真・の・ブログ

日常的な事、ちょっと考えさせられるような事、まじめな事、不真面目な事、料理の事自転車の事等々等々、音楽の事以外の事を徒然と書き綴っていくつもりです。 が、どうなるかはわかりません。

精神状態がまし。

昨日から精神状態がいい。根本的な原因となる要素は何一つ改善されていないので、メンタルがアップする理由がないのだけど、なぜか調子がいい。

大体具合が悪い時は、朝がしんどい。それは僕自身の飲酒癖に問題がある。
酒を飲むと、一気にメンタルは向上するけど、翌朝はメンタルがドーンと落ちる。
酒の悪しき薬理効果の一つ。
ユンケル飲んだらアップするけど、切れるとダウンするのと似ている。
だけど、この二日間はさわやかに起きることができている。まったく理由が分からない。
躁状態で興奮しているとかではないけれども、若干ネットなどで落ちてたら見たくないような情報ですら、見に行けるぐらいの、精神状態ではある。
落ちてる時はフェイスブックとか見ない。見れない。見まくっている。

現在、眠れてて、食べれてて、まあ体を温かく維持している。
だめなのは、睡眠、食事、保温、このうち2つが欠けると人間は病を発症するそうです。
昨日はランチにインド料理のおやつを食べたのだけど、そののち、おなかがすいたので、冷凍していたブロッコリーと海老とでパスタを作った。
僕の今までの経験上、確実に料理を失敗して、まずくて食べ残す、というパターンの典型的だったのだけど、料理に成功しておいしく食べられた。
何かがおかしい。むしろ逆に自分自身を疑う。こんなはずではないぞ、中村真。
用心深くいけよ。反動でドーンと落ちるからな。

でももしかしたら、その根源的な問題に対しての、自分なりの解答が出かかっているのかもしれない。
その事に関しても、丁寧に考えていけたらと思っています。
少しずつ、あわてずに。

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  1. 2017/04/28(金) 11:02:01|
  2. 心の整頓
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治療薬

色んなものを治療したい。 歯は完全に治した。親知らずを二本抜いた。ケアをしていってる。 皮膚科にも通っている。湿疹をケアしている。 眼科に行きたい。 心臓の検査もしたい。 心も完全に治したい。 重苦しい思いから解放されたい。
  1. 2017/04/17(月) 17:40:35|
  2. 心の整頓
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ソロコンサート

昨夜、上野さんの好意でu3chiでの急遽なソロのコンサートを開催できた。
僕は、自分自身の中の燃えるような感情、想い、涙が出そうな気持ち、悔しさ、それでも持っている愛情、全てをあの場所で昇華させた。
お客さんは5,6人だった。ほぼミュージシャン。僕は音楽にこの感情を燃やすことができるんだ。
その事を大村君とMrDは教えてくれた。
あの場所にいなかったあの人の事は、ずっと心の中に存在しているのだ残念なことに。
それごと燃やすことはできなかった。そんなことができる人間はこの世にいないだろう。
来てくれたお客さん、そして上野さんには感謝この上ない。
僕は今日は、とあるジャムセッションに顔を出そうと思っている。
何かいい事が起こるかもしれない。
  1. 2017/04/02(日) 17:46:58|
  2. 心の整頓
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本日無料コンサートを開催します。

インドで知り合った、Mr Dというベーシストがいるのだが、真、お前には音楽があるじゃないか、音楽の中でその悲しみを燃やせ、そのようなことをいわれた。
それが理由ではないが、僕はこの悲しみを、今日東川口のu3chiにて、急遽ソロピアノのコンサートを開催することにした。来たい人は来てほしい。連絡を下さい。
makoppo081@gmal.com
無料です。

僕にとって最大の苦しみであったあの人は、最大の喜びでもあった。
今日ピアノを弾きながらも、あの人の事を想うのだろう。心の中であの人の為に演奏するのだろう。

あの人が心から消えればいい。楽になる、だけど、心から消したくないんだ。魂の底のところの喜びだからだ。
であれば、僕は永久に苦しみを抱えて生きていき、その苦しみを音楽のともしびにすることにしか、昇華出来ないのであるとしたら、一体俺の人生は何なのだ?苦しむだけの人生なのか?
45歳になって、これほどまでに乗り越えがたい壁が立ちはだかるなどと、僕は想像していなかった。

