真・の・ブログ

日常的な事、ちょっと考えさせられるような事、まじめな事、不真面目な事、料理の事自転車の事等々等々、音楽の事以外の事を徒然と書き綴っていくつもりです。 が、どうなるかはわかりません。

インディア珍道中vol.4

聡子さんへ

小生、昨日あれから思いがけず嬉しいことがありました。
昨日は、ガネーシャ寺に行ってガネーシャを恩人にプレゼントするために買ったところまで話しましたね。
その後、プラモノさんという人のご自宅へご馳走していただけるとのことで、小村と、舟、葵の三人でお邪魔したのです。プラモノさんは前回の渡印のとき、小生の大好きなボンベイでしか食べられない「ぱうばじ」というトマトソースのパンをごちそうになったのです。
たったそれだけの縁なのに、ご自宅まで招待していただき、ご馳走していただけるだけでもうれしかったのですが、なんと、ご自宅に着いたら箱を一つ真に、と渡してくれ、開けてみると、何とも立派なガネーシャの像が入っているではありませんか!!

先日の手紙にも記しましたが、誰かからガネーシャをプレゼントされることは、プレゼントされるほうにとって、とてもとても幸福が訪れるといわれておるのです。

ガネーシャ寺に行って、ガネーシャを人のために買い、そしてそのガネーシャを人から貰えた、なんて幸せな一日だったのでしょうか。

いうまでもなく、プラモノさんの作る料理の数々はとても美味しかった!!
とても幸せな一日でした。

舟ですか?
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  1. 2018/03/02(金) 22:13:25|
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インディア珍道中vol.3

聡子へ

元気に過ごしていますか?
昨夜はボンベイの海沿いの音楽堂で、小生のピアノ三重奏の演奏会が行われたのです。
初めての印度でのコンサートは超満員で、大盛況でしたよ。
演奏会の内容のことはまた帰って直接お話ししとうございます。

本日は葵と舟と、そしてこちらに長期滞在中の小村に連れられて、ガネーシャ寺というお寺に参拝に行ってきました。
ガネーシャというのは、ヒンヅ―の神々の一人で、象の姿をした神様で、インドの神様の中では最も人気の高い神様だそうです。
ガネーシャは日本人の観光客にも大人気で、沢山のガネーシャの像や飾り、絵などがそれはもう至る所に売っておるのです。
かくいう小生も、先日ガネーシャの壁掛けの工芸品を購入したのです。
小生は南の国の工芸品がとても好きで、沖縄に行ってもシーサーやらマカイやらを必ず買って帰るのです。


ガネーシャ寺に着いたら、まずは花屋のところで靴を脱ぎます。そしてその靴を預かってもらう代わりに、参拝のお花を買うのです。
普段はとても混雑しているらしいガネーシャ寺は、その日は快適に参拝出来る程度の軽い人の出で、小村はこんなことは珍しいのですよ、と言っておられました。
小村は、小生のバンドのドラマーでもありますが、毎年ボンベイへ、長期滞在し、印度古来の打楽器タブラのお稽古を受けるという、誠に音楽に対して熱心な人で、小生は昨年も彼にインディアへおいでよとのお誘いを受けたこともあり、急に思い立ってボンベイへ旅したのでした。

ガネーシャ寺を出て小村と小生は歩きながら、共通の恩人の話になりました。
その恩人はとても素敵な人なのですが、少し商売上のトラブルがあり少し気落ちされておるのではなかろうかと思われるのですよ、と小生はいいました。
我々はそのことで大層心配しておったのです。そこで小村が、印度にはガネーシャのものを第三者からもらうことはもらった人にとても幸福を運ぶといわれているのですよ、小生たちでともにガネーシャをプレゼントしませんか?そういいました。
小生は、そのことにとても賛成しました。そして、それには、小生たちの共通の音楽仲間でもあり大先輩の古太郎さんにも乗ってもらいたく思い、日本にいる古太郎さんにその旨電報を打ったのです。程なく古太郎さんから喜んで協力させていただく、との旨の返信いただいたのです。
恩人の喜ぶ顔が見たいものだね、小村とそう話しつつ、我々は岐路に着いたのです。

舟ですか?舟はあの性格ですので、相変わらず、食べてばかりですよ。
葵ですか?葵は、たべてもたべなくても相変わらずXLを維持していますよ。
三人とも、胃腸は大変健康なようです。



  1. 2018/03/01(木) 23:33:02|
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インディア珍道中vol.2

聡子へ

元気でいるだろうか?
印度は水が良くないから腹の調子には気を遣え、と皆に言われたのだが、知らず知らずのうちにそれでも生水を摂取しているのであります。
屋台でとても美味しそうなすなっくが売っており、好奇心旺盛な舟と一緒に食べたのですが、それは印度人でも屋台で食べるのを躊躇するほど危ない食べ物だったようです。
しかし、腹の調子はすこぶるよく、むしろ暑さにより頭痛がしてきたようです。
暑さには強い小生ですが、その小生が暑さに参っているのは、おそらくは酷寒の東京から急にボンベイへ来たからだと思われます。
こちらはフレッシュなジュースがやたらおいしく、もざんびというオレンジとライムの間のような果物や、ヤシの実、砂糖黍や柘榴のジュースが絞りたてで、高いものでも70ルピー、安い砂糖黍ならば十ルピーで飲めるのです。
一ルピーは一円七十銭ですから、十七円ほどでフレッシュジュースが飲めるのです。
印度にいると金銭感覚がおかしくなってきます。

そんな印度では買い物も楽しみの一つです。
葵は、Tシャツを買いました。サイズを聞かれた葵は、「私はえむサイズだと思います」といったのですが、店員さんはそれはないだらう、という目をしながら、「Your size isnt M.Your size about umm XL.」
と言ったのです。店員が見立てたそのXLのTシャツは、悲しみをそそるほどに葵にぴったりでした。

またある屋台で小生は素敵な方位磁針を見つけました。昔の海賊が持っていそうな方位磁針でした。
一千ルピーと少し高めだったのですが、息子へのお土産にと思い買おうと思いました。
試しに八百ルピーに値切ってみました。店員は首を横に振り、ああそうでした、インディアでは、首を横に振るのはOKのサインなのですよ。
それでは、NOのサインは?というと、それも首を横に振るらしいのです。
振り方と表情でYes Noを判断しなければならないのですよ!とても難しい。

