真・の・ブログ

日常的な事、ちょっと考えさせられるような事、まじめな事、不真面目な事、料理の事自転車の事等々等々、音楽の事以外の事を徒然と書き綴っていくつもりです。 が、どうなるかはわかりません。

ブラジルに伝わる小さな伝説のお話

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「このシャツのこの生き物の話をして。」
「いいよ。この生き物は、ポピーというんだ。ポピーの切ないお話をしてあげるね。」

僕は語り始めた。

このカナリアイエローのTシャツ。ご存知のようにTシャツには一つ一つストーリーがあります。
この話はブラジルのアマゾンの上流の話です。アマゾンの一つの小さな伝説のお話。

アマゾンの上流の小さな村に、ひと組の若い夫婦がいました。彼らはアマゾンの河の恵みを糧として生きるつつましやかな夫婦でした。

ある年子宝に恵まれました。かわいらしい女の子で、ポピーと名付けました。
珠のように可愛がりました。そして4年の月日が経ちました。ポピーは少し言葉を話すようになりました。
ある日夫婦は、初めてポピーをアマゾンの河に連れて行きました。マゾンの河は深く厳しい。でも河のほとりに住む者として、いつかは経験しなければならない。アマゾン河の儀式。
河にポピーを入れました。ポピーは恐る恐る河の中に向かって進んでいきます。

その時でした!!河がまるで真っ二つに割れたかのごとく水面に渦が起こったかと思うと、6メートルはあろうかと思われる、大きな鰐が、ポピーを一瞬にしてのみ込んだのです。
「ポピー!!」夫婦は叫びました。鰐を捕まえようと必死になりました。しかし、鰐はポピーをその口の中の頬袋に収めたまま、悠然と泳ぎ去りました。
鰐に連れ去られたのです。
その日から夫婦は、アマゾンを捜索しました。行けども行けどもしかし、ポピーを連れ去った鰐を見つけることは出来ませんでした。

夫婦は悲しみにくれました。来る日も来る日も悲しみにくれました。
しかし、生活のためには働かざるをえませんでした。でも、働く気力もわかなくなりました。

それから10年ほど経ちました。夫婦はアマゾンの上流でとれた魚を、下流にある大きな町、ポラレスで売って、そこで買ってきた織物などを自分の村に持ち帰って売る、という生活をしていました。

ポラレスの市場は、様々な果物や織物がそろい、お香のにおいや爆竹の音、行きかうリクシャのエンジンの匂い、貧しい人もとてつもない金持ちもいる、雑多な町でした。

夫婦はポラレスの市場を行きかう人たちが、今日は面白い旅芸人が来ていて、今から広場で芸を見せるという話を聞きました。
その芸を見に行くことにしました。

広場には大きな鰐のはく製が吊るされていて、その横には、肌が鰐の色になってしまった小さな女の子がいました。
鰐に育てられて、鰐のようになってしまった子供を見せものにしているという芸でした。

夫婦は、その子供を見ました。「ポピー!!!」
なんとその子供は、10年前に鰐に連れ去られたポピーでした。
見た目はすっかり変わってしまいました。鰐に育てられ、鰐のようにふるまいますが、まぎれもなくポピーであることを、夫婦は確信しました。
その芸人に事の顛末を話し、ポピーを返してくれるようお願いしましたが、芸人は首を縦には振りませんでした。
その鰐の子供の見世物で、芸人は生計を立てていたからです。
夫婦は、たくさんのお金を、芸人に払うことを約束し、ポピーを連れて帰りました。

小さな村に連れて帰られたポピーは、いつまでも人間の言葉を話すことが出来ませんでした。
そして、ポピーは、夫婦の事を両親だと理解することも出来ませんでした。
だけど、夫婦は、深い愛情を持って、ポピーに接し続けました。
長い年月がたち、ポピーは片言の人間の言葉を話せるようになり、そして、両親の愛情を感じることが出来るようになりました。
幼少の頃を鰐と過ごしたことにより、人並みに生活が出来る、というようにはなりませんでしたが、でも、ポピーと夫婦は、幸せに、仲睦まじく、暮らしていったという事です。
でもポピーの見た目だけは、うろこがついて緑色になったその見た目だけは、一生変わることはありませんでした。



