真・の・ブログ

日常的な事、ちょっと考えさせられるような事、まじめな事、不真面目な事、料理の事自転車の事等々等々、音楽の事以外の事を徒然と書き綴っていくつもりです。 が、どうなるかはわかりません。

ラプソディーインブルーのコンサートを終えて。

ラプソディーインブルーの演奏が終わりました。
この仕事をただの仕事として捉えるのではなく、僕にとっての新たなる挑戦であるととらえ、取り組んできました。僕にとってはこのシンフォニーが、堺フィルであろうが、ウイーンフィルであろうが、同じ取り組みをしたと思います。そういった外的な要素は僕にとっては関係がない事です。
僕はこの作品に対して、どれだけ深化したところで即興を紡ぐことが出来るか?という事をテーマにしてきました。
表面で曲を解釈したり、適当にアレンジを施して、それに対してのアドリブソロをとる、という感覚ではなく、僕の中に、ガーシュインの、ラプソディーインブルーを、本当の意味で落とし込んで、それをお腹の中に抱え、自然に発生してくる音を紡ぐ。そうありたいと思い、この半年取り組んできました。
本番一週間前のオケとのリハの段階では、まだ僕は表層の中にいました。
ラプソディーインブルーは僕の左脳の中にいました。左脳コンピューターは、失速し、音楽を見失っていました。
一週間かけて、僕は少しずつ、蓄積したラプソディインブルーを、右脳へお引っ越しさせていきました。

前日のリハ、当日のゲネ、全ての時の僕の意識は変化していきました。
当日のゲネを終えた段階で、僕は完全に右脳的に、感覚としてラプソディーインブルーを捉えることが出来たと確信しました。

本番、カデンツが始まりました。
曲が進み、幾つめかのカデンツの時に、存在しているのは、僕と音楽だけである、との事に気付きました。満員の聴衆、オーケストラのメンバー、指揮者、存在していなかった。
存在しているのは、僕と僕の奏でる音楽だけだった。
深く、深く、自分の意識の中にダイビングしていった。そして、そこには、静かな、静かな自分の意識との対話しか存在しなかった。
いや、実はその事に気付いていなかった。
カデンツが終わりに近づくにつれ、深い意識のそこから浮上し来る、すると少しずつ、オーケストラが、井村君が、聴衆が意識されてきて、海面に浮かびあがる。井村が棒を振り、オーケストラが起動する。その時初めて、僕は、本当の意味での、深い意識の底に潜り、そこで自己との対話をしていたことに気付いた。
何も考えていない。音楽に対してのこざかしい気持ちも、ちょっとした虚栄心や、恐怖も、一切の音楽的でない、意識がそぎ取られた、深海へ潜っていたことに気付いた。音楽と、それに向き合う自分しか存在しない空間にいた。

オーケストラや曲、聴衆を無視していて、利己的に演奏していた、そんな風にとらえられる発言かもしれない。そうではない。そんな次元ではない、本当の意味で、自分を見れた。新しい自分の意識を開拓した。

作り出された音楽が、他人から見てどう見えたか、どう感じたか、どう評価されたか、その事も僕にとっては気にならないわけではない。だけど、この演奏に関して、僕は、誰が何と言おうと、自分が到達した境地の値打ちを自分で感じ取る。
演奏が酷評されたとしても、それは僕には関係がない事です。
自分が真剣に向き合ったこと、それに対しての、したたかな手ごたえを感じ取ることが出来た。
とてつもない財産を手にしたと思います。
音楽の完成度ではなく、僕は100%の満足を感じています。

僕は、真剣に音楽に向き合ってきて、本当によかったと思います。

こうやって自分に向き合える機会を与えてくれた、同級生の井村君、そしてそれを是としてくれた堺フィルの皆様、そして来てくれたたくさんのお客様たちに、感謝の気持ちでいっぱいです。

本当にありがとうございました。


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  1. 2017/07/24(月) 20:57:22|
  2. 徒然と
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物事に対するチャレンジ

ガーシュインのラプソディーインブルーのオファーが来たときに、とてもうれしいと思った反面、大変だろうなと思った。
全てのカデンツを即興でやること、軽くアレンジを施す、という程度ならだれでもやっていることだろうが、全カデンツを完全即興で、ソロでやるのは、世界でもそう沢山の人がやっていることではないだろう。
頂いた仕事を、仕事としてこなすだけであれば、何てことないこと。
だが僕にとってこの、ラプソディーインブルーに取り組むという作業は、また新たな自分の越えなければならない、与えられたオーバーハングとして捉えてた。


思えば僕は人生の選択肢において、必ずリスクのある方向を選んできたような気がする。
ほとんど誰もやったことのない冒険を選んで生きてきたような気がする。
自転車でのツアーなどやる前は誰もが馬鹿なのではないか?そう思っただろう。
新太郎さんとのほぼ成功率3割のトリオを、お客さんにほぼ見はなされながら、店にももうちょっとわかりやすい音楽をやってください、と言われながらも、ずっとひたすら即興にこだわり続けてきたトリオも今ではそれなりのポピュラリティーすらあるだろう。
ソロも、ひたすらリスクのあるやり方を続けてきた。スタンダードをひたすら即興的に取り組んだ時期もある。完全即興でのコンサートを続けてきた。それも都内ならばわかるが、地方都市での完全即興はリスキーだった。本当の意味で自分を解放できていなければ、絶対に伝わらない。
それらを乗り越えた後は、スタンダードをただシンプルに歌い上げる、という、その時の僕にとって最も難しいやり方でのソロにチャレンジしてみた。

音楽というワールドを冒険すること。それは相対的な意味合いにおける冒険ではなく、僕自身にとっての冒険。
他人から見たら、冒険に見えないかもしれない。無謀に見えるかもしれない。愚かに見えるかもしれない。
だけど、僕にとってはそれらは冒険なのだ。