八百ルピーに値切った方位磁針を店員は紙袋に詰め、まさに僕に手渡そうとしていたその時!、舟は急に唐突に大声を張り上げ、「NO!六百ルピー!!OK???」
店員は首を横に振りNoの意思表示をしたのです。
「舟、もういいですよ。この人たちもお商売なのですから。八百ルピーでいいですよ」と言ったのです。この関西人の小生が、そういったのです。ところが、舟はあの性格です。「ダメ!!六百ルピーじゃないと買わないから!!」と突っ返したのです。
店員さんは苦笑いしながら「OK」と、首を横に振りました。

舟ですか?舟は買い物はせず、ひたすら食べまくっています。
  1. 2018/02/27(火) 20:31:21|
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インディア珍道中vol.1

親愛なる聡子へ。

聡子、元気に過ごしていますか?小生は今、遠く離れた印度の街、ボンベイへ来ています。
異国の地にあれば、ただ息を吸うだけでも新鮮で楽しくはあるのですが、さりとてただ道を歩むのみでも体は疲れ果て、安宿の粗末なベッドに横たわってみると、その安堵感から、ああ小生思いのほか気を張っていたのだなあと気付く有様です。

そうそう、今日はたいそう面白いことがありました。とはいえ、日本では珍しい象を見ただとか、野生の豹を見ただとか、さういった、いかにも異国の地にあるなと思はせる事柄ではないのです。いや、もしかしたら、それ以上に異国のこの印度でしかありえない面白いものを見たといえるかもしれない、面白いことがあったのです。

本日我々一行は、ボンベイの南の町に向けて印度国営鉄道に乗り込み向かったのです。
我々一行は、印度に慣れたものは一人もおらず、一人は印度どころか日本を離れたことすらほとんどない女が一名、そしてもう一人の連れ合いは聡子も知っているだろう、あの舟です。舟は、印度にはツアー旅行で一度きり、しかも20年は前に一度来たことがあるらしい舟と、そして辛らうじて昨年印度に十年ぶりのワイキキの海岸以来の海外旅行旅したといふ小生ただ三名でした。

我々一行は、おそらく大変緊張した面持ちで車内に立ち尽くしていたのだらうと思います。それはそれは面白い光景であったのではなからうか、と思います。
もし、その光景を聡子が見たとしたならば、おなかがよじれるほど笑ったことだらうと思います。
我々は、あたかも印度に、鉄道に慣れた一行であるかのやうにつんとすましこんで、鉄道に乗り込んでいると、少なくとも周りにはそう見えるようにふるまっていたつもりでした。しかし周りの印度人の乗客は気を使ってくれ、どこまで行くのだい?まだ大丈夫、次の次の駅だからね、と、その車両の人々ほとんどすべての人々が、我々に気を使って親切にしてもらっていたのだから。
そして我々は慣れない英語と聞き取りづらい印度人の話す英語と、まったく意味の分からない印度の言葉に対して、ただ笑顔でうなずいていただけなのだから。

印度では電車が正確に止まるまで乗客は乗り降りを待つ、という、日本では当たり前のことが全く当たり前ではないのですよ。
電車が止まる前から電車から飛び降り、走り始めていてもまだ飛び乗ってくることが日常なのです。
舟はどうしてもそんな電車から飛び降りてみたいといひました。我々はやめておいたほうがいいよ、慣れない我々はそんな危ないことをするべきではない、小生はそう諭したのです。しかし舟はあの性格です。私は電車から飛び降りてみる、と終着駅のチャーチゲイトの駅の構内に電車が入るとほぼ同時に、えいや、といわんばかりの勢いで、電車から飛び降りたのです。

電車は止まろうとしているには間違いはないのですが、まだかなりの速度で構内を走行中で、いわずもがな、舟は、飛び降り、着地すると思わせると同時に、すってんころり、と、本当に文字通り、すってんころり、と、転び果てたのです。
小生ともう一人の女は顔を見合わせ、大笑いしました。
転び果てた舟も、顔を全部真っ赤にしながら、起き上がり、まだ止まらぬ電車に乗っている我々を追いかけ走り始めたのです。
これには周りの印度の人々も、唖然とした表情で、この光景を見守るしかなかったのです。

ある意味、印度象を見るよりも、豹を見るよりも、電車から転がり落ちる人間を見ることは珍しく、日本ではまず見ることのできない、いや、印度でもまず見ることのできない面白おかしな光景であったのです。

幸いにも転がり落ちた舟は、大きなケガもなく無事息災でした。無事息災であったからこそ、笑い話になっていたのですが、もしこれで大けがでもしていたら、笑っていられるどころではなく、今君にこうしてのんびりと宿の机で手紙をしたためることはなかったこととおもいます。

聡子が元気ならば、君もつれてボンベイへ来たかった。君は無理にでも来ようとした。しかし肺の病は安静が何よりも大事だと安斎先生もおっしゃった。君は今は身体を治癒することだけを考えなさい。治ったら一緒に、今度は二人きりでボンベイに行こう。

お土産は君の大好きなCeylonの紅茶をもう買ってありますから。

書きたいことは山あれど、小生眠くなって参りました。
このあたりで筆をおかせてください。
おやすみなさい。
  1. 2018/02/27(火) 18:21:49|
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キャンプお礼公演終わりました。

昨日はMC個人協賛者に対するお礼公演でした。
公私ともに親しくさせてもらっている東川口のu3chiでの公演。
招待者の一人だけ、急用でこれなくなったけれども、その他の人は皆来てくれました。
キャンプ参加者も1/3ぐらいの人は来てくれました。

にはたづみプロジェクトの理念の一つでもある、「贈与主義」。
誰かが誰かに何かを与える、その与えられた誰かは誰かに何かを与える。贈与の輪廻が世の中を巡る。そんな21世紀を提案したい。また、それに対して小なりといえ、行動していく。
他の講師はともかく、少なくとも僕は大した人間ではないが、それでも自らの貧弱な知性や経験を振り絞って、誰かに何かを伝える。
僕たちが誰かに何かを伝えたい、そう思ってもその場を作ることは一人ではできない。
その場を作るためにキャンプの運営スタッフは、自分の時間や労力をキャンプの為にプレゼントしてくれるのだ。
学びの森のスタッフの皆様も、可能な限りの知恵を絞って我々のキャンプ開催を応援してくれる。
そして、そのような動きを見て、しかし経済的に困窮している我々を見て、賛同してくれた人々が、金銭を贈与してくれた。

