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真・の・ブログ

日常的な事、ちょっと考えさせられるような事、まじめな事、不真面目な事、料理の事自転車の事等々等々、音楽の事以外の事を徒然と書き綴っていくつもりです。 が、どうなるかはわかりません。

新型水虫?!

実は、右足の指に水虫があります。数年前に爪水虫を完治した指なのですが、一年ほど前に普通の水虫が発症しました。

水虫は症状が改善してからも数ヶ月間は投薬しなくてはなりません。
爪水虫に至っては、症状がなくなってから、一年間ぐらい投薬しなくては治らないのです。
僕はその爪水虫を投薬により完治させたことがある、いわば水虫のプロです。
一年前に発症して、それは数ヶ月の薬品の塗布により完治したかに見えた水虫は、半年後に勢力を拡大し、再びやってきました。
それが、今年の2月ぐらいの話だったと思います。
色々ばたついていて、医者に行けずにいて、3月ぐらいに医者に行きました。いつものテルビナフィンを投与されました。
ところが、通常水虫は、薬を塗り始めて一週間ほどで症状は治まり、ひと月もすれば、健康な部位となんら変わりのない見た目に変化します。
ところが、ひと月塗っても症状に変化がないどころか、幹部は拡大してきて、親指の根元まで広がりました。
かゆみも収まらず、皮の剥けも無くなりません。
それでも根気よく2ヶ月塗り続けたのですが、ついに今日皮膚科の門を叩きました。

先生に経緯を話すと、実は最近テルビナフィンに耐性のある新型水虫がインドを中心に流行っているとの話!!僕はインド渡航経験があることを述べると、先生は目を丸くして、その学説の正しさを自分の目で確認できたことに対する満足と、自分の診断の正しさに満足した表情を浮かべました。
今後日本で新型水虫が爆発的に広がったとしたら、その宿主は、僕かもしれません。
悪しからず。



アスタット軟膏に切り替えました。

テルビナフィンが余っているので、欲しい方は譲ります。




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  1. 2020/05/18(月) 22:23:47|
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家庭菜園三年目

我が家の野菜。
元々あったアスパラガスの苗は三年目でまだ収穫できる。それほどの収量は期待できないが、サラダのおまけ、ぐらいには例年取れている。
昨年秋に種まきした絹さやは、順調に育ち、何とか収穫にこぎつけた。市販の一袋、くらいは毎日取れている。これらは値段の高い作物なので、そういう意味では「元」が取れている。
ラディッシュは昨年、実は付かず、葉っぱは虫に食われ、惨憺たる結果となったので、この、まるで売り物かと見紛う立派なものの収穫はとても嬉しい。

2018年に今の東松山の広い一軒家へ引越しした。ドクダミとミントだらけの荒れた空き地が敷地内にあったので、開墾した。
農業など何一つ知らない。
畝だて、という言葉も初めて知った。
ただ、昔から農業に対する憧れを持っていた。

家庭菜園を始め3回目の夏野菜を植える季節。
失敗を常に繰り返しチャレンジしてきた野菜づくり。
こんな世の中になったので仕事もない。逆に徹底して農業に対するスキルを身につけてみたい。

立派な野菜を作ってみせますぞ今年は!!




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ジャガイモの芽

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玉ねぎと絹さや

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とれたてのアスパラガスとラディッシュと絹さや
  1. 2020/04/27(月) 14:11:47|
  2. 徒然と
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三鷹UNA MASがクローズします。

長年お世話になった、三鷹UNA MASが閉店することになった。
上京して少し落ち着いて間も無く開店したUNA MASには、世代を越えた友情でつながっている原大力dsさんの紹介で出演した。
それからというもの、ぼくを毎月出演させてくれる限りなく珍しい店だった。
UNA MASは、店の好みでしかブッキングをしない、今時珍しい店だった。
言い方を変えると、開放的な店であったとは言い難いが、ぼくは店というものは、自分の能動的な哲学に則って運営すべきであると思っている。
北海道のとあるライブハウスに、ぼくが自分のソロのアルバムを送り、ツアーさせてくれと言ったら、店から、好みではない、と言われたことがあった。ぼくは店とはそうあるべきだと思っている。
そういう意味では、UNA MASは、稀有な店だった。

ママはぼくのことをとてもよくしてくれた。
山形出身で、山形大好きなぼくとしょっちゅう山形について話をした。
ここ、という記念の日には、気の利いたWEDGEWOODの飾り皿をプレゼントしてくれた。
和音が生まれた年には小さな鼠のプレートをくれた。
それから干支が一周回り、店は無くなる。

残念ではある。が、ミュージシャンとは基本的に孤独なもの。我が道を歩むのみ。
新太郎さんがぼくのトリオを去ったことも同じ。
ぼくは、また自分のこれからの歴史を自分の手で作っていくのみ。

沢口さん、長い間ありがとう。これからも元気でいてください。

  1. 2020/04/26(日) 13:55:51|
  2. 徒然と
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不安は恐怖を呼び、恐怖は怒りを呼ぶ。そしてその先には対立が生まれ、差別が生まれる。

この件に関して自分の論旨を述べることを極力避けてきました。
その理由は、混沌に対して新たなる雫を垂らすことは、さらなる混沌を招く可能性があるからです。
例えていうならば、集団即興をしている時に、場が混沌としている時、さらなる音を放つことはさらに混沌を増す恐れがある、というのと似ている。

みんなおかしくなっている。無理もない。感染するかもしれない恐怖はもちろんのこと、今、未来に不安を持たない人はいないだろう。
漠然とした不安と、怒り、そして悲しみを感じていない人はいないだろう。
それらは人の心を狂わせる。
思想的に、感覚的に、市井の人々よりも先んじている我々アーティストですら、おかしくなっている。

かくいう僕もおかしくなっている。
朝起きた時、言い知れぬうつ的な感覚に襲われる。
無理もない。
静かな、ただ鳥のさえずりだけが聞こえる、温かな朝の目覚め。
本当に幸福な目覚めですら、それが虚構なのではないだろうか?そう思わせてしまう自分の心の中の狂い。

多くの人々は自分がおかしくなっていることに気づいていない。
不安は恐怖を呼び、恐怖は怒りを呼ぶ。そしてその先には対立が生まれ、差別が生まれる。
そして争いが生まれる。

そうなってはならないのだ。

多くの、おかしくなった人が、ネット上で様々な発信をしている。
それらのほぼ全ては、良かれと思って発言し、行動している。
が、その発言や行動は、発信者の思惑とは違い、必ず誰かの不安と恐怖を煽っている。
先日の中村の考え、今アーティストが為すべきことのなかに、言霊について書いている。
言葉は発せられた時点で自分のものだけではなくなるのだ。

不安と恐怖に駆られ、そして生み出された怒りにより、自分自身が狂っていることをまず知らねばならない。
そして、もっと感じ、もっと考えて発言しなければならない。

冷静に発言することが大事なのではない。
冷静でいることが大事なのだ。
世の中が狂っていることを冷静に指摘することが今必要なことではない。

みんなおかしくなっていることも、無理ないことなんだ。

自分と違う考えを持っている人がいて、自分と違う行動をする人がいることも無理ないことなんだ。

そして、それに対しておかしな発言をしてしまう人がいることも、無理ないことなんだ。

何よりも大切なことは、狂った頭が作り出す対立と差別を避けることなんだ。

もっとちゃんと見て、もっとちゃんと感じて、もっとちゃんと考えなければならない。



  1. 2020/04/18(土) 11:50:28|
  2. 徒然と
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現在の僕の本当の意味での危機とは。

あえて僕たちの仕事という言い方をしない。
僕はミュージシャンの中でも仕事のやり方は特殊だと思うし、立場は人によって全然違う。一括りにミュージシャン全般の話としてしてしまうと、迷惑をかけてしまう人もいるかもしれないからだ。

今現在僕の仕事はゼロに等しい状態になっている。まあそれは仕方ない。
僕自身は消費を限りなく抑える生活システムを作り上げていたので、直ちに経済的に立ち行かなくなり、家を売って、とかということにはならない。そのこと自体に先見の明があったというのはいささか買いかぶりではあるが、消費を限りなく抑える生活システム、それすなわち社会依存を減らす、ということに他ならない。
つまりそれは様々な社会的な浮き沈みに対して影響を受けにくくなる。

その上で、僕の大変さ、に対して述べたいと思う。

緊急事態宣言が出され、多くの企業や店舗が閉店している。僕のライブ自体も全てなくなった。しかしそれがなくなったことにより、経済的な損失は少ない。それどころかライブを開催した方が経済的損失が多かった。
まあそれはともかく、多くの飲食店などの店舗は、コロナ収束と同時に平常通りの運営ができることだろうと思う。

ところが僕は、そうは出来ない。

何故ならば、今本来ならば、7月8月の仕事を作っていなければならない時期であるにも関わらず、動くことができずにいるからだ。
いま、ツアー組もうとする動きを取ることも、難しい。相手あっての事柄。そのことを提案すること自体憚られる風潮もある。
つまり、僕は収束しても自分の仕事は何一つなく、そこから仕事を作っていくところから始めなければならない。

また、9月にはAIR SPLASHがあるが、これらは企業協賛や個人協賛により成り立っているが、その協賛金を集めることに対して、積極的に動くのが難しい。
それこそ声をかけるのも憚られる。高松建設ぐらいの大企業ならばまあいいだろうが、個人事業の協賛者に対して、お願いしづらい。
また、参加アーティストも大幅に減ることが考えられる。
そうなると、僕は昨年のAIR SPLASHに関しては、僕はノーギャラで開催しましたが、今年は持ち出さねばならない可能性すらある。

