真・の・ブログ

日常的な事、ちょっと考えさせられるような事、まじめな事、不真面目な事、料理の事自転車の事等々等々、音楽の事以外の事を徒然と書き綴っていくつもりです。 が、どうなるかはわかりません。

今年1年の総括




今年を振り返る。

今年はソロのコンサートが減った1年だったと思う。理由は、別のことで忙しかったからです。それは、リフレクションのレコ発があったから。
僕にとって小泉やよいさんというアーティストは特別な存在だ。なんというのかな?彼女は、決してひらめきの早いアーティストではないのだが、しかし、全幅の信頼を寄せることの出来るアーティストだ。
僕のことをとても信頼しているとは思うが、さりとて僕に対して寄っかかってこない。このバランス感覚が僕はとても好きだ。

助川太郎との関係も深くなってきたと思う。彼は逆にひらめきのアーティストだ。というか、テレパシストだ。やよいさんは、僕と助川のテレパシーのやり取りを、俯瞰して見ている。そんなユニットがリフレクションだ。

今年あった最も大きな事は、なんといってもspaceにはたづみの解散であろう。
spaceにはたづみは場所であり、場所ではなかった。あそこで培われてきたことにより、色々な事が露呈してきた。よくも悪くも。
無くなって初めて解ったこともある。僕は一端無くなってよかったとすら思っている。その方がより、そのものの価値の輪郭をあらわにするからだ。
僕が僕である限り、スペースにはたづみの様な「形」はいずれどこかで再び実を結ぶ。
故に、無くなった方がよかったともいえる。一つの出来事に固執しない方が良いのだ。

オヤジがアルバムを作った。それに僕は少しだけ携わった。
オヤジの作曲「東海道五十三次」広重の浮世絵に曲を付けていく組曲。何と40年の歳月を費やした作品。僕は、オヤジの愚直さに畏怖する。
僕も40年、オヤジは80年、愚直な道を進んできた。
血は争えない。オヤジの生き方に、僕は自分の先を歩んでいる人の道を見た。


トリオのレコーディングもした。自分以上の音楽家とトリオを作る事は僕にとっては決して楽な事ではない。また、本当の意味で即興的に音楽を作っていく事、にチャレンジする事も楽な道ではない。だけど、そういう事を何年も続けていくことにより、自分自身の出来る事の幅がどんどんと広がって来る。10年それを続けたか否か、は、大きな差になってくると思う。
新太郎さんとはもう長い、といってもいいと思う。彼は僕があるハードルをクリアーしたら、必ず少しだけ高いハードルを用意してライブに臨んでくる。芳垣さんは言わずもがなカリスマドラマーだが本当にジェントルな人だと思う。音楽のケアが抜群に素晴らしい。あれほどケアフルなドラマーは僕は他に知らない。もちろんそれだけではないが、あえてここでは多く語らない。

全国各地での僕のコンサート活動も長く続けているが、真ウイークと題した関西でのコンサートシリーズは面白くなってきた。今年は5月と11月やったのだが、宮野友巴と色々と企画をしている。僕が30で大阪を離れ、その後の10年、宮野くんは関西で押しも押されもしない立派な音楽家に成長し、若手からの信望を集め、その宮野くんの協力に寄るコンサート活動やワークショップは、僕にとってとても有意義なものとなっている。無論、朝まで飲む事もとても有意義な事だ。
関西の有望な音楽家達との切磋琢磨がこれからも続いていく事だろう。

昨年出会った一番のアーティストは助川太郎だが、今年は一番という括りは難しい。が、一つ言えるのは新世代のアーティストとの出会いが僕に新鮮な空気をもたらした。
にはたづみの最後に行った、西口明宏、大村亘との世代間を越えたセッション、関西のトランぺッター広瀬未来君との出会い等、他にも30前半のいよいよこれから、という様な音楽家との出会いが、来年からの新しい動きにつながっていくだろう。