  1. 2017/04/01(土) 14:01:13|
  2. 心の整頓
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大切なもの。

毎度毎度僕のブログの愛読者には悪いのだけど、いつもいつも暗い日記で申し訳なく思っている。
本当にこの数年間、僕は本当の意味での幸せを感じることができた瞬間は、数週間に満たないのではないか、と思う。
僕は今、誰に相談しても、死んじゃ駄目、といわれるほどの苦痛を感じている。
精神を病んでいる友達に連絡をすると、その気持ちが理解してもらえる。消えたくなる、といわれる。
そしてどんどんと問題は大きくなってきた。インドに逃げた時の比ではない。
インドに逃げた時に僕は多大な迷惑を人にかけた。もうどこにも逃げられない。
雄太のツアーの時も本当は逃げ出したかった。だけど、死にそうになりながら待ち合わせ場所へ向かった。
結果行ってよかった。偶然にも素晴らしい人々にのみめぐり合えた。
音楽活動はそれだけではない。嫌な目にも多々あう。

今は、あの雄太とのツアーの時よりも、インドへ逃れた時よりも、数倍の苦痛を感じている。
この三日間、ずっと寝て過ごした。起き上がれなかった。

あらゆる事柄が、ピアノを弾くことすら、その苦痛を彷彿させる。いや、ピアノだけが、僕を現世に留めておいてくれる、何かなのだろう。

僕は、自分自身の音楽のすべてを理解し、認めてくれていた人を失いました。
誰にもわからない、僕のハーモニーのちょっとした機微であるかを、間近に聞き、触れて、ともにその価値を共有できていた恋人を失った。
貴重なアドバイスをくれる人を失った。心で僕の音楽に触れて、感じたことを話してくれる人を失った。

彼女が僕を認めてくれていたこと、そのことが僕の音楽へのモチベーションを高めていたこともある。
相対的な評価を求めているとかではない。魂が、共鳴する相手だった。
僕のピアノで、魂が共鳴していた。その事は相手も解ってる。
彼女のピアノの中に、僕の存在はあるだろう。多大に。
あの年齢であの音は出せない。あれは僕の音から共鳴を受けた音だ。その価値。
その価値を大切に思えるには、まだ若すぎるのかもしれない。
僕にとっても彼女が響いてくることが、喜びだった。未熟な演奏。だけど、その才能と、今後の未来の彼女のアーティストとしての期待、プラモデルだと思っているのではない。中村真の亜流でいてほしいなどとも思っていない。
音楽のみではない。様々な価値を共有出来た。
彼女が僕の家に勝手に貼っていったポストカード。ポストカードのセロファンの部分にピンをさしていた。ポストカードを傷つけないように。
そのことに気付く僕とその気づかいの彼女。とても些細なこと。だけど、そんなことを解りあえる関係だった。

僕は、なぜこんな自分自身の事をブログにつづるのか、それは、僕自身が物を書くことにより、自分の脳みそを整頓するため、そして、書くことはほんの少しだけ気持ちが持ち上がることなのだ。

自宅で、自分の録音をとり始めた。それは、その恋人へプレゼントするためにやり始めたこと。
だけど、僕は今、自分自身を、現世に引きとめるために、一日一曲ぐらい、録音をとっている。
それも同じモチーフなのだ。

乱文散文申し訳ない。僕は、誰も読んでいないだろうこのブログを書くことが、僕の心の安定へのつながりなのだ。申し訳ない。
  1. 2017/03/31(金) 14:22:19|
  2. 心の整頓
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人生の壁を登る