そもそもこの先の具合を見れば、AIR SPLASH開催している場合ではないという風潮が生まれるかもしれない。


僕個人に対して、援助を申し出てくれる人たちは数多くいる。
それはありがたいが現段階において、僕自身の生活を助けてもらう必要はない。
が、未来の起こりうる様々な困難を、どうか助けてほしい。
金銭に余裕がある人は、AIR SPLASHを助けてほしい。
そして、僕のライブをキャンセルしたツアー先の人たちは、よければ僕にブッキングの手助けをしてほしい。
多くの僕を支援してくれている全国の支持者の人たち、よかったら僕に声をかけてほしい。

僕にとって災厄は、この災厄が終わってからもずっと続くものなのだ。
  1. 2020/04/11(土) 17:32:43|
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聡子へ 小生の幼少の頃のあだ名


聡子へ

元気でいるだろうか?
此度は小生が小学生だった頃の話をしようと思う。
ある日、バヨリンのお稽古を付けてもらう為にご近所の先生のお宅へ自転車を走らせておりました。
いつもの砂利道、岸上くんの家のバナナの木を左手に見ながら、鵜川くんの家の前へ出る細い路地のあの道です。
見馴れたその道中に、何やらキラキラと輝くものが目に入ったのです。
最初、鏡か何かだろう、そう思い、自転車を止め手にとって見たところ、思いの他重い、金属のプレイトだったのです。
バヨリンの先生のところへ到着し、そのプレイトを見せたところ、表面に「pt 500g」と書いてありました。
先生は、ptとは、白金のことだよ、と教えてくれました。
しかし、まさか砂利道におもむろに白金のプレイトが落ちていることなど、あり得るわけもなく、恐らくは白金のプレイトの造り物だろうと我々は思ったのです。
稽古を終え家へ戻り、一応は父母にその造り物の白金のプレイトを見せたところ、念のために警察へ届けようということになり、警察へ届けたのです。
警察官もこれは造り物だろう、と思ったのですが、何と翌日に、その造り物であるはずの白金のプレイトは、本物のプラチナの延べ棒五百グラムであることが判明したのです。

その延べ棒の持ち主であるおばあさん、仮に舟さん、としましょう。
舟さんは、よくあるおばあさんが買い物に行く時などに引いていく、車輪つきの手押し車の底に、その延べ棒を、10本も入れていたそうです。
それを押して自宅へ戻った時に、その延べ棒の重みで手押し車の底が地面に擦れて、延べ棒のうち5本ほどが地面へ落下したそうです。
慌てた舟さんは、来た道を引き返し、5本のうち4本は回収したのですが、一本だけどうしても見つけることが出来なかったのだそうです。それはそうです。その時その延べ棒は、小生のポケットに入っていたのですから。

めでたく延べ棒は舟さんの元へ帰っていったのですが、拾得物に対しては謝礼を支払うという決まりごとがあります。一応一割と世の中では思われていますが、実は五分から二割の謝礼を支払うべしという決まりになっております。
その延べ棒は、当時のお金で百七十五万円相当の価値があるものでした!!
おばあさんは、申し訳なさそうに、五分の謝礼で良いか?と申し出ました。
当時小学五年生であった小生には何の判断もつきませんでしたが、小生の母親はきっぱりと、そう、きっぱりと、「十万円で」と言いました。

のちに母親は、延べ棒を十本も、つまり一千七百五十万円分も持ち歩ける舟さんは、お金持ちに決まっているのだから、少しぐらい大目に謝礼をもらっても何も憚ることはない、と言いました。

小生は、この一件により、朝日新聞に記事として掲載していただくことになりました。
小生は十万円のうち二万をどこかに寄付をして、残りの八万円を貯蓄するということにしたのですが、その旨も記事となりました。
それ以来小生のあだ名がptとなったのです。

聡子の幼き頃のあだ名は何でしたか?



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  1. 2020/03/25(水) 11:54:44|
  2. 徒然と
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ルワンダに行ってきました。

以前から行ってみたくてたまらなかった国、ルワンダに行ってきました。
あの大量虐殺から25年、全世界が驚く復活を遂げたルワンダ。その原動力となったのは何だったのだろう?
それを知りたくて僕はルワンダに行った。

キガリ虐殺記念館には残虐の虐殺な記録がたくさん残されている。

小さな子供たちの写真がある、どんなことをして遊ぶのが好きだった子供か、何が好物だったか、そのようなことを書いてある最後に、どうやって殺されたかが記されている。

僕の心を打つ言葉があった。
少年と瀕死の母親は教会に逃げ込んだ。そこで少年は神に祈った。
自分たちの命、そして復讐を誓ったのだそうだ。
母親はそこで少年に言った。
復讐など願うものではない。そんなことを願っても私は喜ばない。
それよりも許すことを覚えなさい、と。

世界に今も数多くある悲劇。それらは他人事だと多くの人々が思っている。
だが、自分の友や、恋人、家族や子供の悲劇は他人事ではないとは誰もが思えるだろう。
僕はそこから一つだけ想像の翼を広げる。
今、世界にある多くの悲劇は、他人事かもしれない。が、そのことは、誰かの大切な、友や、恋人、家族や愛する子供、に起こっている事柄なんだ。
もし全人類が、そう思うことが出来るなら、この世に起こっている悲劇の少なくともいくつかは、回避することができるのではないだろうか?

人類は過ちを繰り返してきた。
人間とは本質的に愚かなものなのかもしれない。
でもその愚かな行為を、愚かな人間はそれでも克服してきたと思う。

ルワンダの人々は、反省し、そして許しあわねば前へ進めないことを知ったんだと思う。
憎しみを忘れるという、途方もない努力をしたのだろう、そしてその努力を今もし続けているのだろうと僕は感じた。

思い起こせば、我々日本も1945年に完全に荒廃した国土を、驚くべき速度で復興した。我々も、反省し、誰かを許し、誰かに許されて、そして前へ進むことを決意したのではなかったのだろうか?

アフリカの子供達は本当に人懐っこく可愛い。車窓の僕に手を振ってくれる。手を振り返すと笑顔を返してくれる。
キガリの街中で僕に手を振ってくれたあの子供達。あの子達を25年前キガリで死んでいった子供と同じにしたくない。
あの子供達の笑顔を守るために、我々は何かをしなくてはならない。

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ルワンダの首都、キガリの街並み

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キミロンコマーケットでシャツを2着オーダーメイドしたら、同じ記事で生地でトートバッグを作ってくれました。
そして、こんな嬉しいメッセージが。

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アフリカの子供達の笑顔。





  1. 2020/02/10(月) 15:28:10|
  2. 徒然と
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今年一年を振り返って。

今年一年を振り返る。

僕にとっての今年一年はとても充実したものだった。充実という言葉は、こういうことをいうのだろう。
全てが過不足ない。仕事、遊び、生活、対人関係、全てが多過ぎず、少な過ぎない。
人から見たら僕は仕事が少ないかもしれない。金銭的にも恵まれていないかもしれない。ただ、遊びと対人関係においてははっきりと僕は他人より恵まれていると思うが、相対的な評価軸において、自分がどこに存在しているか、ということに対しての興味が本当に無い。
自分にとってどうであるか、という、身の丈にあった服を着れているか?と問われると、はっきりとイエス、と答えられる。
いつからこんなにストレスなく生きていけるようになったのだろうか。
数年前、僕は大変苦しい思いをしていた。それはその当時を振り返ってみて総括するならば、自ら望んで苦しみの中に身を投じていたと思う。
しかし今は、人生の舵取りを上手く出来るようになった。
悩みの中にあった20代、ひたすら道無き道を進んだ30代は生きるのは楽ではなかった。
40代になり、色々な自分を見つめ直した。
そして、いつの間にか自分にぴったりの衣服を纏えるようになった。
向上心がないわけでも、苦労がないわけでもない。それらも含めて、自分にぴったりの生活なのだ。
わかりやすく言えば、幸福を感じて生活しているのだ。
ほとんど欠乏している部分がない生活だが、唯一つだけ欠乏しているものがあるとすれば、それは自分の息子のことだ。
子供と会うことはもうこちらからは求めない。ただ僕はそのことを寂しくは思うが、不幸であるとは思わない。
この世の中に、息子は必ず元気で生きているのだから、そのことだけでも僕は幸福を感じることが出来る。

ただ僕は、今の過不足ない幸せが、必ずしも長く続かない可能性もあることを知っている。
それが今まで半世紀近く生きてきた経験から理解出来る。
ただ、今まで数多の困難を乗り越えてきたのだ。これからもその困難を解決していくことだろう。

令和最初の年。しかし様々な別れがあった。
実の父親の他界。そう遠くはないことは想像していた。
だが、実際に死んでしまうと、そこに存在していた親父が、ただいないだけでこれほども大きく違うものなのだな、と思う。
実家に帰って、母親と二人でご飯を食べることと、親父と3人でご飯を食べることは、全然違うことなんだ、そのことを知った。

多くの友がこの世を去った。
最後まで励まし続けた友がこの世を去った。
天寿を全うした死ならば、ある意味において祝福に値する。
親父は天寿を全うした。そして彼は成すべき仕事を終えて死んでいった。
だがそうでない人々の死には、悔しい気持ちがある。
死それ自体に善悪はない。万人に等しく与えられたるもの。
だがそれを意識して生きていくか否か、望むと望まざるに関わらず、それを意識せざるを得ない年齢になった。

来年もたくさんのライブ、ツアー、レコーディングを行うだろう。
にはたづみプロジェクトの様々なコンテンツも充実していくだろう。
どんなことが起こってくるのだろうか?
楽しみな4回目の年男です。


  1. 2019/12/26(木) 18:43:44|
  2. 徒然と
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脱衣所でのスマフォ使用禁止おかしいだろ。

僕は温泉やスーパー銭湯が大好きなのですが、その中で解せないルールがある。
スマフォや携帯電話を、脱衣所で使うことが禁止、というルールである。
なんで?


