かなくなった。
鬱々とした日々を過ごした。
音楽しか出来ない僕は、それが出来なくなったことによる無力感に苛まれていた。後に様々な人の話を聞くと、皆、無力感に苛まれていたそうだ。

4月に赤坂B♭でチャリティーコンサートをした。メインゲストをCHAKAで、様々なミュージシャンが集まってくれた。
あの時から少しだけ僕は持ち上がれたと思う。このチャリティーで、初めて程嶋日奈子と知りあった。あの時、程嶋とこれほど僕は共同作業をすることになるとは思いもよらなかった。

5月、東北ツアー。いわきアリオスのコンサートはそうそうに中止となっていたが、仙台の次郎、秋田の純平さんの所は開催が決定していた。
仙台の福住さんは、僕が来ることをむしろ楽しみにしている、と次郎が僕に言った。その言葉は僕をとても救ってくれた。
いわきはキャンセルになったのだが、千尋から、シャンティーで無料コンサートをやってくれ、との依頼が。
勿論、喜んでやった。シャンティーのマスターの顔を見れたことも嬉しかった。
純平さんの、緊急つまみ警報という、ジョークは、意外にも被災地で受けた。
被災地を「見た」ことにより、ぼくは逆に勇気を得た。というか、誰かが「切り取った」被災地の模様は、むしろ僕の中の恐怖と不安を増幅させていた。
実際に見る。見ることの重要さを僕は改めて知った。
沖縄へもツアーした。まだミーバイを知る前の沖縄ツアー。

6月、JPホームの高松と共同で、アートスペースを作ることが決まった。
事の発端は、高松ビルの一階に空きテナントがある、そこを無償で貸してくれるとの事。僕はどこかで新しく芸術活動の可能な場所を創作したいと常日頃思っていた。
高松ビルの本社の空きテナント、そのまま居抜きでギャラリーとして使えるクオリティーのものだった。
ここで何が出来るか、僕は想いを蓄えていくことにした。僕は考えない。想いを蓄え、不意に言葉が落ちてくるのを待つ。霊的な直感が落ちてくるのを待つのだ。

7月、程嶋日奈子から唐突な連絡が。被災地チャリティーツアー行きませんか??
彼女はふんばろう東日本という被災地支援団体の幹部で、そこの活動の一環として被災地に音楽を届ける活動もしているのだ。
オファーを受け、被災地を巡るマイクロバスによる旅に出た。
南三陸町の避難所での演奏。ホテルでのチャリティーコンサート、気仙沼での演奏、釜石での教会での演奏。
僕の短くはない演奏キャリアのなかで、自分たちの音をこれほどどん欲に吸収してもらった事はかつて無いかもしれない、と思った。
得難い経験をした、アーティストとしても。
その後、数度にわたり被災地ツアーをした。
7月末からツアーに出た。一ヶ月を超える長いツアー。

8月は、ツアーで色々な所を巡った。香川、岐阜、大阪、呉、日田、宮崎、大阪、福井、金沢。
ほぼ西日本一周の長いツアーだった。
金沢では中津江でパーになったミュージックキャンプを開催した。一切の公的機関の援助無しでのMC。とても楽しい思い出となった。
帰り、僕は、長年蓄えていた想い、新川学びの森でのMC構想に対する霊的な直感がおりてきた事を感じた。
高速を途中下車し、魚津の学びの森へ向かう。
水島さんと柏原さんに会う。
数年前に、ヒミングが終わった後、ここでもMCがしたい。と訪ねた。そのときにお互いに焦らずに作っていこうと話した。
数年間かけて想い続けた構想が、腑に落ちた瞬間だった。
来年は、魚津でのMCを実現させたい。