20代は前が見えない不安との戦い。でも上り坂はなだらかだった。
30代、急に視界は開け、頂上が見えた。ああ、あそこを目指せばいいのだな。
しかし多くの仲間は、頂上が見えたことで、前進をやめ、その場で酒盛りを始めた。
僕は登山というよりは、登攀というべき壁にとりついた。
40代になった。ふと下を見下ろすと、結構高いところに来たようだ。酒盛りをしているのが遥か下に見える。
僕がいるところは空気は冷たく、風も強い。うっかりすると壁からはがされそうになる。それでも登り続ける。
40代も半分を過ぎた。90度を超えるオーバーハングも現れた。
もう降りることはできない。登り切るか、滑落するか。
もっと楽に生きれると思っていた。とんでもなかった。問題一つ一つの重要度が増してきた。
20代の時、つまずいて転んだ石は、滑落を意味する石となって立ちはだかるようになった。
こんなはずではなかった。
40代を登りきれるのか?わからない。
難しい。もう生き残るか死ぬかの選択しか残されていない。
仕方ない。こういう生き方を選択したのだから。
酒盛り組として気楽に生きてくればよかったのかもしれない。
しかし、あそこで酒を飲んで、頂上を眺めて生きる生き方を選ばずに登り始めたからには、頂上を極めてやろう。
孤独だよ。だけど孤独じゃない。僕の下を続いて登る若者がいる。そして、僕の前に立ちはだかるオーバーハングを乗り越えた先輩がいる。
でも、登るのは、僕でしかないのだ。誰もロープを伸ばしてはくれないのだから。

  1. 2017/03/11(土) 15:31:34|
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この八ヶ月間にあったことを書こうと思ったが

落ち着いたら何があったか書こうと思っていましたが、具体的には書くのをやめることにします。
どうしても説明せざるを得ない人たちに対しては個別に説明をすることにしました。

ただ僕の主観で、たとえ話として言うならば、僕は8ヶ月間、ひたすら殴られ続け、僕は防戦一方で一発も殴り返さずにいてKOされ、地べたにのびているのにもかかわらず、ゴングが鳴っているにもかかわらず、更に殴り蹴られ、瀕死の重傷を負っているのにもかかわらず、反則負けを宣告されたような感じです。

僕は、心に致命的なほどの傷を負いました。医者に言ったら間違いなくお薬を処方されるだろう。

一体僕の8ヶ月間は何だったのだろうか。

彼女が僕にしたことは何だったのだろうか??

言葉にする必要はない。うちの親は立派な共依存でモラハラの夫婦です。問題は多いと思う。
だが、まあ何とか父親85歳まで添い遂げてきている。父親は自分の芸術活動があるのは母のおかげであると言える夫婦関係です。精神医学者がいうようなジャンル分けには意味は存在しない。100パーセント健全な関係など存在しないと僕は思う。

ただ、現実としてあるのは、45歳の一人のピアニストが、ピアノすら弾けないほどに疲弊してしまった事実です。仕事をほおりだして逃げ出さなければならないほどに追い詰められた事実が、ここにあるだけです。

僕には恨みはない。人に対する怒りのエネルギーは誰よりも自らを害すからです。はっきり言えば、怒りのエネルギーをもつことすらできないほど疲弊している。

ただ、除霊の効果、かどうかはわからないけれども、僕は自分の中にある、悔しさや悲しさや、情けなさ、あらゆるネガティブな感情以外に、彼女を憐れむような気持も生まれつつある。いつかわかってくれるのではないか?と思っている。

僕自身が救われる点は一つだけある。それは、僕自身がこの8ヶ月間、誰が何と言おうと彼女を誠実に愛し接したこと。それだけは神が認めなかったとしても、僕自身はそのことを認めることができる。
そこだけは、譲れない感情です。

このブログの文章は、その他のSNSへの連動をしません。
ふと目にした人だけが読めばいい。

僕は魂を休めるための旅に出ることにしました。それは、物理的な意味合いもあるけれども、精神的な意味合いにおいても、休息への旅に出ることにしました。

傷は必ず癒える。そう信じている。
  1. 2017/02/10(金) 16:50:32|
  2. 心の整頓
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埼玉に帰ってきました