冒険の目的は結果ではない。それに向き合ったか否か、本気で取り組んだかどうか、が全てだ。


例えばだけど、カデンツの途中、この調に転調してしまったら、もう戻ってこれなくなるかもしれない、でも行ってみたい、と思う瞬間、僕は本番でも迷わずその調に転調するだろう。結果破綻した音楽になったとしても、僕はその選択を選ぶ。
無論僕は、プロのピアニストだ。僕の選択はただの無茶な選択ではない。
僕の選択する、チャレンジ、なのだ。僕の選択による破綻すらアートたりえるという矜持の元、チャレンジするのだ。

誰にとっても、アーティスト以外にとっても、日常の生活の中にもチャレンジの機会はある。ただ、その事に気付いていない。
チャレンジは作れる。
その事に気づくことが、気付けることが、もしかしたら感受性なのかもしれない。

とにかく、新しいチャレンジの機会を楽しみにしたいと思っている。
  1. 2017/07/19(水) 14:09:34|
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東京の暑い夏

車がないと生活できない。一家に一台マイカーを。そういう社会構造を作り上げた。
道路を舗装した。世の中に車はどんどん増えてきた。道は車であふれかえった。

夏。舗装した道路は太陽の熱を蓄え、そして大気にその熱を放つ。
車のエンジンも、熱を放つ。
百葉箱で計測した気温をはるかに超えた気温。
東京の大気は、灼熱のサハラ砂漠より実は暑いかもしれない。

暑い東京。だから、冷房機は必需品。一回に一台エアコンを。社会構造はそういう風潮をもたらす。。
エアコンは室内を冷やしてはくれる。が、その排熱はやはり東京の大気に放たれる。
更に東京の大気は熱せられる。

エアコンを動かすための電気が足りない。
だから、原子力発電所をたくさん作った。

車を作り、アスファルトで舗装し、東京を熱すれば熱するほど、「誰か」は確実に儲かる。

世界一暑い東京に住んで、本当ならば使う必要のない電力を使い続け、その事にお金を使わされ続け、本当に必要な何か?が何なのか?感覚が麻痺させられたところで、働かされ続ける。
そういう社会構造を作り上げてきた。

車がもたらしたものはあるだろう。舗装した道路がもたらしたものもある。
エアコンも、原子力発電所にももたらすものはあるだろう。

また、それらなしで生活することがきわめて困難だ。
そういう社会構造なのだから。仕方がない。それらを拒否して生きていくことは、極めて困難なことだから。

だけど、こういう社会構造を作り上げてきた「何か」が確実に存在する。
その事は知っておきたい。

  1. 2017/07/04(火) 12:08:38|
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ラプソディーインブルーの公開練習をしてみました

公開練習をしてみてよかった。
というよりも、やらなかったらやばかった。全く見えない部分が、見えた。
ガーシュインは、他のクラシックの曲と違って、楽曲の精密さが低いので、なんとなくニュアンスで出来るかな?と思わせる何かがあるのだけど、実際に本番の気分でやってみると、出来なかった。
クラシックとジャズの間に存在する曲なのだけど、やはり、譜面との距離を縮めていく作業は必要だと思った。
カデンツの部分も、つながるという意味合いにおいてはつなげることは出来たけど、自分自身の普段のジャズの即興とは程遠い、自分との距離が遠すぎるものになってしまった。
一時間ほど曲を試してみたけど、得たものは、出来ない、という結論だった。
出来ない、全く出来ないことに対して、人前でチャレンジしていること、かっこ悪いことです。中村真を尊敬するミュージシャンたちが幾人か来ている人の前で、恥ずかしい演奏をすること、嫌だったけど、むしろそういうかっこ悪い姿を恥も外聞もなくさらけ出している僕の事を、逆にかっこいいなと思うようにもなった。

来てくれた幾人かのミュージシャンに対して、感謝の意味のをこめてスタンダードを数曲弾いた。
その中で、ドルフィンダンスを演奏したのだけど、最後のEのペダルの時に思いついて、ラプソディーのテーマを引用して、そこからラプソディーの即興につないでいった。
その時に初めて、自分との距離が0に限りなく近い、ラプソディーインブルーの即興が出来た。
手ごたえを初めて感じられた瞬間だった。

もう一度公開練習をします。
一週間後の9日にやります。

聞きに来たい人は来てください。
15時開場、15時半開演です。
終わってから飲みましょう。
  1. 2017/07/04(火) 11:36:37|
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アーティストがなすべき政治参画とはvol,2

沖縄慰霊の日。昨日は沖縄の慰霊の日でした。慰霊の日といっても沖縄以外の人にとっては何のことかわからない人も多いと思います。

沖縄戦が終結した日を沖縄では慰霊の日と定めています。

石垣島に斎藤悌子さんという素晴らしいシンガーがいます。もう80を超えたおばあちゃんで、でも本当にチャーミングでお元気な人です。
僕は、数年前の慰霊の日に石垣島で悌子さんと共演しました。
悌子さんは占領下の沖縄の米軍基地などで歌っていたシンガーです。いわば、昭和の本物の日本のジャズシンガーです。
色々な沖縄での想いや、様々な物事を見てきた人だと思う。
悌子さんは、慰霊の日だから、私はダニーボーイを歌う、といって歌いました。
本物のダニーボーイ。禎子さんの、心の中の、戦争に対する想い。それらを歌ってくれました。


それから一月後、僕は稚内にいた。その日は、北海道の輸送船団が米軍の潜水艦に沈められた日であった。テレビではその報道がなされていた。
おそらく、その悲劇を沖縄の人は知らない。そして、沖縄慰霊の日の事を、北海道の人はほとんど知らないだろう。
僕は、斎藤悌子さんの事を話し、慰霊の日の事を話し、そして、稚内の人々の前でダニーボーイを演奏した。
悌子さんの、沖縄の人の想いを、最果ての地から最果ての地へ、届けた。