そしてそうやって生み出されたキャンプを参加者たちは、限りなく安価に参加することが出来る。

世の中の変革は、必ずしも善意によるものではない。むしろ、滅びゆく前システムが、おのずと変革を生み出す。

しかし、昨日の一日は、善意の集合体としての一日であったと思う。

誰かの為に、手弁当で何かをした人々が集った一日だった。


たまたま僕の誕生日であった。皆が本当に祝ってくれた。
近年で最もうれしかった誕生日だった。

協賛者の皆さん、上野家、ノーギャラでやってくれた講師の皆様方、参加者のみんな、ありがとう。

今年のキャンプも、フルスロットルで行くで!!
  1. 2018/01/15(月) 14:49:16|
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あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。
師走のごたごたから、新年にかけて、ずーっと何かの料理を作り続けていました。
おかげさまで新年明けた感に大変乏しい新年となっております。

今年の抱負というのは特にありません。
いつも通り自分の進むべき道を一歩一歩丁寧に進んでいくのみです。

趣味の分野では、小麦粉を使った料理、点心のようなものや、うどんにチャレンジしてみたいと思っています。またインド料理も極めて行けたらと思っています。

私生活的には、埼玉の田舎のほうに引っ越せたらいいなと思っています。
ピアノを思いっきり弾くことができる家に越したい。

今のマンションには10年住みました。
様々な思いが去来するマンションですが、そろそろ動いてみてもいいなと思っています。


今年も皆さま、よろしくお願いいたします。
  1. 2018/01/09(火) 14:23:33|
  2. 徒然と
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僕にとっての2017年

君の中の悲しみや苦しみは、音楽の中で燃焼したらいいじゃないか。
そして君は人生の次の小節へと進んでいけばよいのさ、インドの不思議な人は、そういった。

あらゆる扉が閉じている。必死に扉を開けようとした。
時には外から鍵を開けてもらい、時には自分で体当たりして扉を壊し、開け続けた。

八方塞がりの一年。
あらゆる人々の助けを借りた、あらゆる人々が助けの手を差し伸べてくれた。
あらゆる人々に迷惑をかけた。それでも僕を見捨てずにいてくれたみんな。
感謝の気持ちしかない。


音楽と自分以外何物も存在しない、あの境地。
心の中の本当の底まで深化した。そして浮上してくるにつれ、我に返る。オーケストラの存在、指揮者の存在、聴衆の存在。燃焼し尽くした先に存在する、本当の無我の境地。

打ち破る扉は自分の心の扉だったのかもしれない。
扉は閉じてはいないのだ。閉じているように、感じていただけなんだ。
でなければ、僕は今ここに立っていることはないはずだから。

僕は次の小節へと進む。人生の次の小節へ、
  1. 2017/12/22(金) 14:26:38|
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僕の未知のエナジー

今年上半期を終えました。

思えばこの半年間本当に色々なことがありました。
たくさんの、忙しい日々を過ごしました。トリオの大規模なツアーもありました。
僕は、たくさんの、悲しみを抱えつつ、たくさんの、悔しさを抱えつつ、たくさんの絶望を感じつつ、それらをこなしてきました。

ある人に、真さんはすごいよ、といわれました。真さんには未知のエナジーが備わっているのだね、と。

僕自身は、今思えば、苦しまなければならない苦しみの中に存在した訳ではない。
自分から不必要な苦しみの中に飛び込んでいってた、その事は今となってはよくわかります。

でも、自分自身があの途方もない苦しみの中ででも、少しずつ、音楽を進歩させ、仕事を進めていく、その精神力は未知なるエナジーだよ、と言われました。

僕は多くの人々の助けの中で生きてきました。
大村や、新太郎さんなどは最も身近で僕を見てきて、そして有形無形に限らず助けてくれました。
何よりも音楽で僕を支え続けてくれました。
プライベートな中でも本当にたくさんの人の助けを得て、人に迷惑をかけ続け、それで漸く立っていられる、いや立たせてもらっているだけの僕、に、何の精神力もあるものか、と僕は反論した。

今年は方位的にいえば僕は八法塞がりの年になります。方位除けはお願いしていって来てもらいお札はもらってきたものの、僕はやはり閉塞感を感じていた。
でもそんな中、インドに行き、ツアーを続け、沖縄にも行き、助川のレコーディングも企画し、そしてラプソディーに対して、自分が納得いくまで向き合い、自分の中の一つの殻を破ることが出来たと思う。その事は、僕が陥っていた八方塞がりを自ら打破したことになりはしないか?そう僕は感じています。どんなにどん底でも、どんなに人の助けを借りたとしても、僕は前に進んだ。前に進むことが出来た。その事を、その人は未知なるエナジーといったのだと思う。

この上半期を終え、僕は新たなる自分への旅に旅立つことになりそうです。
現実に、8月はニューヨークに演奏を兼ねて行ってきます。
何か新しい事が起こるに違いない。そして、9月にミュージックキャンプ。10月もまたトリオのツアーです。そして、11月には今回ニューヨークに行く目的の一つでもある山中一毅君と、僕のトリオとのツアーもあります。
僕にとって色々な大きな仕事がたくさんあります。
僕はそれらに全力で向かう事により、新たに自分を深化させていくのだろう。

未来に存在する、善悪美醜の事柄は、僕を喜びに顫わせ、そして苦痛のどん底にたたき落とし、そして、それでも又僕を前へ推し進めるのだろう。
それが僕の未知なるエナジーなのだろう。
その宿命は受け入れなければならないだろうな。





  1. 2017/07/28(金) 14:19:14|
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ラプソディーインブルーのコンサートを終えて。

ラプソディーインブルーの演奏が終わりました。
この仕事をただの仕事として捉えるのではなく、僕にとっての新たなる挑戦であるととらえ、取り組んできました。僕にとってはこのシンフォニーが、堺フィルであろうが、ウイーンフィルであろうが、同じ取り組みをしたと思います。そういった外的な要素は僕にとっては関係がない事です。
僕はこの作品に対して、どれだけ深化したところで即興を紡ぐことが出来るか?という事をテーマにしてきました。
表面で曲を解釈したり、適当にアレンジを施して、それに対してのアドリブソロをとる、という感覚ではなく、僕の中に、ガーシュインの、ラプソディーインブルーを、本当の意味で落とし込んで、それをお腹の中に抱え、自然に発生してくる音を紡ぐ。そうありたいと思い、この半年取り組んできました。
本番一週間前のオケとのリハの段階では、まだ僕は表層の中にいました。
ラプソディーインブルーは僕の左脳の中にいました。左脳コンピューターは、失速し、音楽を見失っていました。
一週間かけて、僕は少しずつ、蓄積したラプソディインブルーを、右脳へお引っ越しさせていきました。