僕は金を払ってスマートフォンを維持している。そして、それを使う権利は、それを使う場所がエチケット違反である場所以外で保証されるはずだ。
例えば暗い映画館の中であるとか、コンサート会場ならば、通話のみならず、スマフォを開けることも周りの迷惑になるだろう。
電車の中で通話をする、妊婦が座る可能性がある優先座席では使用を控えたほうがいいだろう。最近では歩きスマフォなども問題になっているし運転中のスマフォ使用は危ないだろう。(むしろ逆にガラケー時代はブラインドタッチができたので、画面を見ずに携帯でメールなどできたものだが)そいった場所以外では自由にスマートフォンを使っていいはずだ。

僕は、待ち合わせの時間つぶしに銭湯を使うことがよくある。
または、重要な連絡を待っている時とかにも銭湯を使うことがある。
そういう時にスマートフォンを使えないことは不便極まりない。
なぜ僕が金を払ってその権利を購入しているスマホの使用権を、銭湯に制限されなければならないのか?。

スマホのカメラ機能の充実により、盗撮を防ぐことがその主目的だと解釈している。
それはおかしいと思う。なぜならば、盗撮は、この国で犯罪となる行為であり、その行為を罰する法律がちゃんとある。
日本国民は、日本国のルールを守る必要がある。僕はこの国の法律に従い、盗撮など行わない。当たり前のことだ。
ごく一部の盗撮を目的としてスマートフォンを使う不届き者を「予防」するために「ルール」としてスマートフォンを使用禁止にすることは、一見筋が通ってそうで、人間不信を前提とした無駄な規則に僕には見える。
酔っ払いが酒を飲んで暴力を振るうから酒を禁止する、といってるのと同じロジックだと思う。
また盗撮する人は、「こっそりと」撮影する。撮影しているところが見つかったら捕まってしまうからだ。故に、堂々とスマフォを使っている人が盗撮などしているはずがない。また、盗撮する人は、禁止したところでいかなる手段を用いても盗撮するだろう。

しかし多くの日本人は、スマートフォンを銭湯で使ってはいけないというその「ルール」に疑問を抱いてないのではないかと思う。
僕はここに日本人の感性の縮図を見て取る。

AIR SPLASHの運営委員会をやっていても、事あるごとに何かとルールを作ろうとする。今の運営はそんなことはないが、一つ前の運営委員会は、事あるごとにルールやマニュアルを作ろうとした。多くの日本の中にあるコミュニティーを見ていても、有意義なルールのみならず、不毛でそのことにより自分たち自身の動きを制約してしまうようなルールを作ろうとすることが多い。
日本人はそういったマニュアルやルールに従っていることに対して安心を感じる民族なんだろうと僕は思っている。
それはそれで、いい部分もあるだろう。
その民族性故に日本は高度成長期を迎えることが出来た部分があるだろう。オートメーション化された工業システムなどもそういったルールマニュアルの運用の最たるものだろう。
だが、そこからはみ出た感性の人間にとって、「生きづらい」国でもあると思う。
世界的に大麻が規制緩和されている中、僕は残念ながら日本では大麻が解禁されることはないと思っている。大麻を「自己責任で」使用することを「是」とするより、ルールで縛って禁止にしておくことの方が、日本人にとって「楽」なことなんだろうと思う。

かくいう僕も、「銭湯の脱衣所でのスマートフォンの解禁」のための闘争をするつもりもない。
こっそりスマフォで待ち合わせの友人と連絡を取るだけだ。
そして店員に見つかって、スマフォは禁止です!!わかりました〜、と答えるだけだ。
違和感を感じながら、こっそりスマフォを使い続けるだけだ。
それは、ルールに流されている、と言えなくもない。



  1. 2019/11/23(土) 14:43:52|
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親父の思い出話

親父のことについて、いつか書きたいと思っていたことがある。
親父は、もはや数少ない、戦前生まれでした。あと数年早く生まれていたら、学徒出陣に駆り出されていて、そうなったら俺はこの世にいなかったかもしれない。
親父と戦争の頃の話は比較的よくした。
空母加賀の二等兵の水兵と親父は友達になり、お兄ちゃんお兄ちゃんと懐いていたそうだ。無論その水兵は、ミッドウェイで命を落としている。
親父を連れて家族旅行で沖縄に行くという話が出たのだが、最後まで親父は積極的に行きたがらなかった。
何故なら、小学校の同級生が、「疎開」のために、沖縄に引越しし、消息不明となったからだ。そういったトラウマは、80を越えた当時の親父ですら持っているものだ。
親父は、戦争を本当に憎むというか、思想的にも、当時の帝国の在り方等についても、否定的だった。
戦争を、生身で見ていた親父のその思想に対してぼくはリアリティーがある、一つの意見として聞くことができる。
ぼく自身の見解として、大東亜戦争は、当時の国際常識と照らし合わせて、日本がとった政策は、取らざるを得ない政策であっただろうし、その結果もたらした日韓併合などにおいて、害だけでなく、効もあったとぼくは思っているし、多くの「欧米」の国の植民地支配に比べれば、マシだったのだろうと思う。
が、だからと言って、日本の「罪」は、なかったのだ、という意見にも賛成し難いのだが。
俺の親父は、そういった先の大戦の体験談を語れる貴重な生き字引であった。
あと、ほとんど読めない漢字がなかった。凄まじい漢字力であった。
あれは昭和一桁にしかできないわ。
  1. 2019/08/16(金) 23:12:06|
  2. 徒然と
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父である中村洋一こと、中村希山(尺八)が他界しました。

2019.8.12 午前10:50分ごろ、父親である中村洋一が他界しました。
尺八名は中村希山といいました。享年89才。大往生でした。
生前、皆様にはひとかたならぬご厚情を賜りまして、誠にありがとうございました。
父は、生まれた時から、死線をさまようような生き方をしてきました。
5才でトラックにはねられ、戦争中を生き延び、成人してからは慢性的な肝炎に悩まされ、2度の癌から生還し、そして89才で肺炎で倒れてからも、何度も危篤から回復し、その度に我々はやきもきしたのです。
低空飛行ながら、生命力を持ち続けた人でした。

7月に入り、父が倒れた時、僕はずっとツアー中でした。
音楽の仕事とは、親が死んでもその現場を離れることができない、ある意味冷酷で、シビアな世界です。無論、エキストラが立てられる仕事も多々ありますが、僕にはそのような仕事は少ない。
何度目かの危篤の時に、ずっと親父を面倒見てくれていた弟に、葬儀に立ち会えない可能性について話しました。弟は、立ち会ってほしいが、判断は兄に委ねる。が、そのようなことにはならないのではないかな、といった。その通りになり、我々兄弟三人は親父を見送ることができた。

父と僕は、それほどに関係が親密であったわけではない。
親父と二人で出かけたような記憶は皆無だし、話をした記憶もほとんどない。
音楽に対して深く語り合ったこともほとんどなかった。

ただ、僕と父のやることなすことはとても似ていたらしい。
売れるようなことに対して一切の興味を持たなかった。
母曰く、くだらない楽曲を書いて、東京のコマーシャルなシーンでお金になる仕事を得るチャンスはいっぱいあったらしいが、見向きもしなかった。
その代わり、半世紀にかけて自分の文字通り人生を賭けた全55曲にのぼる組曲「東海道五拾三次」を完成させた。
親父はそれを完成させた時点ですでに85を超えていたと思う。
楽曲のレコーデイングは、田辺 頌山さん、藤原道山さんはじめとして邦楽界のトップの面々にお願いしてのものであったが、それに親父は立ち会う体力はもうなかった。
数ヶ月に及ぶレコーディングに僕は立ち会える限り立ち会った。
僕はほとんどレコーディングに対して何も指示などしていない。ただ立ち会っただけ、ただそれだけのことをしただけですが、それが親父と僕との直接的な関わりの最も大きかったことなのではないかな、と思います。
その楽曲は古典的な邦楽のフォーマットに則っていて、特に難しい調性や調弦を使っているわけではないのだけど、ひたすら変な曲のオンパレード、どこかに何らかのひねりが加えられている。
アーティストに必要な集中力には、短、中、長期的なものがそれぞれ必要だと思う。
親父は、一生かけてそれに取り組むことができる、長期的な集中力を死ぬまで失わなかった。
本当に、死の直前まで、楽曲を書き続けた。
その一点だけにおいても、僕はアーティストとして、中村洋一を尊敬する。
おそらくは、僕は無意識のうちに父の背中を見て育ったのだと思う。
必ずウォーミングアップで演奏するメロディー、練習している、変なフレージング、ピアノを触りながら、ああでもないこうでもないと作曲している音。今思えば僕はそれらの音を無意識に取り込んでいたはずだ。

弟妹三人は京都大学法学部を現役で入学するほど勉強ができたこともあり、一流会社に勤め、現在では僕の年収ぐらいの月収があり、親の自慢の二人であるし、親父の最後をずっと面倒見てくれたことに対して僕自身も感謝している。

僕は彼らより一般的な通念から見れば、はるかに劣る存在ではあるが、こと父と僕、という二人の関係においては、ジャンルは違えど、父の跡をついだのは僕だ。おそらくはその部分においては、父は喜んでいてくれていた、と僕は信じている。

