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真・の・ブログ

日常的な事、ちょっと考えさせられるような事、まじめな事、不真面目な事、料理の事自転車の事等々等々、音楽の事以外の事を徒然と書き綴っていくつもりです。 が、どうなるかはわかりません。

キャンプ10年目を終えた、代表としての僕の言葉ではなく、完全なる個人的な気持ちの羅列

10年目のキャンプを終えました。
なんというか、言葉がなかなかうまく出てこない。
うまく書くことが出来そうにない。
10年、まあそりゃ色々なことがありました。振り返ってみたら、よく継続出来たな、ということの連続でした。
中津江のとん挫、金沢でのギリギリでの開催、魚津での見切り発車、本当にこれが継続できたことは奇跡に近いなと、振り返ればそう見える。だけど、やってるときは、何とかやってきたんだ。
ふと気づけば、実行委員会は充実して機能して、講師陣にも僕の理念は理解され、また参加者も順調に増え、資金繰りも何とかなっている。
主体的な行動を、という意味合いにおいても、僕の知らないところでいろんな動きが自然発生的に生まれている。
僕は中津江の初年度にキャンプ5年の計を立てた。種をまき、芽を出し、茂り、実り、収穫する。
現実には、出た目は摘み取られ、一から、いやマイナスからのリスタートを切った。
そして10年の節目を迎え、僕は収穫できたのか?といわれたらイエスとは答えられない。
では収穫はなかったのか?それもイエスとは答えられない。

僕は、このキャンプを今年度でやめる選択肢も考えていた。だけど、10年を終え、やめられない、というよりも、このキャンプは、すでに誰かに求められる何か?というものに成長していると思った。
僕の手の届かないところで、勝手に動き始めているようだ。
このキャンプで得た感動を、僕に直接メッセージしてくれる参加者も数多くいる。
感動が、伝播していることを実感する。

10周年のキャンプに、このミュージックキャンプを作った中津江公民館長の大沢さんが突然来た。
キャンプを作り、そして中津江MCをぶっ潰した本人が突然現れた。
色んな思い出がよみがえり、そして、色んな苦労を思い出し、歴史をずんと感じた。
賢治が泣いた。あの上野賢治が泣いた。きっと同じ思いだったに違いない。
大沢さんは謝りに来たんだ、といった。僕は謝られることなど何一つない、と答えた。
大沢さんに対して恨みに思ったことなどただの一度もない。3年目をぽしゃらせたことも恨んだことはない。
むしろ、感謝している。あのまま3年、4年と、中津江でやっていたら、キャンプは絶対に継続していなかったと思う。
大沢さんが手放し、それでも賢治と僕は続けた。そして、僕の右腕であった川本も、にはたづみを離れ、だから今の素晴らしい実行委員が存在する。
僕は三年目を放棄した大沢さんに一つだけ言った言葉がある。大沢さんが作ったものは、実はすごいものだったんだよ。いつかそのことを思い知ることがあるよ。僕はそういった。
その言葉を大沢さんにもう一度だけ言いたい。

運営委員長の岸本はぼくに、こんなに楽しいキャンプは初めてでしたと言ってくれた。
岸本は、はっきり言えばぼくに苦労を押し付けられたのだ。その岸本にそういってもらえたことが、ぼくは何よりもうれしかった。

僕自身は久しぶりに心身ともに健康にキャンプに臨むことが出来た。楽なのかな?と思っていたがとんでもなかった。元気だからこそ、行動できる。故に疲れ果てる。この僕が酒量を最終的にセーブした。体力の衰えもあるだろうが、それだけではないと思う。いろんな事柄に対してのアンテナも変わってきてると思う。だから、見えなかった部分が見えるようになっている。故にそれに反応することにより疲労はどんどんと例年に比べて増えていったような気がした。

じゅんじゅんはこういった。普段のダンスの現場では、作品を作るための指示やディスカッションはあれど、本質的な芸術についての議論をこれほどに深くできる場所というものはダンス界には存在しない、と。
それはそうだろう。音楽の現場においてもこんな話をすることは全くない。酔っぱらって語ることと、これとは大きく異なる。