埼玉に帰ってきました。何とか帰ってきました。
でもまたすぐ出ていきます。誰も悪くない。いや、そんなことはないけど、誰にも悪意はないはず。
僕はそう信じられる。信じたい。ボロボロですけどね。
僕はぼろぼろでもいいと思います。どんなにボロボロになっても、自分の気持値や相手の気持に向きあいたい。
そうせずに自分を守ったとしたら、たぶん僕は何も得られないと思う。わからん。知らんけど。
とにかく今は帰国した敗残兵です。
  1. 2017/02/09(木) 00:14:31|
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歳いくにつれ受ける精神的ダメージって大きくなっていくように思う。
過去精神的ダメージで仕事をキャンセルしたことなど一度もなかった。
今一日の大半を横になって過ごしている。
今は理解してくれる人としかはなせない。
入院しているようなものです現在。
恐ろしいかな酒を飲むと心にほんの少しだけ晴れ間が差す。人間のくずまっしぐら。

  1. 2017/02/06(月) 10:32:24|
  2. 心の整頓
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jazzmalの日、雄太にsosを出した。演奏できない。なにも理由を聞かずいいよ、ソロでやってやるから心配するなといってくれた。
僕のsosを受け止めてくれた。
その事が僕の感情の堤防に穴を開けた。
あの日はじめて涙が出た。

様々な人が、僕を助けてくれる。
海外に住む先輩ミュージシャンが、気分転換においで、交通費を少し助けてやるから、とすら申し出てくれた。


今お邪魔している人の家で出された味噌汁が心に染みる。
感謝に堪えない。が、感謝するという気持ちを持つこと、表現することすら今の僕には余裕がない感じです。

心の中にあったあらゆる負の感情は、悲しみという感情にまとめられつつある気がする。
再び心のなかが涙で一杯になった。それが今にも破裂しそうなのだけど、なかなか破裂しない。

大村はインドに来いと行った。真さんの悩みなど、口の中で弾け飛ぶスパイスと共に飛んで行くからと。

もう少しだけ休息が必要なようです。

  1. 2017/02/05(日) 13:23:46|
  2. 心の整頓
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心がもうボロボロになって、ぼくは今某所に身を寄せています。

心がもうボロボロになって、ぼくは今某所に身を寄せています。
一人で過ごすのはいろんな意味において危険だとおもいました。
自分のなかに存在する、すべてのネガティブな感情がすべて同時に心のなかを支配して、逃れられないです。
思考を止める事もできない。
苦しみのなかでのたうち回るという状態です。
抗うつ剤飲みたいくらいですが、あれは本当に辛い薬なのでやめたい。
脳のなかにネガティブな思考が支配しているので、ゆっくり温泉に入るという気持ちにもなれない。
僕がここに存在することただその事が僕自身を苦しめる。
本当に、逃れられない苦しみのなかにいてます。寝ても悪い夢を見る。
Facebookとかを見てても不快なものが目に入る。自分の写真も見れない。メールの受信ボックスすら開けない。本も読めない。音楽も聞けない。何をしても悪い思いや感情に支配されてるから。
これほどの気持ちになったことはかつて無いかもしれない。
しんどい。辛い。

  1. 2017/02/04(土) 11:52:50|
  2. 心の整頓
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日和[にわ] 夏(21) 特別な日からの新たなる出発

最後のこのタイトルのブログを書く。
今日は、僕にとって特別な日です。僕にとって特別な日から、僕は新たな出発をするようです。
少しの悲しみがある。しかしそれ以上に安堵がある。
ようやく、苦しみから開放される、一歩が始まった。苦しみが終わった訳ではない。ただ、トンネルの出口の方向を見いだすことが出来た。その安堵。
人は非常に忘れやすく設計されているので、ぼくもこの苦しみを忘れ去る時が来るのかもしれない。
僕は、決して忘れない。心のあの、分岐点の所の岩に、この気持ちを刻み込もう。
風呂上がりの爽快さ、とまではいかないが、梅雨の中、心には晴間すら見える。
半年間、何とか生きた。なんとか、生きてこれた。
  1. 2015/07/03(金) 10:30:52|
  2. 心の整頓
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日和[にわ] 夏(20) 本当に嫌な夢は夢のような夢