9月は疲れ果てたひと月だった。space潦の準備等に追われた一ヶ月。
何が出来るか?カフェ営業や、ビストロ営業も検討した。色んなことを考えた。想いを膨らませつつも、何が出来るか考え続けた。
僕は、JPホームの一階のあの場所をアートスペースとすることにした。非営利の。
そこには美術品や商品としてのピアノを置き、芸術家達が創作活動をする。
その創作物は、JPのハイソサエティーな顧客の目に触れる。コンサートもJPのサービスの一環として使われる。
アーティストたちはそこを自由な表現創作の場として使う。
にはたづみの理念、人々がプレゼントを与えあう社会構造に対しての一提案、そのモデルを、space潦に作った。
出展アーティストを見つける作業もした。
そこでの新しいアーティストとの出会いも楽しかった。
特に、緒方敏明との出会いは大きかった。いいアーティストは、物の本質を見抜く目に長けている。潦を一目見、僕のにはたづみに対する理念を一言聞いただけで、その本質を見抜いて行動に移してくれた。
僕は、緒方さんというような素晴らしいアーティストが描いている未来に対する想い、を体現出来るような仕組みを、にはたづみプロジェクトで作っていけたら、と思っている。

10月、space潦のこけら落とし公演。2日間盛況に終わった。
我々の理念の体現の始まり。
月末には木原鮎子のレコーディング。にはたづみレーベル初のアーティスト。
僕は自分のコンサート等で他人からプレゼントを得る。そのかわり、sp潦とかにはたづみレーベルで他のアーティストにプレゼントを与える。
レコーディングも初レコーディングとは思えない程のいいクオリティで仕上がった。

11月。再び東北と沖縄ツアー。
いわき、山形、秋田、仙台、沖縄とツアー。
その間に初のコンサート、大阪で露玉もゆらを開催した。
いわきは今度こそのアリオスでのコンサート。千尋が主催して頑張ってくれた。いいコンサートだったと思う。千尋のねーさんは、「椅子からずり落ちるかと思った」程のコンサートだったらしい。
秋田では有希ちゃんが色々とやってくれた。有希ちゃんとの出会いも今年の大きな出会いだった。
仙台では次郎と初めての共演。整頓された美しい音楽を共に作った。
リハのとき僕がクラシックを演奏していたのだけど、そのときの音量がでかすぎて、アンプのボリュームをどんなに上げても自分の音が聞き取れなくて焦ったらしい。本番はばっちりだったけど。
露玉もゆらは、大盛況だったと思う。僕はこれから様々な活動を続けていくだろう。色んな企画の立ち上げや、他のジャンルのアーティストとのコラボレーションや、仕組みづくり等。しかし、一生一ピアニストでいたい、という想いを必ずや毎年体現したい。
コンサート実行委員に感謝。
そういった意味では、今年は東京でコンサートが開催出来なかった事が悔やまれる。
沖縄。嗚呼ミーバイ、ミーバイミーバイ、嗚呼ミーバイ。以上。
ミーバイ食べたい~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~。

11/28に離婚した。11/29が結婚記念日なので、丸六年きっちり。
しかし後ろ半分の3年は、別居して過ごしていたので、実質結婚生活は3年。
妻が出て行ったのも11月末。この時期の澄んだ空気と透明な景色は、僕にとってとても苦しい思い出となっていた。しかし離婚と同時に、この時期の美しい空気と景色を楽しめるようになった。そして、何よりも、和音と会う事が容易くなった。

12月はのんびりと過ごしている。
大きな仕事は11月のツアーで終わり。ミックスダウン等したけどそれ位。
様々な人の公演を見に行ったり、和音と遊んだり、宴会をしたりでのんびりと英気を養っている。来年に向けて。

ほんまに色んなことがあった一年だった。
沢山の得難い仲間を得た。
こうして見ると、一年前よりも確実に僕のプロジェクトや理念は体現へ向けて進んでいる。

様々な人に支えられて進んできた一年だった。
本当に感謝に堪えない。
今年のテーマを纏めると、ありがとう、と言える一年だった。
ありがとう。







関連記事
スポンサーサイト
  1. 2011/12/29(木) 16:14:04|
  2. 徒然と
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<銀座 space潦 中村真2days公演のお知らせ | ホーム | 白菜のパスタスープ仕立て>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://makoppo081.blog52.fc2.com/tb.php/1008-05b204ff
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)