「この話は、ブラジルの人たちならば、誰でも知っている、ポピーと夫婦の話、という話なんだよ。」
「そうなんだ、かわいそうだね、でも幸せなんだろうね。」
「ポピーが鰐と暮らしているときはどんな暮らしだったのだろうね?」
「鰐は優しくしてくれたのかな?」
「きっと優しくしてくれたのだろうね。鰐もかわいそうだね」

Tシャツの森は、小さな村の森、左端の赤いものは、ポピーが死ぬまで遊び続けたという小さな毬です。


という、お手々絵本でした。

作:中村 真
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  1. 2017/07/29(土) 14:43:09|
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僕の未知のエナジー

今年上半期を終えました。

思えばこの半年間本当に色々なことがありました。
たくさんの、忙しい日々を過ごしました。トリオの大規模なツアーもありました。
僕は、たくさんの、悲しみを抱えつつ、たくさんの、悔しさを抱えつつ、たくさんの絶望を感じつつ、それらをこなしてきました。

ある人に、真さんはすごいよ、といわれました。真さんには未知のエナジーが備わっているのだね、と。

僕自身は、今思えば、苦しまなければならない苦しみの中に存在した訳ではない。
自分から不必要な苦しみの中に飛び込んでいってた、その事は今となってはよくわかります。

でも、自分自身があの途方もない苦しみの中ででも、少しずつ、音楽を進歩させ、仕事を進めていく、その精神力は未知なるエナジーだよ、と言われました。

僕は多くの人々の助けの中で生きてきました。
大村や、新太郎さんなどは最も身近で僕を見てきて、そして有形無形に限らず助けてくれました。
何よりも音楽で僕を支え続けてくれました。
プライベートな中でも本当にたくさんの人の助けを得て、人に迷惑をかけ続け、それで漸く立っていられる、いや立たせてもらっているだけの僕、に、何の精神力もあるものか、と僕は反論した。

今年は方位的にいえば僕は八法塞がりの年になります。方位除けはお願いしていって来てもらいお札はもらってきたものの、僕はやはり閉塞感を感じていた。
でもそんな中、インドに行き、ツアーを続け、沖縄にも行き、助川のレコーディングも企画し、そしてラプソディーに対して、自分が納得いくまで向き合い、自分の中の一つの殻を破ることが出来たと思う。その事は、僕が陥っていた八方塞がりを自ら打破したことになりはしないか?そう僕は感じています。どんなにどん底でも、どんなに人の助けを借りたとしても、僕は前に進んだ。前に進むことが出来た。その事を、その人は未知なるエナジーといったのだと思う。

この上半期を終え、僕は新たなる自分への旅に旅立つことになりそうです。
現実に、8月はニューヨークに演奏を兼ねて行ってきます。
何か新しい事が起こるに違いない。そして、9月にミュージックキャンプ。10月もまたトリオのツアーです。そして、11月には今回ニューヨークに行く目的の一つでもある山中一毅君と、僕のトリオとのツアーもあります。
僕にとって色々な大きな仕事がたくさんあります。
僕はそれらに全力で向かう事により、新たに自分を深化させていくのだろう。

未来に存在する、善悪美醜の事柄は、僕を喜びに顫わせ、そして苦痛のどん底にたたき落とし、そして、それでも又僕を前へ推し進めるのだろう。
それが僕の未知なるエナジーなのだろう。
その宿命は受け入れなければならないだろうな。





  1. 2017/07/28(金) 14:19:14|
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ラプソディーインブルーのコンサートを終えて。