僕の大好きな沖縄。何度も何度も沖縄を訪ねている。
そして、遥か昔に起こった戦争の、多くの日本人にとって、それは忘れ去られつつある戦争の事、それは、沖縄ではまだ、自宅の隣にある事柄なんだ。
泊めてもらっていた儀保家の別館、二重サッシになっている。北海道でもないのになぜか??
戦闘機の騒音の為なのだ。
みんなにとって、ブラウン管の中の出来事は、沖縄では現実の問題として、身近な問題として存在している。
基地があることのメリットを享受している人たちもたくさんいる。だけど、日本の国の中に、外国の軍隊があることに僕は、違和感を感じずにはいれない。
沖縄では、まだあの戦争の、においが残っているような気がするのだ。

僕は日本中を旅している。だから、日本中に友達がいる。日本に起こる悲劇のすべては、僕にとって友達の事なのだ。
誰だって友達の事は心配するだろう。だから、僕にとって日本で起こる悲劇のすべては、心配なことである。

そこで少しだけ空想を広げてみたらいい。
世界の全く知らないところの悲劇、それも、誰かの友達の悲劇なんだ、と。
誰かの大切な人の命が、奪われている。そう考えることが出来るなら、あらゆる事柄が、他人事でなく感じ取ることができる。

世界の人々が、全員、そう感じることができたら、この世の中から争いが消えて、公平な世の中が生まれるのではないだろうか???

誰かが率先して、そう考えることが必要なのではないだろうか???

基地の問題に対しても、ウヨクの人たちは、いろいろと好き勝手なことをいう。
見たことがあるのか?沖縄の基地を。そこで暮らす人々の話を聞いたことがあるのか??
所詮は他人事として話しているだけだろう。

世界に冠たる民度の高い、日本人。そうウヨクの人は思っている。
であれば、朝鮮や中国の人々の幸せを、願えないものなのだろうか??
本当に民度が高い人々は、他人の不幸を喜ぶだろうか??危機感をあおって争いごとを起こさせようとするだろうか??

大東亜戦争は正義の戦いであった。そうウヨクの人は思っている。
であれば、朝鮮や中国を欧米列強から解放したこと、それは、彼らの幸せを願っての事ではなかったのか??

誰かが率先して、そう考えることが必要なのではないだろうか???

誰がやるの?それは、あなたです。
あなたがやればいい。あなたは微力です。だけど、誰かがやっていかなければ。

それが僕が考える、政治参画です。







  1. 2017/06/24(土) 15:05:18|
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沖縄に帰りたい

今回沖縄、楽しかったけど早く埼玉に帰りたいという気持ちも心の何処かにあった。理由は解らない。
埼玉に待つ人がいるわけでもない。楽しみな事があるわけでもない。でも何故か帰りたかった。

前回の沖縄滞在、自分の誕生日の旅行が最悪なものに終わったこととか、色々思い出していたのだろう。沖縄を楽しいと思う心すら、僕は失わさせられていたのかもしれない。

昨夜の晩、訪ねてきた友の全てが帰り、独りになった。
そして、ただ城間と二人で杯を交わした。
遅くまで飲んだ。

最終日の今日、最後の昼御飯をうるかそばでビールを呑みながら煮付け定食を食べてたら突然!帰りたくなくなった!



沖縄にいたい。



沖縄から帰りたくない。
そう思った。沖縄は、いつも僕にそう感じさせる。
あらゆるところを旅している僕が、唯一家に帰りたくなくなる場所。それが沖縄。
そして、沖縄の人々なのだ。

また沖縄に行こう。

  1. 2017/06/20(火) 18:57:37|
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くだもの

くだもの ~真辞苑より~

くだもの。書き方、下者、下物、等。
果物にその語源を発する。

腐った果物が地面に落下してぐちゃぐちゃにつぶれてみる影もなくなり、寄ってくるのはハエや蟻のみという状態から、ほんとうに下らない人や、物を、下者、下物と呼ぶようになった。

用法。
下者
1)あいつは本当にどうしようもない下者だ。
2)あいつがこれほどの下者だとは流石に気付かなかった。

下物
1)このエレピ本当に下物だ。

2)この腐りきった果物は本当に下物だ。

利点。

下らない、屑だ、等という言葉にはネガティブな印象が付きまとうが、下らない者を表するに、下者、という言葉を使うことにより、発信者自身の人格を損ねない。メンタルヘルスを損ねない、等がある。

  1. 2017/06/19(月) 11:59:41|
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関空へ向けて

とてもとても眠かった。空いていた関空快速の座席をフルに使って僕は熟睡した。
ふと気がつくと、関空快速は停車していた。そして関空から大阪へ向けてまさに今出発しようとしていた。

実は何度も飛行機に乗り遅れて大変な目に遭っている。
JRの遅れのせいで関西行きのスカイマークに乗り遅れ、スカイマークの便は振り替えてもらったが、五時間待ち!僕はJRに新幹線に振り替えるように要求したが拒絶された。何故、自社の失態を、他社にケアさせるのか理解できない。本当にJRが嫌いだ。

東松戸駅で北総線を待っていた。普段必ず4番ホームに来るアクセス特急がその日に限って3番ホームに来た。恋人と共にその事に気づかず、仕方なくジェットスターのチケットを無駄にしてバニラエアに乗った。札幌行き。

関空から東京へ戻るのに、ピーチエアを使った。
駅で立ち食いそばを思わず食べた。余裕を持って出たつもりだった。だが、丁度その立ち食いそば分の時間で、間一髪間に合わなかった。
仕方なく新幹線で戻った。

これだけならばまだよい。
成田で、渡米するときに、税関でパスポートを出した。
すると、パスポートは?といわれた。
今出しているというと、期限切れだと!昔のパスポートを持ってきていた。なんたる失態!やむを得ず翌日の便をとり、渡米した。
思えば何度もどじなことをしてきた。
今回もその轍を踏むかと思ったが、間一髪目覚めて電車を飛び降りて事なきを得た。


  1. 2017/06/14(水) 15:37:13|
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会社を作った