前日のリハ、当日のゲネ、全ての時の僕の意識は変化していきました。
当日のゲネを終えた段階で、僕は完全に右脳的に、感覚としてラプソディーインブルーを捉えることが出来たと確信しました。

本番、カデンツが始まりました。
曲が進み、幾つめかのカデンツの時に、存在しているのは、僕と音楽だけである、との事に気付きました。満員の聴衆、オーケストラのメンバー、指揮者、存在していなかった。
存在しているのは、僕と僕の奏でる音楽だけだった。
深く、深く、自分の意識の中にダイビングしていった。そして、そこには、静かな、静かな自分の意識との対話しか存在しなかった。
いや、実はその事に気付いていなかった。
カデンツが終わりに近づくにつれ、深い意識のそこから浮上し来る、すると少しずつ、オーケストラが、井村君が、聴衆が意識されてきて、海面に浮かびあがる。井村が棒を振り、オーケストラが起動する。その時初めて、僕は、本当の意味での、深い意識の底に潜り、そこで自己との対話をしていたことに気付いた。
何も考えていない。音楽に対してのこざかしい気持ちも、ちょっとした虚栄心や、恐怖も、一切の音楽的でない、意識がそぎ取られた、深海へ潜っていたことに気付いた。音楽と、それに向き合う自分しか存在しない空間にいた。

オーケストラや曲、聴衆を無視していて、利己的に演奏していた、そんな風にとらえられる発言かもしれない。そうではない。そんな次元ではない、本当の意味で、自分を見れた。新しい自分の意識を開拓した。

作り出された音楽が、他人から見てどう見えたか、どう感じたか、どう評価されたか、その事も僕にとっては気にならないわけではない。だけど、この演奏に関して、僕は、誰が何と言おうと、自分が到達した境地の値打ちを自分で感じ取る。
演奏が酷評されたとしても、それは僕には関係がない事です。
自分が真剣に向き合ったこと、それに対しての、したたかな手ごたえを感じ取ることが出来た。
とてつもない財産を手にしたと思います。
音楽の完成度ではなく、僕は100%の満足を感じています。

僕は、真剣に音楽に向き合ってきて、本当によかったと思います。

こうやって自分に向き合える機会を与えてくれた、同級生の井村君、そしてそれを是としてくれた堺フィルの皆様、そして来てくれたたくさんのお客様たちに、感謝の気持ちでいっぱいです。

本当にありがとうございました。


  1. 2017/07/24(月) 20:57:22|
  2. 徒然と
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物事に対するチャレンジ

ガーシュインのラプソディーインブルーのオファーが来たときに、とてもうれしいと思った反面、大変だろうなと思った。
全てのカデンツを即興でやること、軽くアレンジを施す、という程度ならだれでもやっていることだろうが、全カデンツを完全即興で、ソロでやるのは、世界でもそう沢山の人がやっていることではないだろう。
頂いた仕事を、仕事としてこなすだけであれば、何てことないこと。
だが僕にとってこの、ラプソディーインブルーに取り組むという作業は、また新たな自分の越えなければならない、与えられたオーバーハングとして捉えてた。


思えば僕は人生の選択肢において、必ずリスクのある方向を選んできたような気がする。
ほとんど誰もやったことのない冒険を選んで生きてきたような気がする。
自転車でのツアーなどやる前は誰もが馬鹿なのではないか?そう思っただろう。
新太郎さんとのほぼ成功率3割のトリオを、お客さんにほぼ見はなされながら、店にももうちょっとわかりやすい音楽をやってください、と言われながらも、ずっとひたすら即興にこだわり続けてきたトリオも今ではそれなりのポピュラリティーすらあるだろう。
ソロも、ひたすらリスクのあるやり方を続けてきた。スタンダードをひたすら即興的に取り組んだ時期もある。完全即興でのコンサートを続けてきた。それも都内ならばわかるが、地方都市での完全即興はリスキーだった。本当の意味で自分を解放できていなければ、絶対に伝わらない。
それらを乗り越えた後は、スタンダードをただシンプルに歌い上げる、という、その時の僕にとって最も難しいやり方でのソロにチャレンジしてみた。

音楽というワールドを冒険すること。それは相対的な意味合いにおける冒険ではなく、僕自身にとっての冒険。
他人から見たら、冒険に見えないかもしれない。無謀に見えるかもしれない。愚かに見えるかもしれない。
だけど、僕にとってはそれらは冒険なのだ。

冒険の目的は結果ではない。それに向き合ったか否か、本気で取り組んだかどうか、が全てだ。


例えばだけど、カデンツの途中、この調に転調してしまったら、もう戻ってこれなくなるかもしれない、でも行ってみたい、と思う瞬間、僕は本番でも迷わずその調に転調するだろう。結果破綻した音楽になったとしても、僕はその選択を選ぶ。
無論僕は、プロのピアニストだ。僕の選択はただの無茶な選択ではない。
僕の選択する、チャレンジ、なのだ。僕の選択による破綻すらアートたりえるという矜持の元、チャレンジするのだ。

誰にとっても、アーティスト以外にとっても、日常の生活の中にもチャレンジの機会はある。ただ、その事に気付いていない。
チャレンジは作れる。
その事に気づくことが、気付けることが、もしかしたら感受性なのかもしれない。

とにかく、新しいチャレンジの機会を楽しみにしたいと思っている。
  1. 2017/07/19(水) 14:09:34|
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東京の暑い夏

車がないと生活できない。一家に一台マイカーを。そういう社会構造を作り上げた。
道路を舗装した。世の中に車はどんどん増えてきた。道は車であふれかえった。

夏。舗装した道路は太陽の熱を蓄え、そして大気にその熱を放つ。
車のエンジンも、熱を放つ。
百葉箱で計測した気温をはるかに超えた気温。
東京の大気は、灼熱のサハラ砂漠より実は暑いかもしれない。