中津江から数えて5年目のミュージックキャンプも、いよいよ次のステップへ向けて動き出した。僕は中津江2年目を終えたときに5年の計を考えていた。種をまき、芽を出し、育み、実り、収穫する。
その5年の計は中津江の頓挫とともに消えかけたに見えたが、形は違えど、一つの実りをもたらしたと思う。来年は金沢から場所を富山の魚津に変え、新川学びの森の協力を得て、新たなるステップへ、そして未来には沖縄でのMC事業も視野に入れている。

原大力ds、川村竜b、izaura(vo)、上杉優tb、宮上啓仁b、中村新太郎b、大井澄東ds、LUNA(vo)、橋爪亮督ts、森重靖宗cello、杵渕真理vo、佐藤忍b、中嶋道博ds、小野やすたかb、原田迅明ds、助川太郎gt、芳垣安洋ds、古地克成ds、関戸知雄b、田村陽介ds、岩宮美和vo、儀保貴子vo、末元紀子vo、城間巧介gt、吉川元ds、宮野友巴b、荒玉哲郎b、竹田達彦ds、大森秀斗史ds、小山彰太ds、溝口恵美子vo、當村邦明ts、木原鮎子vo、谷山和恵vo、junko(vo)、紺野智之ds、吉田 豊b、玉村優香vo、板橋夏美tb、北垣響b、柳真也b、伊藤宏樹ds、舘山健二ds、蛇池雅人as、阿部智子vo、房原忠弘tp、吉木稔b、力武誠ds、渡辺真知子vo、EMiKO VOiCE(vo)、山中一毅as、大塚義将b、西村匠平ds、朝田拓馬gt、広瀬未来tp、西平和代vo 、加納星子as、金子雄太org、小泉やよいvo、日景修b、則武諒ds、斉藤真ds、西口明宏ts、古木佳祐b、吉本章紘ts、菅野拓也gt、よなはくみこvo、清水よう子vo、川本悠自b、工藤悠ds、程嶋日奈子b、花田進太郎gt、長沼タツルgt、SHINOBU(vo)、Satoko(vo)、四方裕介gt、升本しのぶvo、萬恭隆b、山添ゆかvo、手島甫b、横田寛之as、福山光晴tp、池尻洋史b、座小田諒一b、沢野源裕tp、千葉ゆきおb、なかにしあきこtp、日高憲男tp キャンプやワークショップでの共演は抜かす。抜けてたらごめん!悪気はない!!
スポンサーサイト
  1. 2014/12/30(火) 13:15:47|
  2. 徒然と
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

三年目のキムチぐらい大目に見ろよ

キムチ作りがうまく行かない。
確認のためにブログにアップする。
今回は、白菜半玉でチャレンジ。去年より白菜安いのでもっとチャレンジしたいのだが・・・。

白菜を今回は塩漬けにした。普通は塩水につけるのだが、日本の白菜漬けを作る要領で漬けてみた。
1日半程漬ける。
若干しょっぱいので、さっと水で洗い、軽く乾かす。

ヤンニョン作り。

まず糊を作る。

20141227184149224.jpg

上新粉をお湯で溶いていく。
これぐらいの量。

糊に細かい唐辛子を混ぜる。
20141227185023921.jpg
これをベースにしてヤンニョンを作っていく。

混ぜるもの。
20141227184308068.jpg

大根の千切りと人参の千切り、ニラ、昆布、干し椎茸。
あみの塩辛。
ニンニク4かけ、生姜少々、林檎半個を摺り下ろしたもの。

混ぜる。

20141227184312349.jpg
混ぜたものに、粗挽き唐辛子をしこたま入れる。

それを白菜漬けに挟み込んでいく。

一応出来上がり。

20141227184443804.jpg

ヤンニョンは少なめでした。挟み込むのを若干少なめになりました。少なめのヤンニョンのキムチもおいしいです。


  1. 2014/12/27(土) 18:54:47|
  2. 料理のこと
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