死の2ヶ月ほど前に、僕の東松山の新居に、中村の親族全員が集まって、バーベキューをすることができた。
妹家族四人、弟家族三人、僕と和音、そして両親。

また夏にやろうね、そう話して楽しい時間を過ごし別れた。

今となっては、その開催が出来たのもなんらかの思し召しであったと思う。

親父よ、安らかに眠っててくれ。
そして、覚えているかな?天国のピンクの柱のところで集合な。それまで待っててくれ。






  1. 2019/08/15(木) 17:15:08|
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芸能人のコカイン逮捕を受けて、僕のドラッグに対する考え方をここに記す

結論から述べる。


ドラッグを摂取したり所持したりすることにより罰せられる罪は、それを摂取した時に自らや周りを傷つけるその傷、以上のものであってはならないと思う。



芸能人が、コカインで捕まったという報道があった。別に珍しい話でもなんでもないが、それに対してフェイスブック等で反応している一般の人々やミュージシャンの方々の意見の多くが、偏見と無知に基づいているように思える。故に、僕がこのブログで自分の意見を述べることとする。

僕はイリーガルドラッグ使用は法律に悖るこういではあるが、同義に悖る行為であるとは思ってはいない。

法律は普遍的に正しい規範ではない。その基準は道義や道徳に基づいたものたろうとしてはいるものの、その基準は時として変わる。
禁酒法時のアメリカでは、飲酒は法に悖る行為であった。唯一の、と言っていいだろう、国産のドラッグ、覚醒剤は、戦後すぐヒロポンという商品名で、それは受験生の勉強のお供であった。
アヘン戦争という名前の戦争があったが、あれはイギリスの綿が売れずに困ってアヘンという麻薬を中国に売りつけて中国に流出していた銀を得るという、今思えばヤクザと同じやり方の商売をしていた。
無論、近代法治国家以前においては、ドラッグ使用はほぼ禁止されていなかっただろう。
日本中に、麻〜、〜麻などという地名がある。これらは自生していた大麻から来る名前が大半だろう。
川崎には麻生区という場所がある。札幌にも大麻という地名が、そして奈良にも当麻寺という寺がある。
古来日本には、麻酔い(あさよい)、とう風流なことばで、大麻を楽しむ風習があった。
つまり、ドラッグの罪とは、相対的なものであり、絶対的なものではない。人の物を盗む、人を傷つける、そう言ったものとは区別して僕は考えている。

相対的な罪悪であるドラッグは、故に国により法的な扱いも異なる。
国際的にみて、日本はドラッグに対する罪はかなり重い方だと思う。
大抵の国では、大麻は交通違反程度の罰則しかない。国によっては、合法である国や、限りなく合法に近い扱いである国も数多くある。
有名なところではオランダのコーヒーショップ。好みに応じてブレンドしてくれるそうだ。そしてそれをショップで吸うもよし、お持ち帰りして楽しむもよし。スペインやイタリアも限りなく合法に近いのではなかろうか?
アメリカでも週によっては合法である。NY州が最近合法になったという話を聞いた。
対し東南アジアの小乗仏教の国では、日本よりはるかに罰則が重い。シンガポールやタイでは、ヘロインや覚醒剤を所持しているだけで死刑になる。
これは滞在外国人に対しても適応され一時話題になった。

ドラッグ使用が同義に悖ると考えている人は、ではオランダでマリファナを吸う人は人非人であろうか?
あなたのおじいさんがヒロポンを摂取しながら刻苦勉励した結果家族を養える立派な人間になったことは、不道徳なことでしょうか?


さて、一口にドラッグといっても色々なものがある。
簡単に分類分けすると、興奮系のドラッグ、鎮静系のドラッグ、幻覚系のドラッグなどだ。
興奮系の代表は覚醒剤であり、今回のトピックとなっているコカインだ。リーガルなものとしては、カフェインもそれに含まれる。
鎮静剤の代表は、アヘンをはじめとするオピウム系のドラッグ。リーガルなものとしてはお酒はこれに含まれる。
幻覚系はLSDやマリファナなどもこれに分類してもいいと思う。リーガルなものとしては、朝鮮朝顔のタネや、ペヨーテというサボテンはリーガルな幻覚をもたらすものとして、好事家には知られる。

日本ではこれらを取り扱う法律が異なる。
マリファナ(大麻)は、大麻取締法で、そして日本オリジナルのドラッグである覚醒剤は覚せい剤取締法により、そしてそれ以外のドラッグは麻薬取り締まり法により取り扱いされる。

記述した順に罪は重くなっていく。
ちなみに、狭義で言えば、麻薬とはオピウム系のドラッグのことのみを指し、コカインは麻薬ではない。

ドラッグ各々にそれぞれの効能がある。その効果については詳しくここで述べるのは避けたいと思う。というよりも、僕自身がドラッグの経験があまりにも浅いので、詳しく知らない。

薬物依存について。
ドラッグをやること=薬物依存であるという誤解をしている人を数多くみた。
それは違う。
99パーセントの人は、ある程度自分の理性でドラッグの使用をコントロールできる。
今回捕まった人が依存であったのかどうかはわからない。が、そういう誤解はよろしくない。

WHOによる、ドラッグを依存度により4段階に分類したものがある。
それによると、全く依存度がないドラッグは、唯一大麻である。一切の依存が認められない。
タバコやコカイン、覚醒剤は、依存度が3である。
最も依存性が高いドラッグとして分類されているドラッグが、あらゆるドラッグの中で二つだけある。
一つは、アヘンを10倍に精製したモルヒネ、モルヒネはご存知の通り末期癌の患者の痛みすら和らげるだけの強力なドラッグで、使用は医者の厳重な管理下でしか行えないものである。そのモルヒネをさらに10倍精製したヘロイン、ヘロインを医療用ですら認可している国は世界中でイギリスだけである、そのヘロインと、皆様お馴染みの酒、である。

依存度の強いドラッグ、危険性の強いドラッグが必ずしも禁止されているわけではないことはお分かりだろう。

多くの人々はKing of the drugである酒をコントロールして飲んでいることだろう。酒を一口でも飲んだら依存に陥るか?そんなわけない。
様々な要素が複合的に絡み合い、酒を二十四時間連続飲酒するに至り、治療極めて困難なアルコール中毒に至る。
アルコール依存がどれほど恐ろしいか、は、アルコール依存病棟というものが存在することからも理解できるだろう。
タバコ病棟はない。外来治療がほとんどだろう。
だが、世の中にはタバコ依存の人はアルコール依存に比べてはるかに多い。
それは、タバコはいつでものべつまくなしに摂取することが出来るからだ。
現在においてはタバコを取り巻く環境は厳しいものであろう。が、それでも仕事をしながらでもタバコを吸うことはできる。5分の時間と場所さえあれば。酒を飲んでしまったら、酔っ払って仕事にならないだろう。
そういった、ドラッグにまつわる環境なども依存には深く関係はあるだろう。
ゆえにアッパー系のドラッグの方が環境的には依存に陥りやすいかもしれない。酒を飲んだら仕事にならないが、シャブやりながらバリバリ仕事をすることは可能だからだ。
何れにせよ、どのようなドラッグでも使用の仕方により依存を引き起こす。それは、コーヒーでも同じことだ。
どのようなドラッグでもやり過ぎたら体には害がある。それは、チョコレートでも同じことだ。



ただし、大麻には依存性はない。
ちなみに時効だからいうが、僕は25年以上前に大麻を毎日摂取していた頃があった。無論若気の至りで、法律を犯していることに対しての意識や危機感は限りなく低かった。その大麻は大学の友達がくれたものだった。
大学の庭で、その女の子は、「はい」と、ドライフラワーの花束を手渡すかのごとく僕にそれをプレゼントしてくれた。
それを一ヶ月間毎日僕は摂取した。それはそれは楽しい日々であった。しかしその日々も長くは続かない。当然それがなくなる日が来る。なくなったが、特に依存を感じたことはなかった。欲しいとも思わなかった。もし毎日タバコをひと月摂取したとしたら、立派なニコチン中毒の完成だろう。
それから、僕は大麻が身近にある環境や、リーガルな環境、海外に行った時に勧められた時ですら、別にいらないと断った。自分にとって必要であると思わなかったからだ。
ちなみに僕が海外で大麻を摂取しても罪に問われることはない。いや、国内で摂取したとしても罪には問われない。大麻で罪に問われるのは、所持している場合においてのみである。もらい大麻を吸うことは、罪にはならない。(はずです)
(大麻に害はないのか?全くの無害ではないと思う。が、あらゆるドラッグは多かれ少なかれ有害です。
具体的には、大麻にはかなり大量のタールが含まれる。これは平均的なタバコの20倍だという話を聞いたことがあるが、おそらく1日に摂取する大麻の量は、平均的な喫煙者の1日に摂取するタバコの量の1/20以下であろう。)


ではなぜ大麻が未だ数多くの国で禁止されているのか?