ラプソディーインブルーの演奏が終わりました。
この仕事をただの仕事として捉えるのではなく、僕にとっての新たなる挑戦であるととらえ、取り組んできました。僕にとってはこのシンフォニーが、堺フィルであろうが、ウイーンフィルであろうが、同じ取り組みをしたと思います。そういった外的な要素は僕にとっては関係がない事です。
僕はこの作品に対して、どれだけ深化したところで即興を紡ぐことが出来るか?という事をテーマにしてきました。
表面で曲を解釈したり、適当にアレンジを施して、それに対してのアドリブソロをとる、という感覚ではなく、僕の中に、ガーシュインの、ラプソディーインブルーを、本当の意味で落とし込んで、それをお腹の中に抱え、自然に発生してくる音を紡ぐ。そうありたいと思い、この半年取り組んできました。
本番一週間前のオケとのリハの段階では、まだ僕は表層の中にいました。
ラプソディーインブルーは僕の左脳の中にいました。左脳コンピューターは、失速し、音楽を見失っていました。
一週間かけて、僕は少しずつ、蓄積したラプソディインブルーを、右脳へお引っ越しさせていきました。

前日のリハ、当日のゲネ、全ての時の僕の意識は変化していきました。
当日のゲネを終えた段階で、僕は完全に右脳的に、感覚としてラプソディーインブルーを捉えることが出来たと確信しました。

本番、カデンツが始まりました。
曲が進み、幾つめかのカデンツの時に、存在しているのは、僕と音楽だけである、との事に気付きました。満員の聴衆、オーケストラのメンバー、指揮者、存在していなかった。
存在しているのは、僕と僕の奏でる音楽だけだった。
深く、深く、自分の意識の中にダイビングしていった。そして、そこには、静かな、静かな自分の意識との対話しか存在しなかった。
いや、実はその事に気付いていなかった。
カデンツが終わりに近づくにつれ、深い意識のそこから浮上し来る、すると少しずつ、オーケストラが、井村君が、聴衆が意識されてきて、海面に浮かびあがる。井村が棒を振り、オーケストラが起動する。その時初めて、僕は、本当の意味での、深い意識の底に潜り、そこで自己との対話をしていたことに気付いた。
何も考えていない。音楽に対してのこざかしい気持ちも、ちょっとした虚栄心や、恐怖も、一切の音楽的でない、意識がそぎ取られた、深海へ潜っていたことに気付いた。音楽と、それに向き合う自分しか存在しない空間にいた。

オーケストラや曲、聴衆を無視していて、利己的に演奏していた、そんな風にとらえられる発言かもしれない。そうではない。そんな次元ではない、本当の意味で、自分を見れた。新しい自分の意識を開拓した。

作り出された音楽が、他人から見てどう見えたか、どう感じたか、どう評価されたか、その事も僕にとっては気にならないわけではない。だけど、この演奏に関して、僕は、誰が何と言おうと、自分が到達した境地の値打ちを自分で感じ取る。
演奏が酷評されたとしても、それは僕には関係がない事です。
自分が真剣に向き合ったこと、それに対しての、したたかな手ごたえを感じ取ることが出来た。
とてつもない財産を手にしたと思います。
音楽の完成度ではなく、僕は100%の満足を感じています。

僕は、真剣に音楽に向き合ってきて、本当によかったと思います。

こうやって自分に向き合える機会を与えてくれた、同級生の井村君、そしてそれを是としてくれた堺フィルの皆様、そして来てくれたたくさんのお客様たちに、感謝の気持ちでいっぱいです。

本当にありがとうございました。


  1. 2017/07/24(月) 20:57:22|
  2. 徒然と
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物事に対するチャレンジ

ガーシュインのラプソディーインブルーのオファーが来たときに、とてもうれしいと思った反面、大変だろうなと思った。
全てのカデンツを即興でやること、軽くアレンジを施す、という程度ならだれでもやっていることだろうが、全カデンツを完全即興で、ソロでやるのは、世界でもそう沢山の人がやっていることではないだろう。
頂いた仕事を、仕事としてこなすだけであれば、何てことないこと。
だが僕にとってこの、ラプソディーインブルーに取り組むという作業は、また新たな自分の越えなければならない、与えられたオーバーハングとして捉えてた。