地方の古い洋館風の元公民館でのコンサートで起こった大変な出来事。



古い公民館か洋館か、学校。
地元のおばさん達が主催のコンサート。
アップライトの古いピアノ 目の前にグランドピアノが横になっておいてある。
アップライトのピアノの調律中。地元のバンドが演奏している。
調律終わり、演奏はじめようと思った。ステージ散らかっている。片付ける。
ペダルがとれている。
控え室に戻ると、僕のジャケットが立上がる。
別の控え室に行くと、人形が突如消える。
恐ろしい。


ツアー先のコンサート会場は、古い元公民館かちょっとした学校の様な所。ちょっと洋館ぽい作り。
複雑な構造をしている。
企画してくれた地元の有志のおばさん達が温かく迎えてくれる。
「お疲れでしょう、少しゆっくりしてください」控え室に通される。そこは畳の部屋。
今日はこの開場の一室に泊めてもらうことになっている。
コンサートの部屋に行ってみる。
ステージの上は乱雑に散らかっており、僕の弾くはずのアップライトピアノの目の前に、横向きに置かれ、足を外されたグランドピアノがある。
調律の人が調律中で少し話をする。僕は、控えめにグランドピアノがあるならばグランドでコンサートをしたかったんだが、という様なことをいう。まあ今更無理ですけどね、と調律師は答えた。
ちょっとした舞台があるその場所では、既に地元の楽団が演奏をしていた。
客はまばらで、だらだらとしたムードで事が進んでいる。
ピアノはピアノの背中を客席に見せる形で配置されている。これでは僕の弾いている姿はお客さんは全く見ることが出来ない。変わった配置。
何となくコンサートが開始される雰囲気に。
しかしステージの上があまりにも雑然と散らかっている。それは調律師の私物であったり調律道具である。その状態で演奏するのがいやなので、渋々整頓して、その上に布を被せ見えなくする。
地元のひとたちが、そんな事をなさらなくても!と気を使ってくれたが、手伝ってはくれない。
ピアノに座ってみる。何とサスティーンペダルがない!!
さすがにそれで演奏は出来ない。先程までいなかった調律師を呼ぶと、ああ、大丈夫、とペダルをはめてくれたが、さすがに演奏する気分ではなくなり、一端控え室へ戻る。
ジャケットを脱いで畳に座る。
すると、脱ぎ捨てたジャケットが、まるで透明人間が着ているかの如くすくっと立上がったのだ!!驚いた!!!!
何かおかしなことが起こり始めている。目の前には、仕立て屋が衣類をかける人形が置かれていた。何となくそれを眺めながら、目をそらし再び人形を見たら、何と!さっきまであったはずの人形が、いない!!
ここはただならぬ場所なのだ。
底知れぬ恐怖心を感じた。こんな所で一晩過ごす事は無理だろう。
地元のひとたちも、色々と僕に話してくれた。この場所の曰くについて。

おそろしい、恐ろしい夢であった。

書くとたいして怖くないのがなんだかなあである。




  1. 2014/12/19(金) 13:52:57|
  2. 夢日記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

身の回りに自民党に入れたひともいなければ選挙に行かなかったひともいない理由。

選挙行かない人が周りにいないとか、自民党に入れた人が周りにいないという声をよく聞きますが、それは何故かといいますと、自分の回りの人は、自分と似た様なヒエラルキーのひとたちがいるからです。
考えてみたら当たり前ですが、例えば僕の場合は、圧倒的に音楽家が多い。また、知り合いの一般の人でも当たり前ですが音楽を好きな人が多い。
音楽を聴く、という趣味をもつ人は、日本人全体の、文化的ヒエラルキーのレベル半分より上以上しか聞かないです。レベル半分以上の人の下半分は、AKBを音楽だと思っている。残りの半分の下半分は、松任谷由実が芸術家だと思っている。残りの下半分は、ようやく洋楽等を聴く。その残りの下半分が、ようやくマイルスデイビスの名前ぐらい知っている。残りの下半分が、ようやくオスカーピーターソンを聞いたことがあるレベル。その残りの下半分はジャズファンです。その残りの下半分が、ようやくライブに行ったことがあるレベル。その残りの下半分が武満徹を知っていて、その残りがようやくエグベルトジスモンチの名前を知っている。
ボーカルのファンの、胸とケツを観に来ている様な下衆なオヤジでも、日本の文化的ヒエラルキーの相当上部にいるという事です。そう、あの下品なオヤジですらね。