これは僕の想像に過ぎないが、持論を述べてみる。

これもあまり知られていない話だが、大麻とは、繊維を取る植物である「麻」の、葉っぱや花のことを指す。
忍者が跳躍力を身につけるために、成長の早い植物をうえて、それを毎日飛び越えて訓練した話はご存知かと思う。
その植物こそが麻である。
それぐらい、簡単に栽培できる麻が、世の中でまかり通れば、綿産業が成り立たなくなる。
それが理由ではないかと思っている。
つまり、綿が売れなくなっては困る人々がいるのだ。
それが誰なのか、は、上の記述の中にもヒントはある。


僕の私見を述べる。ドラッグを摂取したり所持したりすることにより罰せられる罪は、それを摂取した時に自らや周りを傷つけるその傷、以上のものであってはならないと思う。
つまり、ドラッグ使用は、なんら罪に問われるようなことではない。タバコの受動喫煙の方がよほど罪深い。

大人しくマリファナ吸って何が悪いの?一人でコカイン決めてビンビンになってて誰かに迷惑かけるかな?
無論、それにより、暴れてものを壊したり人を傷つけてはならない。しかしそれには、その行為を罰する法律がある。
事実酔っ払って暴れてしょっぴかれる人は後を絶たないが、故に酒を法的に禁止する法律は当分出来そうにないしね。
そしてマリファナで酔っ払って暴力を振るった人の話を僕は聞いたことがない。

  1. 2019/03/15(金) 22:53:21|
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コンサートを明後日に控えて

いよいよコンサートは明後日になった。
僕にとって演奏は日常。それは場所が与野のジャズマルだろうが、上尾のプラスイレブンだろうが、NYカーネギーホールだろうが同じこと。
どこでやるのもそう大差ない。
だけど、今回はほんの少しだけ違う。
それは何なのか。
やはり色々な人の協力なしに成り立たなかったコンサートであるからだろう。

今回協賛いただいている高松建設、いや高松君との関係もそうだ。
高松君とは若かりし頃、本当にくだらないことを言い合ってきた仲間だった。進む道は異なったけど、あの頃お互いにロマンを語り合った、お互いに青かった青春時代のことを昨日のことのように思い出す。まあ僕は今でも青いが。
彼と作ってきた銀座space潦でも色々なことがあった。思えばトラブルしかなかった。運営は困難だった。だけど、それが無くなった時に初めてその価値を知った。

実行委員会とも色々なやり取りがあった。ホール選びから相談をはじめた。ああでもないこうでもないと、もめ事も多々あった。
意見が食い違うことはあったしやり口が違うこともあった。だけど、基本的にこの露玉もゆらを良いものにしようとする、成功させようとする気持ちには違いなかったと思う。

来てくれるお客さん、または来てくれない知り合いも含め、僕はたくさんの人にコンサートの案内のメッセージをした。
その中には、今は付き合いはほとんどなくなってしまった知り合いもたくさんいる。
僕自身が、案内のメッセージを出すことにより、そういった人々と知り合って、触れ合って今までの人生を生きてきたんだな、そんなことを一つ一つ思い出したのだ。
無論返事がない人もいた。でも僕は、その人たちとの人生の触れ合いについて、ほんの少しの時間ではあるけれども、思い出すことが出来たことは、大きなことだったと思う。
実際に、疎遠になっていたのにもコンサートに顔を出してくれる人たちもたくさんいる。
もちろん、全然僕を知らない人もたくさんきてくれることと思う。

要するに、僕が今まで生きてきたその結果として、明後日のコンサートがあるんだな、そう思うんだ。
でもそれは、日常の与野のジャズマルだろうが、上尾のプラスイレブンだろうが、NYのカーネギーホールだろうが、どんなコンサートだろうが、今まで生きてきたその道がなければ、成り立たないコンサートなんだな、という、当たり前のことを、実感しているのだ。

そういう意味で、特別なコンサートなんだな、と思う。

僕の、今まで生きてきた全ての結果としての、コンサートなんだな。
  1. 2019/02/21(木) 22:33:23|
  2. 徒然と
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今年一年を振り返る

今年一年を振り返る。

厄年を開けてから本当の意味での僕の厄年が始まった三年前の厄が本格的に明けた一年であった。
今年一年を一言で表すならば、新たなる出発、であったと思う。
個人的な一番の大イベントは何といっても引っ越しであった。
浦和のマンションを引き払い、東松山の小さな田舎集落へ引っ越した。
周りは田んぼしかない小さな集落の外れへ。
24時間音を気にすることなく生活できる環境。
家庭菜園をはじめた。資本主義的な消費サイクルからの脱却の第一歩。
なるべく使わない生活の構築。

ミュージックキャンプは10年目を迎え、一つのゴールをくぐると同時に新たなる旅たちを始めた。
振り返る。10年よく続いたな、ではなく、よく終わらなかったな、と思う。
終わらなかったことが不思議だ。キャンプの問題点を挙げていけばきりがない。
運営委員会は、かつてない充実を誇る。僕が主体的に動かずとも活発な議論が展開していく。
まさに新たなる船出。

ツアーも活発に行った。トリオでのツアーはもちろん、インドでの公演や、沖縄、北海道での公演も積極的に行えた。個人的なツアーも今年は何とか再開することが出来た。

様々な行動がやりやすくなってきた。
僕の足を引っ張る人はもういない。いてるのは僕を前に進むことを助けてくれる人だけ。
だからこそ、僕は進むべき道を誤らぬように、より自戒していく必要を強く感じる。
人は己の全く気付かぬところに、気付かぬうちに落とし穴を掘っているものだ。


来年は、久しぶりの大きな公演と、いきなりのレコーディングが三つある。
楽しみでもあり、引き締まる思いでもある。

挙げていけばきりがない。あらゆる人々から贈与された一年であった。
僕は、誰かに与えた物以上のものを与えられて生きてきた。
感謝などという言葉で言い表すことはできない。
僕自身が、今後の自分の芸術活動により、それらを表現し、還元していく。
それ以外に僕には出来ることはない。

来年も我が道を行く。

ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。
  1. 2018/12/21(金) 09:29:10|
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The coveという映画を見ました。

先日、ザ・コーブという映画を見ました。
和歌山の大地町の捕鯨(イルカ)漁を、批判する映画でした。

捕鯨を巡る問題は色々あると思います。僕は日本人ですから、日本側の情報しか得ることが出来ません。ゆえに、完全にニュートラルに物事をとらえることはできません。が、思考を凝らすことにより、真実の断片、程度のところには到達できると思っています。

兎も角、この映画を見て思ったことは、西洋人的確信犯がとる行動の恐ろしさ、を感じました。
いい意味でも悪い意味でも、西洋人は、完成された価値観を持っていると思います。
僕は音楽家ですから、音楽や芸術を通じてそれを感じています。おそらくは政治や経済の世界においてもその価値観は貫徹されているように思います。他の価値観が入り込む余地がない価値観の持ち方。

日本人が捕鯨に関して感じている感性に対する忖度も、また捕鯨というものが持っている悪に対しての客観的論理的説明も一切ない。
自分たちが確信している正義に対して、それを暴くなり、批判することに対して、暴力をもってすることもいとわない感性。むろんこの映画の主人公となる男の人は、グリンピースからも出禁になるほどのラディカリストではありますから、西洋人をひとくくりに考えるのは愚行というものですが、過去、西洋人が、自らが確信してきた正義を振りかざすことによって、一体何百万人、何千万の非西洋人が、殺戮されてきたのだろうか?という点に僕は、考えを寄せざるを得ない映画でした。


  1. 2018/09/05(水) 14:41:37|
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一連の北朝鮮の事からこれからの世の中の在り方について考えてみた。

北朝鮮のことについて。

古来から高句麗等の名の国家として、大国中国との政治的なやり取り、時には武力による戦争に巻き込まれたり、駆り出されたり、様々なやり取りがあったことは容易に想像つく。
そして近年では、米ソの代理戦争の餌食になり、国家を分断された。国家を分断といっても、朝鮮半島自体は、日本のように長年統一された国家であったわけではない。韓国国内では、新羅と百済のお互いに対する差別感情は、反日感情のレベルではないという話を聞いたことがある。
いずれにせよ、外交、という意味合いにおいて、日本とは「キャリア」が違う北朝鮮の外交の在り方は、やってきたことの正誤に関わらず、お見事といわざるを得ないだろう。
原子力という「おもちゃ」の取り扱いを、かの国は、かの国の国家規模の国家の使い方として、お見事に使いこなした、といっていいだろう。
明確な戦略目的をもって、戦術的要素を的確に行使し、戦略目的を遂行した、ということだ。

そもそも、国家間のやり取りにおいて、正誤、という概念は存在しないと思う。少なくとも、現在の国家の在り方、においては、正しいも間違いも、正義も存在しない。
北朝鮮は日本人を拉致している。狂っているとしか言いようがない。
米国はイラクに限らず、ベトナム、朝鮮半島、中東等において、いったい何百万人の人間を殺害してきただろうか?狂っているとしか言いようがない。
中国がチベットに対して行っていること、狂っているとしか言いようがない。
世の中の、あらゆる国家の名のものに行われている、紛争それ自体は、人間の道義というものを尺度にした場合、完全に狂っている。

日本だって大概のことを外国にしてきている。韓国の養鰻業者に注文を出す。それを直前でキャンセルする。そこに別の日本の企業が乗り出してきて、安く買い叩く。
北方領土の是非の問題はともかくとして、ロシアの領海に侵入してカニを取りまくる。拿捕を逃れるのは、ロシアの警備艇よりも日本の漁船のほうが、少しだけエンジンの性能がいいから。それでもたまに拿捕されることはニュースになる。
中国の漁船が日本領海で魚を取っていることは報道されるが、逆はは報道されることはまれだ。
だがそれでも、日本は幸いにして、憲法9条により、兵器を持てないので、無論それを行使することはない。
何度も言うが、この現世における、国家の在り方において、正誤も正義も存在しないこの世の中において、武力を持たないでいる、ということは、それだけで、人間の道義を尺度とした場合、他の国家に比べ、何百万倍も、進歩した考え方と、世界に範たる行動をしている、ということが言える。

現世において、国家がそこに必然的確信的に悪をはらまねばならないその理由はたった一つ。
国家が物質的な利益を求める機構であるからだ。
アメリカは解っていてイラクを侵略した。言い訳は必要であったが、確信犯として、イラクで殺害行為を行った。
オサマビンラディンは5000人をWTCで殺害したが、その罪は裁判所で明らかにするべき問題であるはずだ。それを、米軍は暗殺した。
兎も角、これらの確信的な殺人の全ては、米国が利益を享受する為、以外の理由は存在しない。

利益というものを、物質的なものから精神的なものへ転換しよう。
音楽であったり、芸術であったり、または何らかの贈与であったり。
教育もそれに含まれるかもしれない。
そんなことをしたら、国家は成り立たないではないか?国家的に利益を求めるのは当然だろう!そういう声は当然のことだろう。

だが、本当に当然だろうか??
アジアやアフリカで貧困を抱える人々が存在する。世界規模で、富が極端に偏在していることは少し想像力を働かせればわかることだ。
それは無視していいことなのか?