会社を作った。
数人の従業員のいる小さな会社。
最初は大変だったけど、作りたいもの、伝えたいものを作り続けた。
それらに好感を持ってくれる人々が現れた。大好きだと思ってもらえる。とてもうれしい。
会社の経営は少し軌道に乗り始めた。
従業員の数を増やし、会社の規模を拡大したいと思った。
そのためには作りたいもの、伝えたいものだけを作っていては無理。
作りたくないけど世の中が求めてるものを作らなければならない。
心ならずとも、そういうものを作り始めた。
会社は順調に大きくなった。
更に従業員の数を増やし、会社の規模を拡大したいと思うようになった。
100人単位、自社ビルを一棟持つようになった。
その為には、作りたいもの、伝えたいものを作っていてはダメだった。世の中が求めてるものだけを作る必要があった。
会社は順調に大きくなった。
大会社といってよい会社になった。

最初に、自分が作っていたものを好きでいてくれた人々は今は身の回りにはいない。
今自分は、使いきれないほどのたくさんのお金と、本当に必要なのかわからない贅沢なものに囲まれて生活してる。いつ乗れるかわからないフェラーリ、ダイヤの指輪、100万もするヴェルサーチのコート。
だけど、自分が本当に大好きだったものは、身の回りにない。
心から信頼しあえる、利害関係のない友は、周りから去った。
金銭など、必要なだけあればよい。
身の丈にあった会社の規模であればそれでよいのだ。慎ましやかに生活出来ればそれでよいのに。

でも、今はその事に気がついてすらない。
世間の暗黙が強制するがまま、ひたすらに会社を大きくすること、その本来副次的であるはずの事柄に、夢中になる。
我を忘れ夢中になる。
生きる目的を見失ってる。
だけどその事に気づいてすらいない。

大富豪になったら幸せになれる。

わけではない。

幸せを、感じとることすら出来ない、いや、自分が実は不幸であることにすら、気づけない人間になっていることに、気付いてない人間になった。


  1. 2017/06/11(日) 13:23:05|
  2. 徒然と
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思いを伝えること

心の中で思ってることって、誰もが話してくれるわけではないんだね。

能動的にも素直な言動は人を不快にさせる。

わだかまることがあったとして、その事を伝えてくれる人ってかなり貴重なんだな。
僕は、思ってることを伝えるけど、そんな人は稀なんだね。

普通は、黙ってシャットアウトなんだね。
あなたをシャットアウトします、っていってシャットアウトしてくれる人はまだ親切なんだね。

だから、その人はシャットアウトされてることに、しばらく気づかないんだね。

気づいたときには、かなりの人からシャットアウトされてるんだ。癌細胞みたいに、回りに自分をシャットアウトしてるひとが増えて、もう取り返しがつかなくなるくらいにまで進行して、はじめて自分が愚かだったことに気付いたりするんだろうね。
かわいそうだね。でも仕方ないね。

思ってることを僕は伝えるから疎まれたことも多いけど、だからこそ得てきた信頼もたくさんある。
だからぼくを慕ってくれる人もたくさんいてる。
自分が正直に生きてきた結果得た財産なんだ。

正直に生きてると正直な答えが返ってくる。それらに虚心に耳を傾ける。
すると、色んなことが見えてくるし、色んなことが学べる。

受動的に素直でいたい。

そして、能動的には頑固でいたい。

自分の哲学や理念を一生のスパンで貫き通す覚悟を胸に蓄えて生きていきたい。


http://nakamuranokangae.blog55.fc2.com/blog-entry-77.html?sp

この文章の対句です。

  1. 2017/05/26(金) 13:46:30|
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ネット上で色んな政治的な意見を述べている人たちに対して思う事。

ネット上でいろんな政治的な意見を述べている人がたくさんいるが、僕の目から見てまともな意見を述べられている人はほとんどいない。ほとんどが、自分の信じたい情報を信じてそれをシェアして、それ見たことか!!的なもの。
情報には、必ずバイアスがかかっている。一つの事象、情報に対する価値判断は、右に100の価値があるとすれば、必ず左にも100の価値判断が存在する。それは人間の主観というバイアスが必ずかかるからだ。
故に、ある、自分に都合のいい情報、Oh yeah!、ではなく、逆の価値判断の存在を意識してみたらいいのではないか、と思う。

情報の蓄積や歴史の学習で、何かがわかるわけではない。それらを基にして、思考しなければならない。
思考とは何か?リテラシーもそれに含まれる。が、僕は最終的には、自分の哲学や理念を持つことだと思う。

世の中のほとんどの情報や、プロパガンダ的なものは、最終目標として、人々が自分の哲学や理念を、持たれては困るというバイアスがかかっていると言い切ってもいい。
思考されることが最も為政者にとって困ることなのだ。

はっきり言って、為政者が捲いている、反体制的な情報、それらをうのみにして、「不平」を述べさせて、ガス抜きをさせられている、ただそれだけの事を政治参画だと思わせられていることに気付かなければならない。

支配被支配の構造は、江戸時代と今とでは複雑さが異なる。
しかし、厳然と存在する、支配層が、現政権を支持するのは当然のことだと思う。
だが、被支配層が、短絡的なアジア諸国の脅威論に乗せられて、体制翼賛されている様は滑稽だ。
北朝鮮がミサイルを日本に打ち込むことは、絶対にない。絶対にないです。
そんな簡単なことが、わからない。

商売のコツは、危機をあおること。よく見ると、あらゆるところで危機感をあおってコマーシャルが成り立っていることに気付くはずだ。それと同じこと。
メタボは怖いですよ、青汁を飲みましょう、納豆は万能色だ、ステロイドは危ないです、フッ素は毒だ、放射能は危ない、北朝鮮は気違いだから何をするかわからない、等。

フッ素は毒だから歯に塗らないで、子供を虫歯だらけにしている。確かにフッ素は毒だろう。どの程度の毒なのだろうか??
フッ素を塗ったおかげで、80まで20本の歯が残るような健康を手に入れるのと、塗らなかったおかげで60で総入れ歯になるのとどちらが健康だろうか?
フッ素を推奨することにより、推奨する側にどういうメリットが生じるのだろうか??
そういったことを、色々と考えていく必要があるという事です。その上で、自分の考えを持つべきだと思うのです。