ジュンジュンはこうも言った。この10年で、最も大きな学びを得たのはあなたですよ、と。
僕は全くその通りだと思う。

キャンプの最終日コンサートのトリを僕が務めた。
僕は、トリオで演奏した。大村ではなく、10年間一日も欠かさずキャンプに参加した吉川元と演奏した。
その理由は、ただ元とともに歩んだ10年を懐かしむためではない。感謝でもない。情でもない。
元が僕のトリオで演奏するに足る実力があるから、だけでもない。
未来へ繋ぐ何か、に対する期待感と覚悟のためであった、かもしれない。
僕にとって、演奏は、日常です。ですが、あの日のあのトリオの演奏は、日常ではなかったかもしれない。
あの日にだけしか演奏できない、何か、であったと思う。

一口でこの10年を語る言葉があるとするならば、それは感謝、という言葉に集約するだろう。
大沢さんをはじめ、上野賢治、本多千紘等の初期の運営、発起人の二人のシンガー、大輔や光田さん、いっていけばきりがない。山田うんさんがいなければ、僕はダンスに対して興味を今ほどに持つことはなかったかもしれない。川本悠自なしに中期のキャンプは成り立たなかった。すべてのアートディレクションから事務まであらゆる相談を彼にした。学びの森のスタッフも、適度な距離感で我々のプロジェクトを見守り、そして可能な限りのサポートをしてくれている。はっきり言ってお荷物団体だろう。だけどそれを山田さんは、庇い、ケアし続けてくれた。
協賛してくれた方々は言うに及ばず、まったくの手弁当でともにキャンプを作ってくれている運営諸氏、そして歴代の講師の皆さん。中でも大村は川本に言っていたようなアートディレクションの部分に対しても、適切なアドバイスやサジェストをくれる。
そして何よりも参加してくれたみんなが、感動を伝播していってくれること。
キャンプという潦(にはたづみ)に集ったみんなは、キャンプからあふれ出て新たなる潦を形成する。そしてまたそこからあふれ出ていく。
にはたづみの基本的な理念は、感動の伝播にある。

色々あったけど、10年やってきてよかった。

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  1. 2018/09/26(水) 23:46:08|
  2. にはたづみプロジェクト
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10月スケジュール

10/1 金 昼 新宿ピットイン 既成概念をぶっ潰す会
10/7 日 昼 横浜ジャズプロムナード 中村 真トリオ、中村新太郎b、大村亘ds
10/15 月 甲南山手 gallery zing 中村 真、木村紘ds デュオ
10/16 火 洲本 笑む 中村 真ソロ
10/18 木 岡山 インターリュード 遠藤マリ vo、中村 真 デュオという
10/20 土 金沢 バー ドルフィン 吉本恵津子vo、中村 真デュオ
10/24 水 リディアン izaura vo 中村 真デュオ
10/25 木 南与野 ジャズマル 長島百合子vo、中村 真デュオ
10/26 金 上尾 プラスイレブン 中村 真、前原孝紀gt デュオ
  1. 2018/09/24(月) 14:57:16|
  2. ライブの事
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明日から10年目のキャンプが始まります。

いよいよ、明日から、ミュージックキャンプが始まります。
僕は、何らかの物事が成すにはおよそ10年という月日が必要だと思っています。
キャンプは、僕個人が大分の中津江村のホールでの合宿個人練習から始まった。
それに帯同した、いづみ、裕子、カモ、他何人かの九州のミュージシャンたちとともに練習し、共に学び、寝食を共にした。

11年前のある日、中津江村民ホールの大沢館長から、一年後、日田のパトリアホールを一日借りたから、と伝えられた。それに対して僕は中津江ホールでの短期間のレジデンスによる音楽創作と、ミュージックキャンプの同時開催に着意した。
伊藤大輔と光田臣を講師に迎えた。その人選からも、このキャンプは、僕自身の自転車のツアーからの流れであることがわかる。彼ら二人は、僕のソロピアノツアーに帯同した二人だったからだ。
旅の延長線上にあったキャンプ。
二年目にはそれは大きな広がりを見せた。伝説の中津江の二年目。今年それを知る参加者は講師である上野賢治と僕以外に二名。しかしあのキャンプに参加した者たちが再び集ったとき、必ずあのキャンプがもたらしたものについて話す。

キャンプは満帆に進むかと思いきや、3年目の中津江はなかった。
いきなりのとん挫。終わるかに思えたキャンプは、上野賢治により救済された。
彼は自宅であった蛍庵でコンサートを開催し、合宿を湯涌創作の森で行ってくれた。
10年のキャンプにおいての唯一の赤字開催。それでも火は消えなかった。