本当に嫌な夢は、嫌な感じの夢ではないんだ。
嫌な夢、お化けの夢や、虫に襲われる夢は、僕はそんなに嫌いではないんだ。
本当に嫌な夢は、失われた、そして絶対に戻ってくることのない、あの文字通り夢のような時間がまだ続いている夢をみること。
目覚めたときのあの虚無感、孤独感、信じられない程寂しい気持ちで迎える朝。
あの夢のような時間の中に自分が存在していた時は、それが夢のような時間であることにさえ気付いてさえいなかった。
それが、失われたと同時に、あの時間が夢のような時間であったことに気付くんだ。
毎日毎日、来る日も来る日も見続けたあの夢のような夢も、最近では見ることは少なくなった。
だが、今朝ひさしぶりにあの夢を見た。目覚めた。そこは完全なるグレーな、色も音も完全なるグレーな雨の朝。あらゆる色をぶちまけた混沌のグレーになるのだ。完全なるグレー。震災直後の東北を彷彿させるあのグレーの朝だった。
僕の心に、明るい、朝が来ることはあるのだろうか。そして、仮にその朝が来たときに、それが夢のような朝であることに、気付いて大切にすることが出来るだろうか。
  1. 2015/07/02(木) 00:55:00|
  2. 心の整頓
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日和[にわ] 夏(19) 北海道へ久しぶりにチャリ旅に行く理由

地方などにいくと、うんざりする程される質問の一つに、自転車で来たのですか?というのがある。
僕が自転車で旅をしていたことを知ってくれていることは嬉しいのだけど、そんなわけないやん、といいたくなる。それなりにツアーを組んで、計画的に行わなければ、チャリでの演奏活動は無理だ。

僕は、今夏久しぶりに北海道を旅する。行き先は礼文島。過去訪れて本当に心に残っている島なのだ。そして僕にとって最も遠い離島。石垣には演奏でいくことは出来ても、礼文に演奏でいく事は不可能だろう。そういう意味で、僕の仕事との兼ね合いで、いく事が最も困難な島だ。
僕は、過去何度も自転車で旅をしている。ほぼ日本中に轍を刻んだ。
印象に残る旅を三つあげると、大阪から東京に出てきたときの初めてのロングの旅。ロングとはいっても今の感覚で言うと、ショートの旅なのだが、9日間かけて東京へ出てきたあの旅。
そして、北海道を元嫁と旅した一ヶ月の旅。新婚旅行として北海道を回った。苫小牧から出発し利尻や礼文を歩き、知床を縦走し、釧路へ抜けた旅。一ヶ月の旅。
そして何よりも一番心に残っている旅は、初めての自転車ツアー、2006年の五月のことだ。
今は亡き(最近新しくオープンして名前をクレッセントと改めているが)十三のナチュラルを起点に、京都ルクラブジャズ、山城スイング、金沢蛍庵、七尾モーリタート、高岡スキャット、富山ラッシュライフ、黒部光徳寺、新潟スワン、器、鶴岡シェルルーム、山形差蔵、秋田キャットウォーク、そして最後の弘前のたけや。今でもほぼそらんじて出演した店の名前が出てくる。
この旅が今の僕の音楽活動へ大きく繋がっている。

僕はあるときを境にチャリ旅をやめたのだ。旅は困難がつきまとう。琵琶湖では大風でテントが飛んだり、伊良湖岬ではテントが台風で浸水してウレタンのマットに「浮きながら」寝たり、名立の海岸ではタイヤがバーストしてガムテープで応急処置をして何とか上越までたどり着いてタイヤを探し求めたり、相馬では暗くなり過ぎてテントを張る場所がどうしても見つけられず苦労したり、会津から中通に抜ける峠でシャリばてしたり、熱中症でじんましんが出たり、まあ挙げていけばきりがないのだが、様々な困難を、事前に回避する術を、余りにも上達したチャリ旅の技術により得てしまったからなのだ。
困難のない旅など、旅ではない。
当時の僕に困難を感じさせるとするならば、世界一周の旅に出るということだろうと思う。だが、音楽家として生きていく僕のモチーフとそれは合致しない。ぼくは、プロの旅人ではないのだ。

では何故僕は今回北海道に行くのか?北海道など正直行き飽きている。間違えても観光ではない。
僕は、考え事をしにいくのだ。又は、考えない時間を得る為にいくのだ。

生活をしていると、考える時間も考えない時間も得ることが難しい。
北海道の空気の中で、誰にも会わず、時には友達には会うが、なんにもせずに過ごす時間が今の僕には必要だと感じたからいくのだ。
  1. 2015/06/30(火) 13:06:07|
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日和[にわ] 夏(18) 体調が悪い