僕自身は、あらゆる事柄を対立構造としてとらえてはいません。
僕自身が、にはたづみプロジェクトなどで提唱する「精神主義」「贈与主義」的な理念は、必ずしも、資本主義的な理念のアンチテーゼとして存在するわけではありません。資本主義的な理念からの贈与、もあるだろう。いや、現在において存在する贈与の理念のほとんどは、資本主義的な理念によるものだろう。
だが、それを、我々時代に先進するアーティストは、アーティストの目線から、それらをより善意を源とする贈与主義へと移行することを、各自が思考することにより、ほんの少しずつ推進していければいいと思っています。

そして、僕たちが死んだ後の未来になるかもしれないけれども、本当の意味での精神主義の到来を心待ちにしたいと思っています。


http://makoppo081.blog52.fc2.com/blog-entry-1153.html
これからの世の中がどう変化していくのか、僕の考えを述べる。
vol.2もあります。



  1. 2017/05/19(金) 17:06:41|
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北海道ツアー終わりました!楽しかったです!!

大村亘とのDuoツアー終わりました。
ドラムとのDuo自体は関西在住の時に村尾浩史と散々やってきたので僕的には馴染みのある編成でしたが、トリオでやりこんできた大村とのDuoは果たしてどうなるのか?期待半分不安半分でツアーに挑みましたが、結果としては何の問題もない、どころかかなり手応えのある演奏となったと思います。
若い頃の村尾浩史とのDuoの時にはもて余しぎみであった、ベースがいない事によって生まれてくる空間を、楽しむどころか、むしろ意図的に作ってみたり、トリオではトライしてなかった大村のバラードでのドラムソロにより、彼のドラムから発信されるメロデイー、ハーモニーをより深く吟味することが出来たことも収穫であった。
惜しむらくはDuoでしか出来ない曲、というのを多く見つけることができなかったといったところかもしれない。
このツアーでの手応えは、必ずやトリオの演奏に対してフィードバックされることであろう。
Duo編成での活動もトリオに平行してやって行けたらと思っています。

最終日長沼タツルと三人で演奏したがそれも楽しかった。タツルのスタイルではベースを欲しがるかと思ったが、あえてこの変則的な編成にチャレンジしようとするタツルの姿勢も素晴らしいと思う。
また、久しぶりのタツルは進歩していた。
端正な素晴らしいジャズギタリストだと思う。

最後にお世話になりまくった留萌土田さん谷口さん、大野さんはじめ素晴らしい北菓楼のスタッフのみんな、呑みに付き合ってくれた札幌の仲間たち、みんなありがとう!!

  1. 2017/05/18(木) 15:21:57|
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ツアー終わりました。ありがとうございました。

Makoto Nakamura Trio CD発売記念ツアー終わりました。精神的に本当に厳しいなか続けてきたツアーでしたが、メンバーに助けられ、いいツアーになりました。
新太郎さんは、音楽家は基本的にLonleyなのだ、といった。確かに孤独です。
ステージに立ったとき、トリオというユニットであったとしても、僕は、メンバーに助けられてステージに立っているわけではない。自分自身の足でステージに立って、打ち負かされたときにも自分でた立ち上がらなければならない。
だけど、Lonleyではないのだ。メンバーは僕を助けてくれるのだよ。僕がステージに立つことを待ってくれるんだよ。
ジャズって、そういう、厳しくも優しい音楽なんだよ。
そんなことを、改めて思い知ったツアーでした。

僕は30代、自分自身の音楽表現の「難解」との格闘を続けてきました。
自分の理想とする音楽像が、リスナーに理解されない。それどころか共演者にも理解されない。
心を挫くこともたくさんあった。だけど、その都度僕は立ちあがってきた。孤独との格闘を続けてきた。
今回、どんなに自由な、即興的な演奏を繰り広げても、お客さんは、感動してくれた。
僕は、自分自身が難解を通り越したと思っています。難解とはそもそも何なのか?僕は、自己表現と、その間にある左脳的なロジカルだったり、精神的な躊躇であったり、そういうものが、「難解」へと繋がっていたのだなと思う。
僕の今の表現は、より、ダイレクトになっていると思う。躊躇もロジックもない。あるのは、純粋な自己表現だ。
そして、それを、受け止め、より高い次元へと昇華してくれるメンバーのおかげです。

疲れ果てた。腕もパンパンに腫れあがっている。
だけど、果てしなく得るものは多かった。

出演させてもらったお店、来てくれたお客さん、協力して企画してくれた皆さま、本当にありがとうございました。
これからもトリオは進化していきます。次は、5/9(火)吉祥寺サムタイム。僕の中では、楽しいエキジビジョンマッチです。
仲間もいっぱい見に来てくれます。よかったら見に来てください。
楽しく演奏したい、何も背負わずに、何も考えずに。

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  1. 2017/04/24(月) 14:41:34|
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金子雄太とのツアー終わりました。楽しかった!

ツアー終えて家に戻りました。

今回は、本当に最初から最後までいい思いしかないいいツアーでした。そういうことはなかなか珍しいのです。

僕にとって何が重要なのか?というと、僕たちの奏でる音楽を、大切に扱ってくれるかどうか、です。

ハーミットの壇さんも、ファースト終えるとあー気持ちい、と声をかけてくれた。

ランプのマスターは、僕のYouTubeを見て調律師と音を作ってくれていた。集客が今一つであったケリーズの窪田さん、嫌みのひとつでも言われるかと思いきや、僕が演奏上生きてること(雄太に生かされていたこと)を、まずそれでない僕の演奏など聞きなくないといってくれた。