暑い東京。だから、冷房機は必需品。一回に一台エアコンを。社会構造はそういう風潮をもたらす。。
エアコンは室内を冷やしてはくれる。が、その排熱はやはり東京の大気に放たれる。
更に東京の大気は熱せられる。

エアコンを動かすための電気が足りない。
だから、原子力発電所をたくさん作った。

車を作り、アスファルトで舗装し、東京を熱すれば熱するほど、「誰か」は確実に儲かる。

世界一暑い東京に住んで、本当ならば使う必要のない電力を使い続け、その事にお金を使わされ続け、本当に必要な何か?が何なのか?感覚が麻痺させられたところで、働かされ続ける。
そういう社会構造を作り上げてきた。

車がもたらしたものはあるだろう。舗装した道路がもたらしたものもある。
エアコンも、原子力発電所にももたらすものはあるだろう。

また、それらなしで生活することがきわめて困難だ。
そういう社会構造なのだから。仕方がない。それらを拒否して生きていくことは、極めて困難なことだから。

だけど、こういう社会構造を作り上げてきた「何か」が確実に存在する。
その事は知っておきたい。

  1. 2017/07/04(火) 12:08:38|
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ラプソディーインブルーの公開練習をしてみました

公開練習をしてみてよかった。
というよりも、やらなかったらやばかった。全く見えない部分が、見えた。
ガーシュインは、他のクラシックの曲と違って、楽曲の精密さが低いので、なんとなくニュアンスで出来るかな?と思わせる何かがあるのだけど、実際に本番の気分でやってみると、出来なかった。
クラシックとジャズの間に存在する曲なのだけど、やはり、譜面との距離を縮めていく作業は必要だと思った。
カデンツの部分も、つながるという意味合いにおいてはつなげることは出来たけど、自分自身の普段のジャズの即興とは程遠い、自分との距離が遠すぎるものになってしまった。
一時間ほど曲を試してみたけど、得たものは、出来ない、という結論だった。
出来ない、全く出来ないことに対して、人前でチャレンジしていること、かっこ悪いことです。中村真を尊敬するミュージシャンたちが幾人か来ている人の前で、恥ずかしい演奏をすること、嫌だったけど、むしろそういうかっこ悪い姿を恥も外聞もなくさらけ出している僕の事を、逆にかっこいいなと思うようにもなった。

来てくれた幾人かのミュージシャンに対して、感謝の意味のをこめてスタンダードを数曲弾いた。
その中で、ドルフィンダンスを演奏したのだけど、最後のEのペダルの時に思いついて、ラプソディーのテーマを引用して、そこからラプソディーの即興につないでいった。
その時に初めて、自分との距離が0に限りなく近い、ラプソディーインブルーの即興が出来た。
手ごたえを初めて感じられた瞬間だった。

もう一度公開練習をします。
一週間後の9日にやります。

聞きに来たい人は来てください。
15時開場、15時半開演です。
終わってから飲みましょう。
  1. 2017/07/04(火) 11:36:37|
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アーティストがなすべき政治参画とはvol,2

沖縄慰霊の日。昨日は沖縄の慰霊の日でした。慰霊の日といっても沖縄以外の人にとっては何のことかわからない人も多いと思います。

沖縄戦が終結した日を沖縄では慰霊の日と定めています。

石垣島に斎藤悌子さんという素晴らしいシンガーがいます。もう80を超えたおばあちゃんで、でも本当にチャーミングでお元気な人です。
僕は、数年前の慰霊の日に石垣島で悌子さんと共演しました。
悌子さんは占領下の沖縄の米軍基地などで歌っていたシンガーです。いわば、昭和の本物の日本のジャズシンガーです。
色々な沖縄での想いや、様々な物事を見てきた人だと思う。
悌子さんは、慰霊の日だから、私はダニーボーイを歌う、といって歌いました。
本物のダニーボーイ。禎子さんの、心の中の、戦争に対する想い。それらを歌ってくれました。


それから一月後、僕は稚内にいた。その日は、北海道の輸送船団が米軍の潜水艦に沈められた日であった。テレビではその報道がなされていた。
おそらく、その悲劇を沖縄の人は知らない。そして、沖縄慰霊の日の事を、北海道の人はほとんど知らないだろう。
僕は、斎藤悌子さんの事を話し、慰霊の日の事を話し、そして、稚内の人々の前でダニーボーイを演奏した。
悌子さんの、沖縄の人の想いを、最果ての地から最果ての地へ、届けた。


僕の大好きな沖縄。何度も何度も沖縄を訪ねている。
そして、遥か昔に起こった戦争の、多くの日本人にとって、それは忘れ去られつつある戦争の事、それは、沖縄ではまだ、自宅の隣にある事柄なんだ。
泊めてもらっていた儀保家の別館、二重サッシになっている。北海道でもないのになぜか??
戦闘機の騒音の為なのだ。
みんなにとって、ブラウン管の中の出来事は、沖縄では現実の問題として、身近な問題として存在している。
基地があることのメリットを享受している人たちもたくさんいる。だけど、日本の国の中に、外国の軍隊があることに僕は、違和感を感じずにはいれない。
沖縄では、まだあの戦争の、においが残っているような気がするのだ。

僕は日本中を旅している。だから、日本中に友達がいる。日本に起こる悲劇のすべては、僕にとって友達の事なのだ。
誰だって友達の事は心配するだろう。だから、僕にとって日本で起こる悲劇のすべては、心配なことである。

そこで少しだけ空想を広げてみたらいい。
世界の全く知らないところの悲劇、それも、誰かの友達の悲劇なんだ、と。
誰かの大切な人の命が、奪われている。そう考えることが出来るなら、あらゆる事柄が、他人事でなく感じ取ることができる。

世界の人々が、全員、そう感じることができたら、この世の中から争いが消えて、公平な世の中が生まれるのではないだろうか???

誰かが率先して、そう考えることが必要なのではないだろうか???

基地の問題に対しても、ウヨクの人たちは、いろいろと好き勝手なことをいう。
見たことがあるのか?沖縄の基地を。そこで暮らす人々の話を聞いたことがあるのか??
所詮は他人事として話しているだけだろう。

世界に冠たる民度の高い、日本人。そうウヨクの人は思っている。
であれば、朝鮮や中国の人々の幸せを、願えないものなのだろうか??
本当に民度が高い人々は、他人の不幸を喜ぶだろうか??危機感をあおって争いごとを起こさせようとするだろうか??