まずい。体調が本格的に悪い。熱中症かと思いきや、胃が痛くなってきた。胃炎も併発している。
また、目眩が凄まじい。目眩は抗うつ剤をやめてほぼ3週間以上になると思うが、収まってくるどころかひどくなってくる。
微熱もある。軽い頭痛もある。要するに、症状は軽いけど、色んな症状が同時多発的に体内で起こっている。腰も痛い。これも腰痛の痛さではなく、熱が出る前の雰囲気だ。
明日から3日間休みだ。
なるべく自分を休ませようと思う。
その前に、とても大事なことをしなければならない。ずーっと考えてきたことだ。
それをやる。それをしたら、僕の人生は、変わるだろう。
この日記シリーズも終えることが出来るだろう。
この日記のタイトルが変わったら、それは僕の状況が変わったということだ。それがよくも悪くも。
いや、いいも悪いもない。物事は良い悪いだけではないのだ。
  1. 2015/06/29(月) 23:54:46|
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日和[にわ] 夏(17) 沖縄をあとにします。

沖縄での一週間を終えて帰路につく。
今回も色んな人々に会い、色々とお世話になった。感謝に耐えない。
昨日は赤嶺の魚丸でバタやきを食らい、糸満の海で泳ぎ、そこから山羊のさかえへ向かったのだが日曜日定休ゆえ、儀保の富久屋という、オーガニック的な沖縄料理屋にいった。
結果としてさかえへ行けなくてよかったとおもう。というのは、食事を終えパーカーズでのリハを終えたら、急に体調が悪くなり、終演後には立っているのがやっと!
パーカーズでの千明との演奏はとても楽しかったのだけど、全てを使い果たし一滴も呑まずにホテルへ帰り、バタンキューなのだ。ところが疲れはてていると眠れない!全く眠れない!まんじりともせず夜をすごし、今那覇空港です。
もし、山羊のような強い食べ物を食べていたら、夜中中吐き下ししていたかもしれない。おそろしや。
辛うじて帰って三日間オフなのだが、鋭気を養いたい。
四国で綾戸智恵との僕主催のツアーなかむらまこととあやどちえ、も控えて、その後ぼくは即座に北海道へ向かう。
六年以上ぶりの北海道チャリ旅だ。

 儀保の富久屋の定食。

 赤嶺魚丸バタやき。

 正義の見方、一銀食堂のステーキ。
  1. 2015/06/29(月) 09:26:13|
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日和[にわ] 夏(16) 本気で本音で生きてきて

本気で生きることはバカらしいことなのかな?
僕は本気で本音で生きてきたつもりだけれども、その結果得たものが、今の僕であったとしたら、それは果たしてどうだったのだろうか?
僕がもし、建前で生きてきていたら、そしてその結果得たものが、今の僕の得たものより大きかったとしたら、それは幸せなのだろうか?
そもそも、得たもの、ってなんだ?
得たいものがあり、人は行動するのか?
それとも、行動したいモチーフがあり、結果、得るものが存在するのか?
生きるということは、一体どういうことなのだろうか?いや、幸せを享受するということは、一体どういうことなのだろうか?
僕は、本音で生きてきたつもりで、そして評価されてきたつもりだけれども、俺の生きて来た道は、本当に、意味のある道だったのだろうか?
本当に意味のある道ってなんなのだろうか?
マイルスデイビスは、ホントのホントに、本音で生きてきていたのだろうか?
僕はそうは思えない。
アベ首相は、ホントのホントに、本音で生きてきていたのだろうか?
僕はそうは思えない。
だけど、彼らは何かをなし得ているように思える。
何かをなし得るとはそもそも何なのだろうか?
確信して、建前で生きることが、生き方なのだろうか?
43年生きて、まだわからない。
何もかもわからなくなる島、沖縄。
(晴れ 心 曇り時々雨)
  1. 2015/06/28(日) 06:59:10|
  2. 心の整頓
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日和[にわ] 夏(15) 本当の意味で幸福になることは難しい