岡山の井上さんはじめ、ピアノの先生方の有志の企画者の方々も大喜びしてくださった。

インターリュードの丸岡さんも、企画の段階から好意的に接してくれた。

シンガーのマリちゃんも、我々の間で歌う経験を出来たことを心から喜んでいることを僕に伝えてくれた。本気の言葉で僕たちに話してくれた



来てくれたお客さんも、皆喜んで帰ってくれた。

馴染みのお客さんはわざわざツイートで本当にいいから!皆行って!とコメントを下さった。

他の人からも、本当に良かった、心から良かったという感想を何度も何度も伝えてもらった。



僕にとって大事なことは、お金ではない。

お金でない心の触れあう価値を、共に共有することなのです。



そして金子雄太さん。本当にあなたは素晴らしい音楽家であり、素晴らしい人間であり、紳士だと思いました。

正直で、真摯で、思いやりがあり、素直で、ぼくは本当に人として尊敬しています。

同い年の友として、音楽家として、彼は僕にとって得難い人です。



彼には、プライベートなゴタゴタでどうにもならなくなったときに、演奏をキャンセルし、迷惑をかけた。でも彼はそんなこと何一つ意に介してなかった。

真さんの回りには本当にいい人ばかりがいるね。本当によく言われる。



僕にとって、友は何よりの財産なのです。

今回世話になった皆さん、本当にありがとう。僕はいつか何らかの形で恩を返していきたい。

実りあるツアー、ありがとう!!

  1. 2017/03/09(木) 02:58:02|
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インドでタブラのプライベートなお稽古を拝見したこと

インド古楽器のタブラという打楽器を、大村くんは学ぶためにインドにいてるわけですがその兄弟子のレッスンというか、師匠の前での御披露目演奏のような、極めてプライベートなシーンに立ち会う事が出来ました。タブラとは指で叩く打楽器で、極めて技巧的なスタイルの打楽器です。
弟子とはいえ、インドでもトップクラスの人二人が寸分の狂いもなくユニゾンで20小節くらいの節回しを演奏していく様に圧倒されました。
しかし、その部屋に入った瞬間に、その師匠の佇まいをみて、これはすごい人だなと思いました。
ただ者ではないオーラ。僕も芸術家の端くれです。立ち居振舞いだけである程度の事はわかります。
先生がタブラを片方だけ持った。タブラは口伝なのです。先生がその場で作った節回しをその場で弟子は再現していく。
少し難しい節回しになったとき、片方のタブラだけを取り出して伝えようとしたのだと思います。圧倒的な音の立ち上がりの違い。両方のタブラをついに取り出しました。
凄い!こんな演奏を、間近で聞けるなんて!
二時間ほどの体験でしたが、例えて言うならハンクジョーンズの家でハンクさんのレッスンを受けてる若手トップピアニストの演奏とハンクの演奏を聞いたようなものです。それよりも僕にとっては価値のあるものだった。コンサートとは違う。僕たちにとってはコンサートを聞くよりもある意味興味深いシーンでした。
あのあと食べに行った食べ放題のカレー500ルピー。めちゃうまかったぞ!

  1. 2017/02/25(土) 09:58:21|
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インド行ってきました

一週間ほど心の洗濯のためにインドにいってた。
旅、というよりは、治療のためにインドに行った、といってもよい。
傷つき、すさんでいる僕に対し、インド滞在中の大村君は、おいでよ、といってくれた。
こんなことでもないとインドになど行く機会もないだろう。
荒療治かもしれないと思った。でも埼玉に居続けることに限界を感じていた。



ムンバイの空港には、大村君の友達の女の子、サラちゃんが来てくれた。英語が全く喋れない僕に対しても優しく接してくれた。でも正直、着くなり街の騒音のすさまじさに、来るんではなかった、と思った。騙されたと思った。一瞬で後悔した。
しかし一週間過ごしてみて、インドが好きになった。
7ルピー(大体12~3円ほど)で飲めるスタンドのサトウキビジュースとか、チャイも6ルピーくらいでめっちゃおいしく、金銭感覚も狂う。ごめん、さっき借りた10ルピー返すわとか。
日本円で500円を超える食事はついぞ食べることはなかった。
インドはお酒を飲みながらご飯を食べるという習慣に乏しい。食堂にビールがないことも珍しくない。
また、僕が滞在している最後の二日間は、ドライデーという、国をあげて酒を飲まない二日間だった。

20170222174355098.jpgムンバイの街角


日本人が珍しいのかインド人は僕の事をガン見してくる。ガン見されてるように感じるだけなのかな?わからない。しかしムンバイには中国人も日本人もついに観光客としては一人も見なかった。


海岸の道を散歩した。のんびりと。ぼんやりと。
ふと気付く。インドでは街の中をのんびり散歩することなどできない。道は戦場だ。歩行者もバスもトラックもリクシャも関係ない。クラクションはどけのサインではない、進むよとの意思表示なのだ。。
散歩が大好きな僕は、ただ落ち着いて歩けることに楽しさを感じ取った。そんなことを感じ取れる国、インド。

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インド人は喫煙マナーがよい。歩きタバコや吸い殻のごみは見かけない。町はごみだらけだが吸殻はほぼない。また町中でくわえタバコをしてる人を見たことがない。
電車にも飛び乗り、飛び降りる。無秩序に見えるのだが、彼らには彼らの秩序がある。知らない異国の人に対する優しさがある。一週間足らずだがそのことが理解できた。

20170222174351507.jpgこんなに上品ではない。すごいシーンはとれなかった。


貧富の差も激しい。駅の切符売り場に暮らす家族がいる。要するにホームレスの家族。
その家族の一番小さな三歳くらいの子供が切符売り場の床にうんちをしまくっていた。あちらにウンチこちらにもウンチ。しかし回りも親も知らん顔。だがしかししばらくするとその子の親がうんちを回収して回っていた。
エチケットがあるのかないのかわからない。



トイレ事情もインドは独特だ。紙を使わず手で洗うのだけど、郷に入れば郷に従えで、僕も期間中チャレンジしていた。とはいえ、ほとんどの場所でペーパーはあった。ないのは公衆トイレとかぐらい。
公衆トイレでも僕は全然問題なく使用できるほど衛生的であった。