当然のことながら、僕の身の回りにいる人間の文化的な階層は日本の平均値を遥かに上回る事となる。

文化レベルや知的レベルは高い階層の人が周りにいるが、経済的にはどうだろうか??
僕の友達は年収500万以下の人で、99%を数えるだろう。
僕の友達で年収1000万を越えている人は、おそらく数人だろう。また、企業オーナーはおれど、不労所得階級はいない。

つまり、僕の身の回りは、高い文化知的レベルでありつつ、どちらかというと貧乏な、労働者階級がほとんどなのだ。
おそらく僕の友人は、日本人の平均よりも、本を読み、音楽を聴き、美術に触れ、テレビを見る時間が少なく、喫煙率は低く、大学進学率は高く、そして日本人の平均より、収入が少ない人が多いはずだ。
そういう人は、選挙に行くし、自民党にいれない訳です。

自民党に入れる人が、文化レベルが低く、経済的に裕福かどうか、は知りませんが。
  1. 2014/12/14(日) 23:11:15|
  2. 徒然と
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

これからの世の中がどう変化していくのか、僕の考えを述べる。vol.2

五公五民、という言葉がある。江戸時代の年貢の配分である。
米の取れ高のうち、五割を年貢として、五割を民自身のものとして、という、高い税率を示す言葉である。
場合によっては、六公四民、であったり、善政が敷かれているときでは、四公六民であったりする時代もあったそうだ。いずれにせよ、とてつもなく高い税率といえる。
現在に於いてはそこまでの高い税金を取られることはない。

と思うかもしれないが、現世に於いては、更に事が複雑なのだ。

こんな笑い話がある。
とある、ねこ系の猛獣をシンボルマークとする巨大グループに属する会社に勤める人がいる。
仮にAさんということとする。
Aさんは、給料をもらう。そこからはもちろん税金が天引きされている。
そして、Aさんは、通勤するにも休日出掛けるにも、もらった給料から、ねこ系の猛獣をシンボルマークとするグループの経営する電車に電車賃を払い乗り出掛け、ねこ系の猛獣をシンボルマークとする巨大グループに属するスーパーやデバートで買い物をし、ねこ系の猛獣をシンボルマークとする巨大グループに属する球団を応援させられ、ねこ系の猛獣をシンボルマークとする巨大グループに属する遊園地で休日を過ごし、ねこ系の猛獣をシンボルマークとする巨大グループに属する不動産からマンションを購入しローンを払うと。
つまり、ねこ系の猛獣をシンボルマークとする巨大グループからもらった給料は、「見せ金」としてAさんの目の前を通り過ぎ、全てねこ系の猛獣をシンボルマークとする巨大グループに徴収されているのだ。
これは極端な笑い話ではあるが、このようなことはいくらでもある。微に入り細に入り、細かく存在する。

仮に安倍政権のアベノミクスが成功して、賃金が10%上がったとしよう。しかしそれは見せ金として、上がった物価を賄う為や、上がった税金を払う為に使われていては、何一つ我々の生活は変わらないんだ。物価が上がり、金の動きが生まれて得するのは、江戸時代で言うところの「幕府」であり、僕の前のブログで言うところの「マギカちゃん」だ。
江戸時代の「幕府」の存在は、形を変え、社会の隅々にまで行き渡っている。
五公五民どころではない。もっととてつもなく、徹底して、搾取されているといってもいい。
生かさぬよう、殺さぬよう。