思えば僕は人生の選択肢において、必ずリスクのある方向を選んできたような気がする。
ほとんど誰もやったことのない冒険を選んで生きてきたような気がする。
自転車でのツアーなどやる前は誰もが馬鹿なのではないか?そう思っただろう。
新太郎さんとのほぼ成功率3割のトリオを、お客さんにほぼ見はなされながら、店にももうちょっとわかりやすい音楽をやってください、と言われながらも、ずっとひたすら即興にこだわり続けてきたトリオも今ではそれなりのポピュラリティーすらあるだろう。
ソロも、ひたすらリスクのあるやり方を続けてきた。スタンダードをひたすら即興的に取り組んだ時期もある。完全即興でのコンサートを続けてきた。それも都内ならばわかるが、地方都市での完全即興はリスキーだった。本当の意味で自分を解放できていなければ、絶対に伝わらない。
それらを乗り越えた後は、スタンダードをただシンプルに歌い上げる、という、その時の僕にとって最も難しいやり方でのソロにチャレンジしてみた。

音楽というワールドを冒険すること。それは相対的な意味合いにおける冒険ではなく、僕自身にとっての冒険。
他人から見たら、冒険に見えないかもしれない。無謀に見えるかもしれない。愚かに見えるかもしれない。
だけど、僕にとってはそれらは冒険なのだ。

冒険の目的は結果ではない。それに向き合ったか否か、本気で取り組んだかどうか、が全てだ。


例えばだけど、カデンツの途中、この調に転調してしまったら、もう戻ってこれなくなるかもしれない、でも行ってみたい、と思う瞬間、僕は本番でも迷わずその調に転調するだろう。結果破綻した音楽になったとしても、僕はその選択を選ぶ。
無論僕は、プロのピアニストだ。僕の選択はただの無茶な選択ではない。
僕の選択する、チャレンジ、なのだ。僕の選択による破綻すらアートたりえるという矜持の元、チャレンジするのだ。

誰にとっても、アーティスト以外にとっても、日常の生活の中にもチャレンジの機会はある。ただ、その事に気付いていない。
チャレンジは作れる。
その事に気づくことが、気付けることが、もしかしたら感受性なのかもしれない。

とにかく、新しいチャレンジの機会を楽しみにしたいと思っている。
  1. 2017/07/19(水) 14:09:34|
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チャラいバンドのツアーでの出来事

割とチャラ目のバンドのツアーに出た。歌二人とベースとドラム。
僕はたまたまそのバンドのツアーに乗ったのだけど、ベースとドラムに対して軽くリーダー的存在になっていった。。
ツアーは雰囲気見ながら、まあ楽しくやっていたのだけど、ベースとドラムは仲良しなのだけど、よくけんかをする。冗談のけんかなのだけど、それが度を越して殴り合いになったりすることが頻繁にあった。僕は、上段で制止していたのだけど、あるとき、殴られたベーシストが本気になって怒りだした。
僕は、一連のけんかは、ドラムの悪ふざけが度を越していて、ベーシストが笑ってそれに付き合っていたように感じていた。僕は仲裁に入り、いい加減にしろといった。
そして、もうドラム、お前はクビだといった。トラを探さなければならない。
衣類を買わなければならなかったので、衣類を買うレジに並んでいた。知らない人に横入りされてむっとした。
衣類を買ったら、何故かショウガ焼き定食の小さいのをサービスで出された。
感じのいいおばさんがレジ係だったので、断れなかった。
衣類を買った後、食事会だったのでどうしようかなと思っていたら、メンバーが全員食堂のテーブルに座っていた。その太ったドラマーもまだいた。ふてくされた顔をしていた。
僕は無視して、ベーシストと、ご飯どうする?少しだけ食べるか?というような話をして目覚めた。