電車の中で少女の物乞いにたかられて思わず数ルピー渡した。
あんなのに金を渡す気持ちがわからなかったけど、実際に対面すると、渡してしまう。
物乞いは数ルピーの事でお互いに嫌な思いしなくていいでしょ?といってきてるように思える。もちろん本気で断ろうと思ったら断れる。だけど、断るエネルギーを使い、断られるエネルギーを使いあうの、面倒だよね?だから頂戴、少しでいいから、と問いかけられているように感じた。



携帯電話を深夜リクシャの座席に置き忘れたのだが、拾い主がなんと明け方になって電話を掛けてきてくれたのだ。
まさか出てくると思ってなかった。奇跡を感じた。ライブをしたアメリカ人のサックスの人は、そんなことは日本でしか起こらないよ、と冗談をいわれた。



ご飯もすべて美味しかった。
カレーの辛さ、それにコリアンダーと生玉ねぎの組み合わせは絶品でした。
水を飲み干したらすぐに出てくる。水飲みの僕からすればうれしい限り。レストランのサービスは日本以上。
沖縄に繁く通うようになって本土で沖縄料理を食べなくなりました。それと一緒でインド料理がこちらで食べるのがあほらしくなる。価格は1/3で味は三倍美味しいのだから。
日本食が懐かしく思うかなと思っていたが、まったく大丈夫でした。また、インドは水が悪いと評判で気をつけていましたが、ついに腹を下すという事はなかった。むしろ快便であった。

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一番好きな料理だったかもしれない。パオバジ。トマトソースのカレーバージョンみたいな料理で、本当に美味で、自分でも作れそう。

20170222164152618.jpgダルタルカ。豆のカレー。この長粒種の米がひたすらうまい。南インドカレーで、基本は肉は使わないそうです。

20170222164156204.jpgアルフォンソマンゴー。出始めで、高かったけど(100円ぐらい)めっちゃおいしかった!!死ぬほどおいしい果物でした。



間違いなくアジアなのだけど、ところが西洋の香りがする場所でもある。
建物等だけではなく、人間からそう感じ取れる。
貧富の差であるとか、インフラの整備の度合いであるとか、もろもろの事柄において国にはひずみが生じる。日本も先進国だと思っているかもしれないが、トイレの水洗普及率は先進国中最低なのです実は。
インドはもうひずみのプロみたいな国でした。おそらく今世紀中にこのひずみが変わってくることはないだろうなと思う。いい意味でも悪い意味でも、適当なんだと思う。どこまで行っても。



少なくとも日本人の普通の価値観が全く通用する国ではなかった。親切で優しい国なのだけど、日本のお上品な常識では到底とらえられない価値や基準が存在する。
駅に住んでいる人がいると思えば、高層ビル一棟が個人の家である、そんな国。

20170222174348151.jpgこれ一軒家です


大村君はそんなインドを僕に見せて、心が麻痺してその調子で元気になってほしいと思って、インドに呼んでくれたんだと思う。
大村君は、ライブも二本ほど組んでくれた。
あんなに楽しそうに演奏する真さんを初めてみた、といってくれた。

病み疲れた僕の心をインドは優しく?いや厳しく?いやなんとも言えない感覚で、癒してくれた。

いずれにせよ、大村君には感謝です。やっぱり一流は、僕が心が癒えるところまで見越して、誘ってくれた。
大村君は、いろいろプランしてみましたがどうでしたか?と僕に問うて来てくれた。さりげなく気づかいしてくれたり、まあなんというかやはり大村の一流感に満ち溢れたインド滞在で会ったことは確かです。色々とありがとう。大村君。
そして、周りの皆さんも、とてもよくしてくれた。サラちゃんはじめ、インド古典に取り組んでいる日本人の皆さんや、ジャズミュージシャンの皆さん。大変感謝です。

インドに帰りたいな。

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  1. 2017/02/22(水) 17:53:29|
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帰国します。

携帯紛失しました。しかし出てきました。 日本以外でそんなことなかなかあり得ないことですね。親切な人が拾って連絡してくれたのです。 他人の親切が心に染みますね。 今日帰国します。帰り着くのは明日の朝になります。 完全、とは言いがたいかもしれないけど、まあ元気です。来る前を考えてみると、別次元に元気になってるかもしれません。
  1. 2017/02/21(火) 11:02:42|
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久しぶりに人前で演奏をした。異国の空の下。
音楽はたのしい。心を癒してくれるね。
ずいぶん元気になりました。
チャージしていこう。

  1. 2017/02/20(月) 08:54:14|
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旅が何かを変える、などということがないことは、僕が日本中に轍を刻んできて知り得たことの一つ。故に旅に何かを求めたことはなかった。
しかし旅から得たものは数多ある。
求めなければ得られる、それが旅というものとも言える。
今回の僕の旅は、旅というものを知ってから初めての、何かを求める旅なのかもしれない。
僕は逃げ出した。仕事からも責任からも逃げ出した。
そして、日本から逃げた。逃れられない現実のある日本から逃げた。
結果は多分どこにいても逃れようはないのだが。

  1. 2017/02/16(木) 13:10:50|
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誕生日を迎えました

1/14日で45歳になりました。
今年は沖縄で誕生日を迎えました。
11日から沖縄にいって冬の何にもない沖縄を満喫してきました。
本当に長い44歳でした。本当に色々なことがありすぎて、一年が長すぎます。
露玉のコンサートが44の誕生日で会ったことなど本当か?と思えるほど長い一年でした。
今年は更にたくさんのことが起こって、とてもじゃないが一年と思えないほどの長い一年になることと思います。
今年は、トリオの新譜を出します。それに伴うツアーの準備もしています。
ソロのレコーディングもしてみたい。色々とやってみたいことがある。アマオケではあるけれども、オケとの共演もあります。

45歳も更にまい進していきたいと思います。
よろしくお願いいたします。


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  1. 2017/01/16(月) 13:52:39|
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今年もよろしくお願いいたします。今年の抱負と気持ち。