大東亜戦争は正義の戦いであった。そうウヨクの人は思っている。
であれば、朝鮮や中国を欧米列強から解放したこと、それは、彼らの幸せを願っての事ではなかったのか??

誰かが率先して、そう考えることが必要なのではないだろうか???

誰がやるの?それは、あなたです。
あなたがやればいい。あなたは微力です。だけど、誰かがやっていかなければ。

それが僕が考える、政治参画です。







  1. 2017/06/24(土) 15:05:18|
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沖縄に帰りたい

今回沖縄、楽しかったけど早く埼玉に帰りたいという気持ちも心の何処かにあった。理由は解らない。
埼玉に待つ人がいるわけでもない。楽しみな事があるわけでもない。でも何故か帰りたかった。

前回の沖縄滞在、自分の誕生日の旅行が最悪なものに終わったこととか、色々思い出していたのだろう。沖縄を楽しいと思う心すら、僕は失わさせられていたのかもしれない。

昨夜の晩、訪ねてきた友の全てが帰り、独りになった。
そして、ただ城間と二人で杯を交わした。
遅くまで飲んだ。

最終日の今日、最後の昼御飯をうるかそばでビールを呑みながら煮付け定食を食べてたら突然!帰りたくなくなった!



沖縄にいたい。



沖縄から帰りたくない。
そう思った。沖縄は、いつも僕にそう感じさせる。
あらゆるところを旅している僕が、唯一家に帰りたくなくなる場所。それが沖縄。
そして、沖縄の人々なのだ。

また沖縄に行こう。

  1. 2017/06/20(火) 18:57:37|
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くだもの

くだもの ~真辞苑より~

くだもの。書き方、下者、下物、等。
果物にその語源を発する。

腐った果物が地面に落下してぐちゃぐちゃにつぶれてみる影もなくなり、寄ってくるのはハエや蟻のみという状態から、ほんとうに下らない人や、物を、下者、下物と呼ぶようになった。

用法。
下者
1)あいつは本当にどうしようもない下者だ。
2)あいつがこれほどの下者だとは流石に気付かなかった。

下物
1)このエレピ本当に下物だ。

2)この腐りきった果物は本当に下物だ。

利点。

下らない、屑だ、等という言葉にはネガティブな印象が付きまとうが、下らない者を表するに、下者、という言葉を使うことにより、発信者自身の人格を損ねない。メンタルヘルスを損ねない、等がある。

  1. 2017/06/19(月) 11:59:41|
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関空へ向けて

とてもとても眠かった。空いていた関空快速の座席をフルに使って僕は熟睡した。
ふと気がつくと、関空快速は停車していた。そして関空から大阪へ向けてまさに今出発しようとしていた。

実は何度も飛行機に乗り遅れて大変な目に遭っている。
JRの遅れのせいで関西行きのスカイマークに乗り遅れ、スカイマークの便は振り替えてもらったが、五時間待ち!僕はJRに新幹線に振り替えるように要求したが拒絶された。何故、自社の失態を、他社にケアさせるのか理解できない。本当にJRが嫌いだ。

東松戸駅で北総線を待っていた。普段必ず4番ホームに来るアクセス特急がその日に限って3番ホームに来た。恋人と共にその事に気づかず、仕方なくジェットスターのチケットを無駄にしてバニラエアに乗った。札幌行き。

関空から東京へ戻るのに、ピーチエアを使った。
駅で立ち食いそばを思わず食べた。余裕を持って出たつもりだった。だが、丁度その立ち食いそば分の時間で、間一髪間に合わなかった。
仕方なく新幹線で戻った。

これだけならばまだよい。
成田で、渡米するときに、税関でパスポートを出した。
すると、パスポートは?といわれた。
今出しているというと、期限切れだと!昔のパスポートを持ってきていた。なんたる失態!やむを得ず翌日の便をとり、渡米した。
思えば何度もどじなことをしてきた。
今回もその轍を踏むかと思ったが、間一髪目覚めて電車を飛び降りて事なきを得た。


  1. 2017/06/14(水) 15:37:13|
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会社を作った

会社を作った。
数人の従業員のいる小さな会社。
最初は大変だったけど、作りたいもの、伝えたいものを作り続けた。
それらに好感を持ってくれる人々が現れた。大好きだと思ってもらえる。とてもうれしい。
会社の経営は少し軌道に乗り始めた。
従業員の数を増やし、会社の規模を拡大したいと思った。
そのためには作りたいもの、伝えたいものだけを作っていては無理。
作りたくないけど世の中が求めてるものを作らなければならない。
心ならずとも、そういうものを作り始めた。
会社は順調に大きくなった。
更に従業員の数を増やし、会社の規模を拡大したいと思うようになった。
100人単位、自社ビルを一棟持つようになった。
その為には、作りたいもの、伝えたいものを作っていてはダメだった。世の中が求めてるものだけを作る必要があった。
会社は順調に大きくなった。
大会社といってよい会社になった。

最初に、自分が作っていたものを好きでいてくれた人々は今は身の回りにはいない。
今自分は、使いきれないほどのたくさんのお金と、本当に必要なのかわからない贅沢なものに囲まれて生活してる。いつ乗れるかわからないフェラーリ、ダイヤの指輪、100万もするヴェルサーチのコート。
だけど、自分が本当に大好きだったものは、身の回りにない。
心から信頼しあえる、利害関係のない友は、周りから去った。
金銭など、必要なだけあればよい。
身の丈にあった会社の規模であればそれでよいのだ。慎ましやかに生活出来ればそれでよいのに。

でも、今はその事に気がついてすらない。
世間の暗黙が強制するがまま、ひたすらに会社を大きくすること、その本来副次的であるはずの事柄に、夢中になる。
我を忘れ夢中になる。
生きる目的を見失ってる。
だけどその事に気づいてすらいない。

大富豪になったら幸せになれる。

わけではない。

幸せを、感じとることすら出来ない、いや、自分が実は不幸であることにすら、気づけない人間になっていることに、気付いてない人間になった。


  1. 2017/06/11(日) 13:23:05|
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思いを伝えること