何をやってもどうせ自民大勝、というムードを作り、仮に他所の政党が勝ったとしても、自民程には何もできない、という、ムードを作る事、それこそが戦略であることに庶民は気付かなければならない。
そういったムードを作る役割は、マギカちゃんの中のマスメディアの担当だ。
僕はテレビを見る事を僕は極度に嫌う。見ない事を強く勧める。それは何故かというと、テレビを見ると、ものを捉える為の皮膚感覚が鈍るからだ。味覚でいうところの化学調味料だ。
鈍化した感覚は当然思考能力を奪う。
そして、その上で大して害もなく益もない娯楽番組に「うつつ」を抜かさせ、興味を逸らさせる。
凄くよく出来た構造に気付かなければならない。
江戸時代に幕府を馬鹿にするような落語が流行、それを見てせめてものガス抜きをさせていた、ということと、今テレビを見て社会をディスること、は同じなのだ。
庶民が、一人一人、自分の力で考え始める事、それが庶民が自分の力で生きようとする事の切っ掛けとなるのだ。
そしてそれこそが為政者にとって最も恐ろしい事なのだ。

追伸
1800年末に、一人一人、自分の力で考え始める事、それこそが庶民が自力で生きるという事である。というような思想を考え出した人達がいる。ちなみにその思想の事を共産主義というのだけれども。当時としては最先端の考え方だったろう。

ただ彼らは、階級の違いを対立と考え、それを革命により変革させようとしたところが誤りであったと僕は考えている。
現在の社会においては、対立と考えるのではなく、融和していき、富の再配分、にはたづみプロジェクトの言うところの「贈与主義」へと移行していくような社会が望ましいと僕は考えている。











  1. 2014/12/11(木) 13:52:47|
  2. 徒然と
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

これからの世の中がどう変化していくのか、僕の考えを述べる。

以下にに僕の考えを記す。
僕の考えは、僕が日本中を旅していろんな人と話し、色んなところを見て、感じ取ったことから思考され、書いている。
いわば芸術家の社会観である。

この国を支配している存在、それらのことを、仮に「マギカ」ちゃんと呼ぶことにしましょう。(村上春樹はそれのことを「羊」と呼んだが、僕は村上春樹が嫌いなので、それに習うのがいやだった。)

マギカちゃんとは何なのかを一口で言うのは難しい。だが少なくとも自民党ではない。警察権力でもない。それらは全て、マギカちゃんの手先に過ぎない。マギカちゃんが何であるかは一口では言えない。だが、ありとあらゆるものの総合体といってもいいと思う。実体があるのかないのかも解らない。だが、確実に存在する、何か、である。

マギカちゃんの力は、ここ10年ぐらいで急激に弱まってきている。
マギカちゃんの力が弱まってきたことは、いろんなことからも推測することが出来ます。
一時、相撲賭博が摘発されたこととか、民主党政権に変わったこととか、NHKやジャスラックが躍起になって受信料や著作権料を取ろうとしていることや、LCC等の航空会社が次々に生まれてくること、エコカー補助金、反韓反中の気風が上がっていることもそうだし、かつ屋のカツ丼がワンコインで結構美味しいこととか、東京の老舗ライブハウスが3人シンガーを入れてライブを行ったりすること、等、いろんな事柄からマギカちゃんの力が弱まっていることが理解出来る。
マギカちゃんは一人ではないし、一枚岩でもない。また、弱体化しているとはいえ、未だ国を支配する存在であることには変わりがない。が、焦りがある。
マギカちゃんは必ず滅びる。そして新しい時代が到来する。
それは間違いない。好むと好まざるとに関わらず、マギカちゃんは滅びざるを得ないし、新しい時代、それのことをまどかちゃんと呼ぼう、は好むと好まざるとに関わらず、今よりも公平な世の中になるだろう。しかしそれは善意からではない。好むと好まざるとに関わらず、公平な世の中にならざるを得ない。