そこには、色んな想いが書かれてあった。
恨みつらみではなく、生産的な気持ちが書いてあった。もしくは、生産的たろうとしている文章であった。
生産的とはどういうことだろうか?何をもって生産的なのだろうか?
忘却するだけが生産的であるということではない。忘却するだけならば。
そこから学ばなければ、何一つ生産的とはいえない。ただ、人は、驚く程学ばない。
僕自身の経験を持ってしてもそうだ。同じ過ちを何度繰り返したことか。
幸せになるのは難しい。本当に難しい。
僕は人の苦しみを本当に知った。知ったような気がした。
少なくとも我が子という、守るべきものが存在する時点で、それを知る。
石垣のドミトリーで、子を失ったおじさんの話を聞いた。その痛みの本当の所はわからないけれども、それがどれほど痛いのか、想像を絶する痛さであること、を想像することが出来た。
人の苦しみを知ったような気がしている僕だが、もしひとたび再び幸せの得ることが出来たなら、その苦しみのことを簡単に忘却してしまうかもしれない。
重要なことは、幸せを得ることではない。それを、継続させていく事なのだ。それには努力と忍耐が必要であろう。

(那覇 晴れ 心 曇り)
  1. 2015/06/27(土) 11:21:22|
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日和[にわ] 夏(14) 島から島へ戻ると

石垣から戻った。離島から戻ると、少し気持ちが引き締まる。それが例え沖縄本島であったとしても、だ。
無論沖縄滞在は遊びではない。れっきとした仕事だ。それは、石垣とて同じこと。
しかしぼくは、沖縄では午前中目を覚まし、ひとしきり泳ぎ、腹一杯御飯を食べて、しこたま泡盛をかっくらっても、演奏出来てしまう。いくらでも食えて、いくらでも食べれて、いくらでも遊べて、いくらでも寝る。そして、演奏するのだ。
明らかにパワーをもらっているに違いない。
そんな限りなく遊び感覚の沖縄滞在だが、しかし島から戻ると、さ、仕事だ、とモードが切り替わる感じがする。

ところで、なかなか行くことができない沖縄の離島だが僕の感覚では遠い感覚はない。むしろ、北海道の離島は遠い。
利尻、礼文はぼくからの精神的距離は遠いのだ。
今夏、思いきってチャリで訪れることにした。
10年前の新婚旅行以来。
あの時も礼文から本島へ戻ったとき、さ、仕事だ、と思った。こちらは完全なるあそびなのにね。
島はいい。色んな感覚を忘れ去らせてくれるんだ。
時間だとか、仕事だとか、生きる上で、必要なものと、いかにも必要であるような顔をしてるそうでもないもの、を、分けてくれる気がする。それが、島なのだろう。
  1. 2015/06/26(金) 16:42:39|
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日和[にわ] 夏(13) 石垣で出会った斉藤梯子さんというジャズシンガー

感動しました。
石垣島で、斉藤梯子さんというシンガーに出会いました。
御年80才。石垣のカフェタニファのマスターの紹介で共演することとなったのだ。
かくいう僕自身もタニファに出るのは初めてのこと。
どんなシンガーかも全く知らなかったのですが、本当にすばらしかった。
進駐軍花盛りの頃の米軍キャンプで歌っていた人。

今まで僕は25年間生きてきて伴奏していて涙が出そうになったことは一度もない。そういう感動の部分で、僕は演奏しないからだ。演奏するということは、演奏を聴くということとは感性のチャンネルが違うのだ。だけど、不覚ながら涙が出そうになった。
80年の人生の重み、などと安易に言うつもりはない。また、そんな重苦しいものではなかった。
ただ、ひたすらかわいらしく、歌うことを楽しんで、お客さんを楽しませ、お客さんに愛されている。
音楽をする意味を探し求める、僕はまだそんな段階かもしれない。
そんなものに意味はない。そんな当たり前のことを感じた。
おれって、一体何の為にピアノが上手くて、何の為に音楽のことを知っているんだろうか?そんなことを思った。
音楽をすること、と、それらは全然関係がないことなんだ、ということを、肌で感じ取れた。
梯子さんが、歌がヘタクソで音楽を知らない、ということでは間違ってもない。
そんなことと、音楽をすること、は、全然関係がないんだ、ということを、感じ取れただけなのだ。
ただ、僕は、音楽を知っていて、ピアノがそこそこ上手いからこそ、彼女の伴奏をつとめることが出来たのかもしれない、と思い直した。
テネシーワルツ。あの時代の、あの空気そのままで、ほんとうに、セピア色の銀幕の中の世界のことのように感じる。
沖縄は慰霊の日の事だった。それを感じながら歌った彼女のDanny boy。僕は一生忘れないよ。