その後の3年は、賢治が金沢芸術村の音楽監督に就任したことにより、経済的にも環境的にも恵まれた開催となった。恵まれたといっても、場所の使用料が無料であった、という程度のものですが、でもそれは我々にとってとても大きなことだった。少なくとも、赤字は出ない(笑)。
その間、様々な講師を招聘した。今思えば、その三年は、仕込みの三年間だったと思う。
仕込んできたものはしかし、少しずつ熟成を生んでいたと思う。

賢治の任期満了をもって、場所を魚津学びの森に移すこととなった。
実は3年目の中津江がとん挫したときに、僕は学びの森での開催を検討していた。だが、それは当時の僕にとって大きすぎる課題だった。
しかし6年の月日を経たキャンプは、それを何とか開催することが出来るぐらいには成長していた。
それでも見切り発車だった。
この三年間は大変な三年でもあった。長年の右腕であったスタッフの川本がにはたづみを降りた。それは大変なことではあったが、結果として現在の実行委員会をを得ることが出来た。

少しずつ少しずつ、バトンは回っていく。
僕の思うようなペースではなく、思うような結論にも至らず、しかし、自然にバトンは回っていく。

そんな10年だったように思う。


沢山の人に感謝の言葉を述べたいと思う。上野賢治はじめ、多くのアーティストの参加なしに成り立たなかった。
スタッフの文字通りの手弁当の協力なしに成り立たなかった。
学びの森、湯涌創作の森、蛍庵、場所とそこにいる人の協力なしに成り立たなかった。
数多くの個人協賛者や企業協賛者の力なしに成り立たなかった。
上げていけばきりがない。
一つだけ言えるのは、僕は何もしてない。始めただけ。その後、このキャンプの理念に賛同する者たちが、自主的、主体的に行動してキャンプを動かしてきてくれた。

僕はキャンプ5年の計を立てていた。
種をまき、芽が出、枝葉を伸ばし、実り、収穫する。
実際にはそんなスムーズには行かなかった。自分の人生を振り返ってみても、常に事を成す前にとん挫しいてる。僕は、しかしそれをとん挫とは思わない。
永遠に完成することのない、成長なのだと考えている。
キャンプもそうであった。
10年間、終わらなかった。僕には実は、思うようなペースなどなかったし、思い描く結論などなかった。あるのは、漠然としたイメージと美意識だけだった。だから、終わらずに来れたんだ。

そのことが僕にとって、僕たちにとって、そしてそれに触れる者たちにとっての、直接間接的な、財産となるのではないだろうか?

そう思ってます。
10年目を迎えるにあたり、今まで通り、何もしないで臨むつもりです。


  1. 2018/09/14(金) 13:31:05|
  2. にはたづみプロジェクト
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The coveという映画を見ました。

先日、ザ・コーブという映画を見ました。
和歌山の大地町の捕鯨(イルカ)漁を、批判する映画でした。

捕鯨を巡る問題は色々あると思います。僕は日本人ですから、日本側の情報しか得ることが出来ません。ゆえに、完全にニュートラルに物事をとらえることはできません。が、思考を凝らすことにより、真実の断片、程度のところには到達できると思っています。

兎も角、この映画を見て思ったことは、西洋人的確信犯がとる行動の恐ろしさ、を感じました。
いい意味でも悪い意味でも、西洋人は、完成された価値観を持っていると思います。
僕は音楽家ですから、音楽や芸術を通じてそれを感じています。おそらくは政治や経済の世界においてもその価値観は貫徹されているように思います。他の価値観が入り込む余地がない価値観の持ち方。

日本人が捕鯨に関して感じている感性に対する忖度も、また捕鯨というものが持っている悪に対しての客観的論理的説明も一切ない。
自分たちが確信している正義に対して、それを暴くなり、批判することに対して、暴力をもってすることもいとわない感性。むろんこの映画の主人公となる男の人は、グリンピースからも出禁になるほどのラディカリストではありますから、西洋人をひとくくりに考えるのは愚行というものですが、過去、西洋人が、自らが確信してきた正義を振りかざすことによって、一体何百万人、何千万の非西洋人が、殺戮されてきたのだろうか?という点に僕は、考えを寄せざるを得ない映画でした。


  1. 2018/09/05(水) 14:41:37|
  2. 徒然と
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