変化は善意に寄るものではなく、必然に寄る。
16世紀にスペインがインカ帝国に対して行ったホロコーストを20世紀やろうとした国家はその国の敬礼を現世で行っただけで罪になる国がある程の犯罪国家として断罪されている。
1945年日本に落とされた原爆は、ついに朝鮮半島でも、ベトナムでも、落とされることはなかった。
人類は、好むと好まざるとに関わらず、進歩しているのだ。
故に僕は些末な政治的な流れに対して興味がなかった。
だが、安倍政権は、人類の進歩の時計を10年巻き戻していると僕は感じている。
好むと好まざるとに関わらず起こっている進歩、をしっかりと見据えて、その進歩に対して個人が少しづつ寄与していけば、世界は変わっていく。変わっていく様を、しっかりと見据えていけばよい。
日本に今後経済成長はない。これだけは、僕は経済学者でもないし、政治に詳しい訳でもないが、断言出来る。
ある人が、日本は発展を遂げつつある途上国に対して、これからも経済で勝っていかなければならないではないか、と僕に語った。
本当にそうか??僕はそうは思わない。
勝つということは、負ける人がいるのだ。
日本は戦後60年以上も、勝ち続けて膨大な富を蓄えてきたではないか。
勝ち続けなければならない、という錯覚を捨てた方が良い。もはや勝ちはどこか別の国に譲っても良いのだ。日本は、その膨大な富を世界的な規模で再配分する役目を担えば良い。
自分たちだけが裕福で良いという考え方を捨てた方が良い。
僕は日本中に友人がいる。沖縄の基地の問題も、日田の豪雨も、広島の土砂崩れも、大阪のションベン横町の火災も、福島原発の事故も、北海道の吹雪も、全ては僕にとって他人事ではない。友達のことなのだ。だから本気で心配になる。だが、そこで一つ想像を広げてみれば、世界中の不幸は、皆、誰かの友人の不幸であることに気付くはずだ。
中東で起こっている戦争、アフリカの飢餓、中国の大気汚染のこと、挙げていけばきりがない世界中で起こっている不幸は、皆友達のことなのだ。そう一人一人が思えたときに、まどかちゃんの時代が生まれるのだ。
その流れに反した流れを作っているのが安倍政権で、ああいった政権が生まれていること自体からも、マギカの焦りであり、マギカの最後の悪あがきなのである。
日本のこれから、世界のこれからを、僕は今後も芸術家的社会観で見据えていく。

投票には行こう。













  1. 2014/12/09(火) 23:31:05|
  2. 徒然と
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

キムチ2014冬〜2015春vol.1



キムチ作り始めて3年目。未だにキムチというものがなんなのか、どんどんと解らなくなってきた。
最終的に、昨年度最後に作ったものは、はっきり言ってまずかったです。

今回は、上新粉をお湯でといたもの(糊)、唐辛子3種類、ニラ、人参、大根、ニンニク、生姜、梨、あみの塩辛、しょっつる、いりごま、昆布、干し椎茸、といったようなものを使い、ヤンニョンを作った。
変えた点は、糊に、唐辛子を溶き入れてから、他の具材と和えた。そうする事で、辛み成分が立体感を増すかもしれないと思ったからだ。(そういうレシピを見たことがある)
だが、そんなレベルの話ではなく、僕はキムチを、いや、乳酸発酵というものがなんなのか、理解出来ていないと思う。
白菜を1日外で風干し、1日塩水につけて、味を見つつ、白菜漬けを作った。
本当に難しい。はっきり言って、この写真のキムチの色を見た時点で、既にあかんぽい・・・。
明後日サムギョプサルを食べてみる。まずくはないとは思うが、感動の美味しさにはほど遠いと思う。
  1. 2014/12/01(月) 22:17:27|
  2. 料理のこと
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0