僕にとって、この日本で起こる様々な天災は、他人事ではない。日田の水害も北海道の吹雪も、沖縄の台風も、広島の地滑りも、東北の震災も、熊本の地震も、すべては僕にとって「友達」に起っている災厄なのだ。
僕は全国を旅してきた。だから全日本に友達がいる。

その先少しだけ想像力を働かせてほしい。
イラクで名前を持たずに死んでいった子供は、誰かの大切な子供なんだ。
アフリカで飢えで死んでいる、ポリオのワクチンがなく死んでいく子供は、誰かの大切な友達なんだ。インドで物乞いをする老人も、誰かの大切なお父さんだったのかもしれない。
そのことを想像したときに、心の中に起こる、小さな、ほんの小さな心の動き、それを皆が共有したときに、国家が利益を得るということは、どこかで損益が生まれていて、そこで誰かが死んでるかもしれない、ということに想像を馳せた時に、国家が利益を上げること自体が、本当に意味を持つことではなく、国家というものの存在意義が本当の意味で、悪をはらまない、精神的な価値を希求する存在と、進化するときなのではないだろうか?

富は所有するものではなく、シェアするものなのではないだろうか?

日本は大東亜を欧米帝国主義から解放するために、正義の戦いをした、という建前は存在する。であれば、日本は、あの戦争に勝ったといえる。欧米は、その戦略的目的を果たすことが出来なかったといえる。
日本は韓国や朝鮮、中国との経済的な競争を行っていると思う。これは、言い換えれば利益の奪い合いだ。
そういう争いから、世界に先んじて一歩足を引いてみたらいいと思う。
日本には十分に富はある。これ以上富を増やす必要はない。
企業が、利益を享受しなければ存在しえない、というのは、「思い込み」だ。

こんな話を聞いたことがある。お金持ちがいる。その人は乗りもしないフェラーリなどの高級車を10台以上保有している。その乗らない車の維持の為に、時々その車にエンジンをかけて乗ってくれる人を雇っているそうだ。
僕ならば、そのフェラーリ台分のお金を使って、何らかの財団を作る。例えば芸術的な財団であったとしたら、その人は、ある意味で芸術家という芸術品を「所有」することが出来る。
その価値は、乗りもしないフェラーリよりも高いという、そういう価値観を我々芸術家は広く社会に浸透させていく仕事を、人より先んじてしなければならない。
そこに僕は、極端な利益を求めたくはない。
僕は食べていければそれでいい。乗りもしないフェラーリなど僕には必要がない。
日本は、国家レベルで乗りもしないフェラーリを求めて、あたかもそれが正義であるかのように錯覚している。いや、国民の多くはそれを信じさせられている。

好むと好まざるとに関わらず、人類の精神性は進化する。しかし、我々芸術家は小さな力かもしれないが、それを推進させていく宿命があると、僕は思っている。








  1. 2018/06/13(水) 14:40:56|
  2. 徒然と
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聡子へ。高校時代の思い出話。

聡子さん。お元気ですか?小生、ふと高校時代のことを思い出し、綴ることにしました。
駄文ですが読んでもらえたらと思います。

小生の通っていた高校は、まるで軍隊のような高校でした。私立の男子高で、偏差値はといいますと50を少し上回るぐらいで、文武により人を鍛えなおす、そして、偏差値60程度の大学に入学させることを目的とする、本当に、何の面白味もない学校でした。
何せ、修学旅行がない学校でした。その代わりに一年生の冬にスキー実習がありました。まさにそれはただの実習で、スキーを楽しく滑るというものではありませんでした。
その学校の体育の授業は、一年の前期後期に分けて、徹底してやります。
一年の後期はひたすら、マラソンでした。そして、一年の前期、入学して初めて教わることといえば何だったと思いますか?なんと!ラジオ体操です!!それを、半年かけて、まるで三時の体操のお姉さんかの如くなるまで徹底的にやるのです。ラジオ体操とは、そもそもアメリカで100年ほど前に作られたもので、もうアメリカでは誰もやらないような、廃れた体操です。それがなぜか日本でだけは、いまだ残っている。そんなものを半年かけてやる。今思えば狂っているとしか思えない学校でした。

3年の後期はバレーボールでした。小生は音大の受験を控えておりました。体育の授業の都度、激しく突き指をしておりました。ネットに指をひっかけてしまうのです。小生は体育の教官に、音大の受験のためにピアノを弾かなければいけないので、体育を見学させてください。といいました。
その教官は、正しくアタックをすれば、突き指したりネットに指をひっかけることはないので、見学を許さない、と言いました。
むろん、反抗することは許されません。
今ならば小生、その教官に対して、エリーゼの為にのピース譜を渡し、先生、これをでは間違えずに弾いてみてください、その運指通りにやれば、誰でも間違えずに弾けるはずです、といってやるのですが。人には向き不向きがあります。そして自分自身の人生の、高校生にとっては大学受験とは大した話です。それに対して、そのような言葉を投げかける先生の、人格を疑います。
文化というもの、芸術というものに対する理解など、何一つない学校、にも、音楽と美術の授業がありました。
一週間のうち2時間、選択で美術か音楽を選択できるのですが、小生は音楽を選択しました。

音楽の先生は、小村先生という先生でした。

2時間連続で行われる音楽の授業。先生は、最初の一時間は、縦笛を教えてくれました。
そして次の一時間は、NHKラジオの名曲番組をエアーチェックしたものを流しながら、聞く、というのが授業でした。当たり前のことですが、生徒たちは寝てしまいます。
そのことを先生は咎めませんでした。
今思えば、その軍隊のような学校においての唯一のオアシスを、先生は提供しようとしてくれていたと思います。

小生は自分がピアノを弾けることなどは特に先生に話してはおりませんでした。
しかし、音大を受験することを決めたのち、その先生にそのことを先生に報告しました。
先生は、であれば、一度皆の前でピアノを披露してくれないか?そうおっしゃいました。
そして小生は、ベートーヴェンのソナタを弾いたと思います。先生は褒めてくださいました。

3年の後期、一応音楽にも試験がありました。それは、縦笛を吹く試験でした。むろん、誰も間違えずに吹くことなどできません。適当でも皆試験には合格でした。
先生の部屋に一人ずつ呼ばれて、一人ずつ笛を吹くという試験。小生もむろん試験を受けました。
しかし、その試験の時に、簡単なその笛の曲、小生はあろうことがつまってしまったのです。
すると、小村先生はこう言いました。その言葉が小生、この学校で学んだものの中で、唯一の、その後の人生においても心に刻んでいるものとなった、たった一つの言葉になりました。

先生は、中村君。頑張っても出来ない人が出来ないことは仕方がない。しかし君にとってその笛の曲は、たやすく演奏することが出来るはずのものだ。だけど君はそれを間違えた。それは慢心であり、仕方のないことではない。そういう心持ちを持っていては、何事もなし得ることはない。

と、厳しい口調ではなく、僕に伝えてくれました。

ふと、そのようなことを小生、思い出していました。

聡子にも小生の故郷を見せてあげたいです。あの、山の連なり、あの川の流れ、見てもらいたいです。


  1. 2018/05/12(土) 13:10:02|
  2. 徒然と
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転居に伴うお金のこと、よもやま話。

僕は基本的にもちろん貧乏なので、お金のことに関してはうるさい。無駄な出費は極力避けたい。
新居を構えるに至って、様々な出費がかさむ。今回はそれに関してのよもやま話。

新居はプロパンガスである。購入した不動産屋は地元で長くやっている人。その家に元々出入りしていたプロパンの業者の値段を聞いてもらった。そう高くはないとのこと。
基本料金1500円の一平方390円とのこと。高いか安いか判別つかない。
そこで現在使っている東京ガスの使用料金と比較してみた。
東京ガスは基本料金745円、平方単価、134円ちょっと。
ちなみに3月の使用料は11平方。で、請求された金額は2222円。
それをそのプロパンに当てはめると、なんと6000円弱!!約三倍の値段。
そこからプロパン業者を探す旅が始まった。いろんな業者がいるが、大体1500円の平方単価で250~340ぐらい。かなりばらつきがある。がやはり当初のプロパン業者はべらぼうに高かったということが判明。
中に個性的な業者がおり、基本料金500円の、平方単価が340円、基本料金1400円の、平方単価が160円、という二パターンの料金体系を持つ業者。
僕はそこで過去二年間の自分のガス使用量を全部調べ上げた。
大体は10平方以下。少ないときは2平方という月もあった。ところが、多い月は27平方も使っている。どうしたものか?
そこで、二年分のガスの使用量を、すべて2パターンで出してみた。
すると、二年間で、5000円ぐらい、基本料金500円のバージョンが安いことが判明した。
あと、プロパン業者は値引き交渉にはほとんど応じないです。安い業者を自分で探すしかない。