便宜上ベースといったが、ベースではなさそう。デブのドラムは、ドラムっぽいけど、楽器は不明。
だけど、探そうとしたトラは現実にいるドラマー二人でした。普段全く一緒にやらない人。
女子二人のボーカルも、ボーカルかどうかはわからない。
でも何らかの音楽のツアーでした。
  1. 2017/07/11(火) 12:54:26|
  2. 夢日記
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東京の暑い夏

車がないと生活できない。一家に一台マイカーを。そういう社会構造を作り上げた。
道路を舗装した。世の中に車はどんどん増えてきた。道は車であふれかえった。

夏。舗装した道路は太陽の熱を蓄え、そして大気にその熱を放つ。
車のエンジンも、熱を放つ。
百葉箱で計測した気温をはるかに超えた気温。
東京の大気は、灼熱のサハラ砂漠より実は暑いかもしれない。

暑い東京。だから、冷房機は必需品。一回に一台エアコンを。社会構造はそういう風潮をもたらす。。
エアコンは室内を冷やしてはくれる。が、その排熱はやはり東京の大気に放たれる。
更に東京の大気は熱せられる。

エアコンを動かすための電気が足りない。
だから、原子力発電所をたくさん作った。

車を作り、アスファルトで舗装し、東京を熱すれば熱するほど、「誰か」は確実に儲かる。

世界一暑い東京に住んで、本当ならば使う必要のない電力を使い続け、その事にお金を使わされ続け、本当に必要な何か?が何なのか?感覚が麻痺させられたところで、働かされ続ける。
そういう社会構造を作り上げてきた。

車がもたらしたものはあるだろう。舗装した道路がもたらしたものもある。
エアコンも、原子力発電所にももたらすものはあるだろう。

また、それらなしで生活することがきわめて困難だ。
そういう社会構造なのだから。仕方がない。それらを拒否して生きていくことは、極めて困難なことだから。

だけど、こういう社会構造を作り上げてきた「何か」が確実に存在する。
その事は知っておきたい。

  1. 2017/07/04(火) 12:08:38|
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ラプソディーインブルーの公開練習をしてみました

公開練習をしてみてよかった。
というよりも、やらなかったらやばかった。全く見えない部分が、見えた。
ガーシュインは、他のクラシックの曲と違って、楽曲の精密さが低いので、なんとなくニュアンスで出来るかな?と思わせる何かがあるのだけど、実際に本番の気分でやってみると、出来なかった。
クラシックとジャズの間に存在する曲なのだけど、やはり、譜面との距離を縮めていく作業は必要だと思った。
カデンツの部分も、つながるという意味合いにおいてはつなげることは出来たけど、自分自身の普段のジャズの即興とは程遠い、自分との距離が遠すぎるものになってしまった。
一時間ほど曲を試してみたけど、得たものは、出来ない、という結論だった。
出来ない、全く出来ないことに対して、人前でチャレンジしていること、かっこ悪いことです。中村真を尊敬するミュージシャンたちが幾人か来ている人の前で、恥ずかしい演奏をすること、嫌だったけど、むしろそういうかっこ悪い姿を恥も外聞もなくさらけ出している僕の事を、逆にかっこいいなと思うようにもなった。

来てくれた幾人かのミュージシャンに対して、感謝の意味のをこめてスタンダードを数曲弾いた。
その中で、ドルフィンダンスを演奏したのだけど、最後のEのペダルの時に思いついて、ラプソディーのテーマを引用して、そこからラプソディーの即興につないでいった。
その時に初めて、自分との距離が0に限りなく近い、ラプソディーインブルーの即興が出来た。
手ごたえを初めて感じられた瞬間だった。

もう一度公開練習をします。
一週間後の9日にやります。

聞きに来たい人は来てください。
15時開場、15時半開演です。
終わってから飲みましょう。
  1. 2017/07/04(火) 11:36:37|
  2. 徒然と
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