心の中で思ってることって、誰もが話してくれるわけではないんだね。

能動的にも素直な言動は人を不快にさせる。

わだかまることがあったとして、その事を伝えてくれる人ってかなり貴重なんだな。
僕は、思ってることを伝えるけど、そんな人は稀なんだね。

普通は、黙ってシャットアウトなんだね。
あなたをシャットアウトします、っていってシャットアウトしてくれる人はまだ親切なんだね。

だから、その人はシャットアウトされてることに、しばらく気づかないんだね。

気づいたときには、かなりの人からシャットアウトされてるんだ。癌細胞みたいに、回りに自分をシャットアウトしてるひとが増えて、もう取り返しがつかなくなるくらいにまで進行して、はじめて自分が愚かだったことに気付いたりするんだろうね。
かわいそうだね。でも仕方ないね。

思ってることを僕は伝えるから疎まれたことも多いけど、だからこそ得てきた信頼もたくさんある。
だからぼくを慕ってくれる人もたくさんいてる。
自分が正直に生きてきた結果得た財産なんだ。

正直に生きてると正直な答えが返ってくる。それらに虚心に耳を傾ける。
すると、色んなことが見えてくるし、色んなことが学べる。

受動的に素直でいたい。

そして、能動的には頑固でいたい。

自分の哲学や理念を一生のスパンで貫き通す覚悟を胸に蓄えて生きていきたい。


http://nakamuranokangae.blog55.fc2.com/blog-entry-77.html?sp

この文章の対句です。

  1. 2017/05/26(金) 13:46:30|
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ネット上で色んな政治的な意見を述べている人たちに対して思う事。

ネット上でいろんな政治的な意見を述べている人がたくさんいるが、僕の目から見てまともな意見を述べられている人はほとんどいない。ほとんどが、自分の信じたい情報を信じてそれをシェアして、それ見たことか!!的なもの。
情報には、必ずバイアスがかかっている。一つの事象、情報に対する価値判断は、右に100の価値があるとすれば、必ず左にも100の価値判断が存在する。それは人間の主観というバイアスが必ずかかるからだ。
故に、ある、自分に都合のいい情報、Oh yeah!、ではなく、逆の価値判断の存在を意識してみたらいいのではないか、と思う。

情報の蓄積や歴史の学習で、何かがわかるわけではない。それらを基にして、思考しなければならない。
思考とは何か?リテラシーもそれに含まれる。が、僕は最終的には、自分の哲学や理念を持つことだと思う。

世の中のほとんどの情報や、プロパガンダ的なものは、最終目標として、人々が自分の哲学や理念を、持たれては困るというバイアスがかかっていると言い切ってもいい。
思考されることが最も為政者にとって困ることなのだ。

はっきり言って、為政者が捲いている、反体制的な情報、それらをうのみにして、「不平」を述べさせて、ガス抜きをさせられている、ただそれだけの事を政治参画だと思わせられていることに気付かなければならない。

支配被支配の構造は、江戸時代と今とでは複雑さが異なる。
しかし、厳然と存在する、支配層が、現政権を支持するのは当然のことだと思う。
だが、被支配層が、短絡的なアジア諸国の脅威論に乗せられて、体制翼賛されている様は滑稽だ。
北朝鮮がミサイルを日本に打ち込むことは、絶対にない。絶対にないです。
そんな簡単なことが、わからない。

商売のコツは、危機をあおること。よく見ると、あらゆるところで危機感をあおってコマーシャルが成り立っていることに気付くはずだ。それと同じこと。
メタボは怖いですよ、青汁を飲みましょう、納豆は万能色だ、ステロイドは危ないです、フッ素は毒だ、放射能は危ない、北朝鮮は気違いだから何をするかわからない、等。

フッ素は毒だから歯に塗らないで、子供を虫歯だらけにしている。確かにフッ素は毒だろう。どの程度の毒なのだろうか??
フッ素を塗ったおかげで、80まで20本の歯が残るような健康を手に入れるのと、塗らなかったおかげで60で総入れ歯になるのとどちらが健康だろうか?
フッ素を推奨することにより、推奨する側にどういうメリットが生じるのだろうか??
そういったことを、色々と考えていく必要があるという事です。その上で、自分の考えを持つべきだと思うのです。

僕自身は、あらゆる事柄を対立構造としてとらえてはいません。
僕自身が、にはたづみプロジェクトなどで提唱する「精神主義」「贈与主義」的な理念は、必ずしも、資本主義的な理念のアンチテーゼとして存在するわけではありません。資本主義的な理念からの贈与、もあるだろう。いや、現在において存在する贈与の理念のほとんどは、資本主義的な理念によるものだろう。
だが、それを、我々時代に先進するアーティストは、アーティストの目線から、それらをより善意を源とする贈与主義へと移行することを、各自が思考することにより、ほんの少しずつ推進していければいいと思っています。

そして、僕たちが死んだ後の未来になるかもしれないけれども、本当の意味での精神主義の到来を心待ちにしたいと思っています。


http://makoppo081.blog52.fc2.com/blog-entry-1153.html
これからの世の中がどう変化していくのか、僕の考えを述べる。
vol.2もあります。



  1. 2017/05/19(金) 17:06:41|
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北海道ツアー終わりました!楽しかったです!!

大村亘とのDuoツアー終わりました。
ドラムとのDuo自体は関西在住の時に村尾浩史と散々やってきたので僕的には馴染みのある編成でしたが、トリオでやりこんできた大村とのDuoは果たしてどうなるのか?期待半分不安半分でツアーに挑みましたが、結果としては何の問題もない、どころかかなり手応えのある演奏となったと思います。
若い頃の村尾浩史とのDuoの時にはもて余しぎみであった、ベースがいない事によって生まれてくる空間を、楽しむどころか、むしろ意図的に作ってみたり、トリオではトライしてなかった大村のバラードでのドラムソロにより、彼のドラムから発信されるメロデイー、ハーモニーをより深く吟味することが出来たことも収穫であった。
惜しむらくはDuoでしか出来ない曲、というのを多く見つけることができなかったといったところかもしれない。
このツアーでの手応えは、必ずやトリオの演奏に対してフィードバックされることであろう。
Duo編成での活動もトリオに平行してやって行けたらと思っています。

最終日長沼タツルと三人で演奏したがそれも楽しかった。タツルのスタイルではベースを欲しがるかと思ったが、あえてこの変則的な編成にチャレンジしようとするタツルの姿勢も素晴らしいと思う。
また、久しぶりのタツルは進歩していた。
端正な素晴らしいジャズギタリストだと思う。

最後にお世話になりまくった留萌土田さん谷口さん、大野さんはじめ素晴らしい北菓楼のスタッフのみんな、呑みに付き合ってくれた札幌の仲間たち、みんなありがとう!!