引っ越し業者。
一言でいうと、メジャー業者は高いです。
引っ越し5、6社ほどの見積もりを取りました。いい加減な業者も多く、見積もりの日程の確認の電話がこない、等はざらでした。
うちの家3LDKのピアノ無しの引っ越しの料金は、概ねどこも20万の見積もり。メジャーは、それに数万円足した値段。
どう考えてもピラチン上がりの小さなおっさんが来た。名前も知らないそのおっさんの業者は、17万、という見積もり。値引き交渉すると、15万ぴったり、と言った。その言い方が、安っぽい感じでとても好感を持てたが、僕は10万円以下で引っ越したかった。
最後に見積もりに来た人力引越社、という会社。よそさんはいくらで出してますか?と質問されたので、ンなもん答えられまっかいな、というと苦笑い。
11万と消費税で、と言ってきた。
僕は来た!と思ったが顔は渋そうに、税込み10万ならば今決めてやるよ、と言ったら、税込みは出来ないのですが、と税抜きを9万なにがしかにして10万以下にしてくれた。


家を買うときも、値引いた。最初、一割五分以上の値引きを要求したら、さすがに断られた。それは折り込み済み。向こうは切りのいい値段を示してきた。僕は、それにさらに50万の値引きを要求したが拒否。それも折り込み済み。僕は、では、とクロス張替えと畳の表替えを要求した。で折り合いがついた。

今悩ましいのが、太陽光発電。こればかりは値段が安かったからいいというものではないようだ。
概ね2社で見積もりを取ったが、片方の会社は、見積もりに対して、色々聞きたいことがあるので一度お会いしたい、というと、それは契約の確約が出来たら、と言われた。いやしくも100万単位の買い物に、営業マンが会いに来ない、という。それだけではなく、屋根に上って現地確認してくれ、といったら、それも確約したら、という返事。
話を聞いてみると、屋根の形状や材質によっては、パネルそれ自体を設置できないこともあるらしい。ならばなおのこと現地確認は重要となる。
この怠慢なやり取りを、僕は僕自身の実名で口コミに投稿してやるから、ということをカードにして、もう一社の、そのライバル会社からの値引き交渉している。
それで一万でも二万でも安くなったらいいではないか。

金のことを言うのはやらしい。確かにあまりに言うとやらしいが、向こうもプロ。利益幅の範囲内での値引きを考えている。その駆け引きを僕は嫌いではないし、無様なことであるとは思わない。
プロパンの会社など、はっきり言って無知を利用したぼったくりだな、というのが印象である。

あとはリフォームの会社。どれだけ勉強を要求してみようかな。





  1. 2018/05/02(水) 15:53:28|
  2. 徒然と
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交通整理員の品質向上を切に望む

以前から思っていたことだが、交通整理員、スーパーなどに来客する車などの整理の仕事をする人の質が低すぎる。


少し前に地下駐車場出口のスロープが上りになっていて、出口の先が見えないような駐車場。そこには当然整理員が立っているのだけど、僕が上がっていったと同時に外から車が飛び込んできて、危うくぶつかりそうになった。僕が、整理員に「危ないだろ!」といったら、「危ないよねぇ」とまるで他人事のように返事した。その入庫してくる車を、体を張って止めるのがあなたの仕事なんだよ。
そのスーパー、クイーンズ伊勢丹北浦和だが、の整理員の態度はそれ以外にもひどいものだった。地下駐車場は駐車チケットを手渡されるのだが、チケット発券所は少し離れたところにあり、発券されたチケットを手渡すために整理員が、緩慢に歩いて持ってくるのを、とっくに車から離れて店内へ向かう体制を整えている僕は待たなければならない。
逆もそう、買い物を終えて帰ってきて車へ向かっている僕に対して、緩慢にチケットを取りに来る整理員に、とっくに車に乗り込む用意が出来ている僕は待たねばならない。
それだけではない。僕が出庫するために前進しようとしたときに、僕の車の前を警備員が横切ろうとした時があった。僕は少し前進したら、あろうことかその警備員は、自分が車の前を横切るために僕の車を制止したのだ。僕は制止を振り切り前進を続けたら、ようやくその警備員は、自分自身の行動が、「客の行動の邪魔」をしていることに気づき、どうぞという仕草をした。
以上のような積み重ねがあり、僕は伊勢丹の管理会社にクレームのメールをした。
しばらくして伊勢丹に行ったら、整理員はてきぱきと仕事をこなし、小走りでチケットを持ってきて、取りに来るようになった。
社員教育の問題であることが露呈した。
しかしその怠惰な伊勢丹の整理員の中で、ちゃんとした仕事をしていた唯一の人は、女性であった。
僕の私見かもしれないが、そういった警備の仕事をしている女性は大抵ちゃんとしているように思える。

あと、警備員には偉そうな人が多いように思う。
僕が、その駐車場の一方通行に気付かず、逆回りに出ようとしたら、違うだろ!と怒鳴られたことが何度かある。
いや、それを指示して正しい道へ誘導するのがあなたの仕事だろう、と思うのだが。
初めていったスーパーや場所において、その場のローカルなルールには気付きずらい。
一度は、赤いコーンが置いてあることに気付かず、それを引きずったら、整理員ところがこの整理員が飛んできて、逆方向だろ!!と怒鳴られた。
いや、俺は客で、それを誘導するのがあなたがたの仕事だろ、といったら、黙り込んでいた。
何かを人に指示をすることにより、自分がその人たちよりも立場が上であると、勘違いしてしまうのだろう。


ろくなものではない整理員だが、ある細い路地を、実は工事の為に迂回をしなければならないのだが、それが全く判別できず、もう引き返せないだろう、というところまで入って初めてそれに気づく、というような場所での出来事。僕が往生していると、整理員がやってきて、申し訳ないと謝罪する。僕は、もうちょっと手前で判別できるように整理しろとクレームを言ったら、もうしわけない。僕たちも頑張っているのだけど、いかんせん警備員の数が足りないんです。出口にもう一人、あと入り口の部分にもう一人必要なんだけどそれを半分の人数でやらされている。会社にも言っているのだけど聞き入れてくれない。と言った。
その問題は、会社の人件費削減が原因であったことが露呈した。
その整理員は、若者であった。人手が足りない中、とても立派に責任ある行動をとってくれた。

こういう言い方はいい方は良くないかもしれないが、コンビニの店員なども含め、世の中高年の男性の仕事の出来なさ、が目を引くことが多い。
気が利かないにもほどがある。なぜかはわからない。リストラされ、再就職先のそれらの仕事に不満があるのか、それとも、今までオートマティックに言われるままに仕事をこなしていただけなので、少しのクリエイティビティ―が働かないのか、それとも老化か、わからないけど、たいてい苛立ちを持つことが多い。

我が家の近くに大きなホームセンターがある。そこの警備員は優秀だ。
歩行者と、一方通行の通行量の多い道路に誘導するのに、ほぼ合理的な誘導を行い、安全に出庫させてくれる。
たいていの場合僕は整理員が行けと言ってもすぐには行かず、自分の目で確かめていく。だがそのホームセンターの整理員の指示には無条件に従っても安全なのではないか、と思えるぐらい信用を置かせてくれる。
そう思える整理員のいる店は、ごく稀だ。

僕は、交通整理とは、ある意味スペシャリストの仕事だと思う。オーケストラの指揮者は、オーケストラの音を整理し、ぶつからないようにするのが仕事。
いわば交通整理員は、車と車のの指揮者のようなものだと思うのだが。
音がぶつかってもだれもケガしないが、交通整理を間違えると場合によっては交通事故が起こる。なのにこの品質の低さは何なのだろうか?ほとんどの場合、いないほうがましだ。

交通整理員の品質向上を切に願う!













  1. 2018/04/25(水) 12:56:23|
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インディア珍道中vol.4

聡子さんへ

小生、昨日あれから思いがけず嬉しいことがありました。
昨日は、ガネーシャ寺に行ってガネーシャを恩人にプレゼントするために買ったところまで話しましたね。
その後、プラモノさんという人のご自宅へご馳走していただけるとのことで、小村と、舟、葵の三人でお邪魔したのです。プラモノさんは前回の渡印のとき、小生の大好きなボンベイでしか食べられない「ぱうばじ」というトマトソースのパンをごちそうになったのです。
たったそれだけの縁なのに、ご自宅まで招待していただき、ご馳走していただけるだけでもうれしかったのですが、なんと、ご自宅に着いたら箱を一つ真に、と渡してくれ、開けてみると、何とも立派なガネーシャの像が入っているではありませんか!!