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
昨年一年間は激動の一年でした。44歳とは思えない動きの多い一年間でした。ひたすら長かった。
2017年は、どんな年になるだろうか?僕は、色んなことに惑わない自分でいたいと思います。
40にして不惑とは言いますが、僕はまだまだ惑う。
人の幸福を、自分に置き換えてみて、自分は何と不幸なのだろうか?そんなことを思ったりすることもあります。
ぼくは、そんなには不幸ではない。いや、相対的に見ても相当恵まれているほうである事は知っている。
だけどそんな風に惑う事もある。
音楽に対してはさすがにもう惑うという事はない。わが道をゆくのみ。
ただ、年齢を重ねていくことによる、価値が固まっていくことは一歩間違えると固陋であるといえる。
そうならないように自分を絶えずリフレッシュしていくことを考えていきたいと思う。
そういう意味でも、昨年は、比較的若い世代との交流が増えたことは自分にとって好ましいことだ、
特に大村亘が僕にもたらした風は大きい。今年もそのような若手たちとのかかわりを積極的に持ち、学ばせていただくという気持ちでいたい。
自身のワークショップも、誰よりも学んでいるのは僕だと思う。
自分の事業としては、にはたづみプロジェクトのより充実を図っていきたい。しかし無理せず。
レコードとしては、助川太郎と芳垣安洋のプロジェクトのリリースを考えている。
ミュージックキャンプも更なる発展を、まあこちらのほうは自然な流れに身を任せておけばよい。
あと、自身のトリオのツアー、そして、今年はソロをレコーディングしたいと思っている。
久しぶりにソロを何度かやってみたが、少し自分の中の感覚が変わっていて、面白くなっていた。
ジャジーであることに対してのこだわりから少し解放されているように思える。
今の僕の感覚を少し残してみたいと思う。

長かった一年。今年はどんな面白い激動の一年になるのだろうか?

今年も皆様、よろしくお願いいたします!!
  1. 2017/01/03(火) 12:52:44|
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レコーディング終えました。みんなありがとう!!

暮れのせわしないこの時期にレコーディングしてきました。
4月のトリオツアーに向けてとの大村君の提案です。大村君は本当に僕のトリオに対して、いい風をもたらしてくれました。一流の男の持つ人徳のなせる業でしょう。
CERBERA.RECORDSの三谷さんと相談して、急遽、準備期間一月程のレコーディングでした。
前日中村新太郎さんと木村紘との演奏があったので、そのままスタジオに前乗りしました。レコーディングに使う楽曲の練習も紘に手伝ってもらいました。
スタジオのピアノはスタインウェイのCでしたが、少し触ってみたら、こりゃだめだ!!という瀕死の状態。調律もアクションも音色もばらばら!!数ヶ月前にレコーディングした宮下博行さんという友人のピアニストにどのような状態か聞いていたのですが、想像をはるかに超えるひどさ。
調律師の狩野さんに連絡して、何とかしてくれとお願いする。
狩野さんが2時間かけて調整してくれたピアノ。何とか弾ける状態にはなったものの、音色が硬い!
シフトを踏んでも音色の変化がほとんどない。何とかしてくれといって、ハンマーに針を刺し、ダンパー調整してもらう。ダンパー調整であれほど音色が変わるんだな。狩野さんは僕のピアノやu3chiのピアノを売った人で、にはたづみのピアノも狩野さんの所有のものでした。色々と公私ともに仲良くさせてもらっている。調律師とのやり取りはピアニストにとっても調律師にとっても興味深い交流なのです。
初日はほぼ使えるテイクはなかったのですが、最後の数曲いいテイクがとれました。ピアノも少しずつなじんできました。
翌日は朝八時から狩野さんがマジックをかけてくれました。実にソフトないい音色。いいピアノは弾いたときに弾力を感じるのです。鍵盤は絶対に軽い。フルコンのピアノの鍵盤が重いと思われるのはうそです。ちゃんと調整されたら非常に軽い。ホロヴィッツのピアノは、息を吹きかけたら沈んだといわれています。まあそれは盛っています。
さくさくとレコーディングは進み、20テイクぐらいの音源を録音することが出来ました。
今回のレコーディングはブースに入ってのものでした。ピアノトリオのレコーディングとしては僕的には実にカケロマのレコーディング以来、実に10年ぶりのことでした。
新太郎さんとのアンサンブルのとり方が非常に困難でした。いかに僕たちが生音の混じり方を重視して音楽を作って言ってたのか再認識したと同時に、僕の経験値など大したことがないなあと改めて再認識しました。
その中でも、一流の男、大村亘は余裕すら見せる演奏でした。さすが!!
レコーディングエンジニアの喜多野さんもとてもよくこちらの要求を聴きつつ音場を作ってくれました。
今回のピアノのレコーディングではオンマイクのセッティングはありません。全てオフマイクで録っています。

ちなみに、今夢スタジオのピアノのコンディションは最高です!!来年のレコーディングに使う人は、ラッキーですよ!!!

上に名前が挙がっている人たちに対して感謝の気持ちを表します。
あと、エンジニアスタッフの石内君、スタッフの桃と岸本君。スタジオの増川さん。ありがとうございました。

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  1. 2016/12/29(木) 13:54:53|
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忙しい半年を終えて

12月になりましたね。大阪から戻ってきました。9月のミュージックキャンプ以来ずっと忙しい日々が続きました。
自己のトリオの長いツアー、そして沖縄ツアー、そして11月末にはクラシックの奏者とのコンサート。
プライベートでもジェットコースターみたいなメンタリティを味わいました。
この年になると一年が短くなるものだと思うのですが、今年一年は長かったです。
来年、僕はきっと更なる激動の一年を過ごすことになりそうです。その予感はあります。
色々と忙しく、12月はライブのブッキングをほとんどしていなかったのでとても暇です。
急なトラがあれば、いつでも言ってください。(笑)老若男女問わず受け付けます。
ところが、年の瀬に一本、自己のトリオのレコーディングを行います。
ツアーをした中村新太郎b、大村亘dsのトリオでのレコーディングをしたいと思います。
年末です。今年の最後に大仕事が一つ舞い込みました。
みなさん。少し早いですが、よいお年を!!
  1. 2016/12/01(木) 13:40:35|
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