俺のオヤジとほぼ同世代の梯子さん。色んなことを感じた1日だった。

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星子と三人で
  1. 2015/06/25(木) 14:24:32|
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日和[にわ] 夏(12) 沖縄の脅威

昨日は那覇でおでん食べ放題飲み放題の店に行きました。
二千円。
あり得ない値段です!
沖縄には、たまにあり得ない値段の店があります。
宿泊1500円泡盛飲み放題の宿を知ってます。泊まったことはないけど。
おでんや、おふくろも、あり得ないコストパフォーマンスです。5000円でも満足な内容。
沖縄は快晴です。

(天気 晴れ 心 雨)
  1. 2015/06/23(火) 10:28:14|
  2. 心の整頓
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日和[にわ] 夏(11) 旅あれこれ

旅慣れた僕だが、やはり旅はそれなりに特別なことではある。
成田へ行くことが実に当たり前になった。僕は東松戸から北総線で成田へ行く。これは少し高いけど都心部通らないで行けるのでとても楽なのだ。北総線のホームで成田行きを乗り過ごし、北海道へ行く飛行機を逃したこともあったな。あれは去年の夏のことだった。
それにしても成田空港内でのLCCターミナル、嫌みのように歩かされる。第二ターミナルビルから第三までは500メートルある!そして、そこで終わりかと思いきや、搭乗口までまた長い距離を歩かされる。都合一キロは確実にあるく。そのあげく、バスで飛行機まで案内されるのだ。
これは、安く乗るためのいわば儀式といってよいのではないだろうか。
今夏久しぶりにフェリーで北へ向かう。
新潟から小樽行きに乗るか、仙台から苫小牧むけて乗るか、秋田まで車を持っていくか、悩む。真剣に悩んでいる。
チャリ旅は景色を楽しむに非ず。考える時間を得るためにある。または、考えない時間のためにある。とことん考えることと、なにも考えないことは、実は似たようなことのような気がする。

  1. 2015/06/22(月) 19:14:54|
  2. 心の整頓
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日和[にわ] 夏(10) 長生きの秘訣

僕は、きっと長生きすると思うんだ。人は自分の年齢や置かれた立場相応の悩みを持って生きていくと思うんだ。僕は、全然、全く43才の悩みを持って生きていない。
僕は、例えば音楽家として、社会的ステイタスをのし上がっていこうという野心のようなものも一切ない。
お金も特に欲しいとは思わない。欲しいものが最低限もらえたら(買えたら、ではない所がポイント)それでいいと思う。
僕の悩みは、大したことではない。多くの40代の、立派な人々の悩みに比べたら、ちっぽけな悩みだと思う。
だけど、僕は、いつまでも20代のような、いや、もしかしたらもっと少年のような悩みを抱えて生きている、だから長生き出来ると思うんだ。
人生とは消費だと思う。例えば、心臓には寿命があると思う。歯にも寿命がある。膝の関節にも、脳という臓器にも、寿命があると思う。それらの消耗の度合いに応じて、僕は生命の長さがあると思うんだ。
心にも消耗があると思う。心が摩耗すると、使い物にならなくなる。
僕は、年相応の悩みに心を使わない。使えない。どうでもいいから。
だから、多分長生きすると思う。一切年相応でないから。僕は摩耗する心を持たない。
40にして、惑う。一生惑い続けると思う。苦しいけれども、苦しさに慣れるよりは、苦しみ続ける人生を歩もうではないかと思う。わからんけどね。
  1. 2015/06/22(月) 02:25:37|
  2. 心の整頓
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