先日の手紙にも記しましたが、誰かからガネーシャをプレゼントされることは、プレゼントされるほうにとって、とてもとても幸福が訪れるといわれておるのです。

ガネーシャ寺に行って、ガネーシャを人のために買い、そしてそのガネーシャを人から貰えた、なんて幸せな一日だったのでしょうか。

いうまでもなく、プラモノさんの作る料理の数々はとても美味しかった!!
とても幸せな一日でした。

舟ですか?
  1. 2018/03/02(金) 22:13:25|
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インディア珍道中vol.3

聡子へ

元気に過ごしていますか?
昨夜はボンベイの海沿いの音楽堂で、小生のピアノ三重奏の演奏会が行われたのです。
初めての印度でのコンサートは超満員で、大盛況でしたよ。
演奏会の内容のことはまた帰って直接お話ししとうございます。

本日は葵と舟と、そしてこちらに長期滞在中の小村に連れられて、ガネーシャ寺というお寺に参拝に行ってきました。
ガネーシャというのは、ヒンヅ―の神々の一人で、象の姿をした神様で、インドの神様の中では最も人気の高い神様だそうです。
ガネーシャは日本人の観光客にも大人気で、沢山のガネーシャの像や飾り、絵などがそれはもう至る所に売っておるのです。
かくいう小生も、先日ガネーシャの壁掛けの工芸品を購入したのです。
小生は南の国の工芸品がとても好きで、沖縄に行ってもシーサーやらマカイやらを必ず買って帰るのです。


ガネーシャ寺に着いたら、まずは花屋のところで靴を脱ぎます。そしてその靴を預かってもらう代わりに、参拝のお花を買うのです。
普段はとても混雑しているらしいガネーシャ寺は、その日は快適に参拝出来る程度の軽い人の出で、小村はこんなことは珍しいのですよ、と言っておられました。
小村は、小生のバンドのドラマーでもありますが、毎年ボンベイへ、長期滞在し、印度古来の打楽器タブラのお稽古を受けるという、誠に音楽に対して熱心な人で、小生は昨年も彼にインディアへおいでよとのお誘いを受けたこともあり、急に思い立ってボンベイへ旅したのでした。

ガネーシャ寺を出て小村と小生は歩きながら、共通の恩人の話になりました。
その恩人はとても素敵な人なのですが、少し商売上のトラブルがあり少し気落ちされておるのではなかろうかと思われるのですよ、と小生はいいました。
我々はそのことで大層心配しておったのです。そこで小村が、印度にはガネーシャのものを第三者からもらうことはもらった人にとても幸福を運ぶといわれているのですよ、小生たちでともにガネーシャをプレゼントしませんか?そういいました。
小生は、そのことにとても賛成しました。そして、それには、小生たちの共通の音楽仲間でもあり大先輩の古太郎さんにも乗ってもらいたく思い、日本にいる古太郎さんにその旨電報を打ったのです。程なく古太郎さんから喜んで協力させていただく、との旨の返信いただいたのです。
恩人の喜ぶ顔が見たいものだね、小村とそう話しつつ、我々は岐路に着いたのです。

舟ですか?舟はあの性格ですので、相変わらず、食べてばかりですよ。
葵ですか?葵は、たべてもたべなくても相変わらずXLを維持していますよ。
三人とも、胃腸は大変健康なようです。



  1. 2018/03/01(木) 23:33:02|
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インディア珍道中vol.2

聡子へ

元気でいるだろうか?
印度は水が良くないから腹の調子には気を遣え、と皆に言われたのだが、知らず知らずのうちにそれでも生水を摂取しているのであります。
屋台でとても美味しそうなすなっくが売っており、好奇心旺盛な舟と一緒に食べたのですが、それは印度人でも屋台で食べるのを躊躇するほど危ない食べ物だったようです。
しかし、腹の調子はすこぶるよく、むしろ暑さにより頭痛がしてきたようです。
暑さには強い小生ですが、その小生が暑さに参っているのは、おそらくは酷寒の東京から急にボンベイへ来たからだと思われます。
こちらはフレッシュなジュースがやたらおいしく、もざんびというオレンジとライムの間のような果物や、ヤシの実、砂糖黍や柘榴のジュースが絞りたてで、高いものでも70ルピー、安い砂糖黍ならば十ルピーで飲めるのです。
一ルピーは一円七十銭ですから、十七円ほどでフレッシュジュースが飲めるのです。
印度にいると金銭感覚がおかしくなってきます。

そんな印度では買い物も楽しみの一つです。
葵は、Tシャツを買いました。サイズを聞かれた葵は、「私はえむサイズだと思います」といったのですが、店員さんはそれはないだらう、という目をしながら、「Your size isnt M.Your size about umm XL.」
と言ったのです。店員が見立てたそのXLのTシャツは、悲しみをそそるほどに葵にぴったりでした。

またある屋台で小生は素敵な方位磁針を見つけました。昔の海賊が持っていそうな方位磁針でした。
一千ルピーと少し高めだったのですが、息子へのお土産にと思い買おうと思いました。
試しに八百ルピーに値切ってみました。店員は首を横に振り、ああそうでした、インディアでは、首を横に振るのはOKのサインなのですよ。
それでは、NOのサインは?というと、それも首を横に振るらしいのです。
振り方と表情でYes Noを判断しなければならないのですよ!とても難しい。

八百ルピーに値切った方位磁針を店員は紙袋に詰め、まさに僕に手渡そうとしていたその時!、舟は急に唐突に大声を張り上げ、「NO!六百ルピー!!OK???」
店員は首を横に振りNoの意思表示をしたのです。
「舟、もういいですよ。この人たちもお商売なのですから。八百ルピーでいいですよ」と言ったのです。この関西人の小生が、そういったのです。ところが、舟はあの性格です。「ダメ!!六百ルピーじゃないと買わないから!!」と突っ返したのです。
店員さんは苦笑いしながら「OK」と、首を横に振りました。

舟ですか?舟は買い物はせず、ひたすら食べまくっています。
  1. 2018/02/27(火) 20:31:21|
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インディア珍道中vol.1

親愛なる聡子へ。

聡子、元気に過ごしていますか?小生は今、遠く離れた印度の街、ボンベイへ来ています。
異国の地にあれば、ただ息を吸うだけでも新鮮で楽しくはあるのですが、さりとてただ道を歩むのみでも体は疲れ果て、安宿の粗末なベッドに横たわってみると、その安堵感から、ああ小生思いのほか気を張っていたのだなあと気付く有様です。

そうそう、今日はたいそう面白いことがありました。とはいえ、日本では珍しい象を見ただとか、野生の豹を見ただとか、さういった、いかにも異国の地にあるなと思はせる事柄ではないのです。いや、もしかしたら、それ以上に異国のこの印度でしかありえない面白いものを見たといえるかもしれない、面白いことがあったのです。

本日我々一行は、ボンベイの南の町に向けて印度国営鉄道に乗り込み向かったのです。
我々一行は、印度に慣れたものは一人もおらず、一人は印度どころか日本を離れたことすらほとんどない女が一名、そしてもう一人の連れ合いは聡子も知っているだろう、あの舟です。舟は、印度にはツアー旅行で一度きり、しかも20年は前に一度来たことがあるらしい舟と、そして辛らうじて昨年印度に十年ぶりのワイキキの海岸以来の海外旅行旅したといふ小生ただ三名でした。

我々一行は、おそらく大変緊張した面持ちで車内に立ち尽くしていたのだらうと思います。それはそれは面白い光景であったのではなからうか、と思います。
もし、その光景を聡子が見たとしたならば、おなかがよじれるほど笑ったことだらうと思います。
我々は、あたかも印度に、鉄道に慣れた一行であるかのやうにつんとすましこんで、鉄道に乗り込んでいると、少なくとも周りにはそう見えるようにふるまっていたつもりでした。しかし周りの印度人の乗客は気を使ってくれ、どこまで行くのだい?まだ大丈夫、次の次の駅だからね、と、その車両の人々ほとんどすべての人々が、我々に気を使って親切にしてもらっていたのだから。
そして我々は慣れない英語と聞き取りづらい印度人の話す英語と、まったく意味の分からない印度の言葉に対して、ただ笑顔でうなずいていただけなのだから。

印度では電車が正確に止まるまで乗客は乗り降りを待つ、という、日本では当たり前のことが全く当たり前ではないのですよ。
電車が止まる前から電車から飛び降り、走り始めていてもまだ飛び乗ってくることが日常なのです。
舟はどうしてもそんな電車から飛び降りてみたいといひました。我々はやめておいたほうがいいよ、慣れない我々はそんな危ないことをするべきではない、小生はそう諭したのです。しかし舟はあの性格です。私は電車から飛び降りてみる、と終着駅のチャーチゲイトの駅の構内に電車が入るとほぼ同時に、えいや、といわんばかりの勢いで、電車から飛び降りたのです。

電車は止まろうとしているには間違いはないのですが、まだかなりの速度で構内を走行中で、いわずもがな、舟は、飛び降り、着地すると思わせると同時に、すってんころり、と、本当に文字通り、すってんころり、と、転び果てたのです。
小生ともう一人の女は顔を見合わせ、大笑いしました。
転び果てた舟も、顔を全部真っ赤にしながら、起き上がり、まだ止まらぬ電車に乗っている我々を追いかけ走り始めたのです。
これには周りの印度の人々も、唖然とした表情で、この光景を見守るしかなかったのです。

ある意味、印度象を見るよりも、豹を見るよりも、電車から転がり落ちる人間を見ることは珍しく、日本ではまず見ることのできない、いや、印度でもまず見ることのできない面白おかしな光景であったのです。

幸いにも転がり落ちた舟は、大きなケガもなく無事息災でした。無事息災であったからこそ、笑い話になっていたのですが、もしこれで大けがでもしていたら、笑っていられるどころではなく、今君にこうしてのんびりと宿の机で手紙をしたためることはなかったこととおもいます。

聡子が元気ならば、君もつれてボンベイへ来たかった。君は無理にでも来ようとした。しかし肺の病は安静が何よりも大事だと安斎先生もおっしゃった。君は今は身体を治癒することだけを考えなさい。治ったら一緒に、今度は二人きりでボンベイに行こう。

お土産は君の大好きなCeylonの紅茶をもう買ってありますから。

書きたいことは山あれど、小生眠くなって参りました。
このあたりで筆をおかせてください。
おやすみなさい。
  1. 2018/02/27(火) 18:21:49|
  2. 徒然と
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