  1. 2017/05/18(木) 15:21:57|
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ツアー終わりました。ありがとうございました。

Makoto Nakamura Trio CD発売記念ツアー終わりました。精神的に本当に厳しいなか続けてきたツアーでしたが、メンバーに助けられ、いいツアーになりました。
新太郎さんは、音楽家は基本的にLonleyなのだ、といった。確かに孤独です。
ステージに立ったとき、トリオというユニットであったとしても、僕は、メンバーに助けられてステージに立っているわけではない。自分自身の足でステージに立って、打ち負かされたときにも自分でた立ち上がらなければならない。
だけど、Lonleyではないのだ。メンバーは僕を助けてくれるのだよ。僕がステージに立つことを待ってくれるんだよ。
ジャズって、そういう、厳しくも優しい音楽なんだよ。
そんなことを、改めて思い知ったツアーでした。

僕は30代、自分自身の音楽表現の「難解」との格闘を続けてきました。
自分の理想とする音楽像が、リスナーに理解されない。それどころか共演者にも理解されない。
心を挫くこともたくさんあった。だけど、その都度僕は立ちあがってきた。孤独との格闘を続けてきた。
今回、どんなに自由な、即興的な演奏を繰り広げても、お客さんは、感動してくれた。
僕は、自分自身が難解を通り越したと思っています。難解とはそもそも何なのか?僕は、自己表現と、その間にある左脳的なロジカルだったり、精神的な躊躇であったり、そういうものが、「難解」へと繋がっていたのだなと思う。
僕の今の表現は、より、ダイレクトになっていると思う。躊躇もロジックもない。あるのは、純粋な自己表現だ。
そして、それを、受け止め、より高い次元へと昇華してくれるメンバーのおかげです。

疲れ果てた。腕もパンパンに腫れあがっている。
だけど、果てしなく得るものは多かった。

出演させてもらったお店、来てくれたお客さん、協力して企画してくれた皆さま、本当にありがとうございました。
これからもトリオは進化していきます。次は、5/9(火)吉祥寺サムタイム。僕の中では、楽しいエキジビジョンマッチです。
仲間もいっぱい見に来てくれます。よかったら見に来てください。
楽しく演奏したい、何も背負わずに、何も考えずに。

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  1. 2017/04/24(月) 14:41:34|
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金子雄太とのツアー終わりました。楽しかった!

ツアー終えて家に戻りました。

今回は、本当に最初から最後までいい思いしかないいいツアーでした。そういうことはなかなか珍しいのです。

僕にとって何が重要なのか?というと、僕たちの奏でる音楽を、大切に扱ってくれるかどうか、です。

ハーミットの壇さんも、ファースト終えるとあー気持ちい、と声をかけてくれた。

ランプのマスターは、僕のYouTubeを見て調律師と音を作ってくれていた。集客が今一つであったケリーズの窪田さん、嫌みのひとつでも言われるかと思いきや、僕が演奏上生きてること(雄太に生かされていたこと)を、まずそれでない僕の演奏など聞きなくないといってくれた。

岡山の井上さんはじめ、ピアノの先生方の有志の企画者の方々も大喜びしてくださった。

インターリュードの丸岡さんも、企画の段階から好意的に接してくれた。

シンガーのマリちゃんも、我々の間で歌う経験を出来たことを心から喜んでいることを僕に伝えてくれた。本気の言葉で僕たちに話してくれた



来てくれたお客さんも、皆喜んで帰ってくれた。

馴染みのお客さんはわざわざツイートで本当にいいから!皆行って!とコメントを下さった。

他の人からも、本当に良かった、心から良かったという感想を何度も何度も伝えてもらった。



僕にとって大事なことは、お金ではない。

お金でない心の触れあう価値を、共に共有することなのです。



そして金子雄太さん。本当にあなたは素晴らしい音楽家であり、素晴らしい人間であり、紳士だと思いました。

正直で、真摯で、思いやりがあり、素直で、ぼくは本当に人として尊敬しています。

同い年の友として、音楽家として、彼は僕にとって得難い人です。



彼には、プライベートなゴタゴタでどうにもならなくなったときに、演奏をキャンセルし、迷惑をかけた。でも彼はそんなこと何一つ意に介してなかった。

真さんの回りには本当にいい人ばかりがいるね。本当によく言われる。



僕にとって、友は何よりの財産なのです。

今回世話になった皆さん、本当にありがとう。僕はいつか何らかの形で恩を返していきたい。

実りあるツアー、ありがとう!!

  1. 2017/03/09(木) 02:58:02|
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インドでタブラのプライベートなお稽古を拝見したこと

インド古楽器のタブラという打楽器を、大村くんは学ぶためにインドにいてるわけですがその兄弟子のレッスンというか、師匠の前での御披露目演奏のような、極めてプライベートなシーンに立ち会う事が出来ました。タブラとは指で叩く打楽器で、極めて技巧的なスタイルの打楽器です。
弟子とはいえ、インドでもトップクラスの人二人が寸分の狂いもなくユニゾンで20小節くらいの節回しを演奏していく様に圧倒されました。
しかし、その部屋に入った瞬間に、その師匠の佇まいをみて、これはすごい人だなと思いました。
ただ者ではないオーラ。僕も芸術家の端くれです。立ち居振舞いだけである程度の事はわかります。
先生がタブラを片方だけ持った。タブラは口伝なのです。先生がその場で作った節回しをその場で弟子は再現していく。
少し難しい節回しになったとき、片方のタブラだけを取り出して伝えようとしたのだと思います。圧倒的な音の立ち上がりの違い。両方のタブラをついに取り出しました。
凄い!こんな演奏を、間近で聞けるなんて!
二時間ほどの体験でしたが、例えて言うならハンクジョーンズの家でハンクさんのレッスンを受けてる若手トップピアニストの演奏とハンクの演奏を聞いたようなものです。それよりも僕にとっては価値のあるものだった。コンサートとは違う。僕たちにとってはコンサートを聞くよりもある意味興味深いシーンでした。
あのあと食べに行った食べ放題のカレー500ルピー。めちゃうまかったぞ!

  1. 2017/02/25(土) 09:58:21|
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