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真・の・ブログ

日常的な事、ちょっと考えさせられるような事、まじめな事、不真面目な事、料理の事自転車の事等々等々、音楽の事以外の事を徒然と書き綴っていくつもりです。 が、どうなるかはわかりません。

11月のスケジュールです

中村 真トリオ「RUBY」発売ツアーVOL.2
11/4(月)東松山 音蔵
11/5(火)浜松 ハーミットドルフィン
11/6(水)甲南山手 gallery zing
11/7(木)岡山 インターリュード
11/8(金)広島 ラッシュライフ
11/10(日)日田 中津江村民ホール
11/11(月)博多 バックステージ
11/12(火)松山 モンク
11/13(水)徳島 ゴトーズバー
11/29(金)南与野 Jazmal
中村 真、中村新太郎b、大村亘ds
11/20(水)池袋 P’s bar メンバー未定
11/23(土)四谷 Live Unten 45 石井信義gt、中村 真デュオ
11/26(火)三鷹 ウナマス メンバー未定
11/27(水)上尾 プラスイレブン 中村 真、柳沢耕吉gtデュオ
11/28(木)赤坂 ヴェレラ 伊藤かおりvo、川本悠自b、長谷川学ds、中村 真
11/29(金)南与野 Jazmal 中村 真トリオ 中村新太郎b、大村亘ds
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  1. 2019/10/16(水) 12:50:45|
  2. ライブの事
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AIR SPLASH参加者に対してのメッセージです。

AIR SPLASHおよびLIVE SPLASH参加いただきまして、ありがとうございました。
10年ミュージックキャンプという形で行ってきたこれも、名を改め、今年から心機一転ゼロからのスタートとなったと思います。
一つだけ皆に伝えたいことがあるとすれば、AIR SPLASHを作ること、皆の参加は、AIR SPLASHを作ることである、そう思ってもらえたら、と思う。
与えられたサービスを受けるだけでは本当の意味での参画ではない。
ほんの少しでいい、AIR SPLASHという「作品」に「参画する」という意識を持って臨んでもらえたらな、そう思っています。
その意識を皆でもし共有できたら、AIRはもっと変わってくると思う。
そして、その意識の共有が、AIRからはみ出し、伝播していけたなら、それは、この国を良くする方向に働くと思う。
与えられた行政サービスを受けていること、ではなくこの国というものに対して参画している意識を皆が本当の意味で持てれば、この国はあなたの国になる。
僕たちはそんな意識を皆で共有できる社会を作るために、こんなとてつもなくしんどいことに取り組んでいるのです。
来期のAIR SPLASHにも是非参加、いや、参画してください。
あなた方のAIR SPLSHに。
  1. 2019/09/20(金) 14:52:32|
  2. にはたづみプロジェクト
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初のAIR SPLASHを終えての、完全に個人的な私見。

AIR LIVE SPLASH 2019 終わりました。

11年目の今年は、しかしながら新たなるAIR SPLASHの開始の年でもある。
僕は、色んなことを僕個人に対する、や、僕個人が考える、から少しずつ離脱していきたいと、数年前から考えていた。

僕自身がレジデンス的な発想を持っていたのはもう中津江初年度の09年からで、ずっとそのことは考えていた。
アーティストが短中長期的に滞在して制作する場所を作る。
考えはミュージックキャンプという形で10年続いたが、それはやはり僕の理念を体現化する場所であり、主体性や、自主性は問われるものの、でも所謂トップダウンのアートキャンプであった感は否めない。
ではなく、僕自身は、レジデンスの中での制作にのみ集中し、参加アーティスト同士が学び合い、その過程の中で生まれてくる創作を吸い上げたり、ときには指導もするかもしれないが、あくまで理念のみを共有し、自由に創作活動をしていく、というArtist in Residenceという集いによりシフトしていきたい、と考えていた。
そもそも音楽家主導のレジデンスとはあまり聞いたことがないのだが。

初年度のAIR SPLASHはとてつもなくしんどかった。
未だかつて感じたことがないほどの精神的疲労を感じた。
無論それは、親父が死んだり、親友の死が令和の8月に起こったこと、また自分の家族間のトラブルがあったこと、諸々の要因があり、精神的にダメージを受けたまま臨んだこともあるかもしれないが、誰かに任せることと、自分で責任を取ることの狭間にあることの精神的ストレス、そして、誰もが即座に理解できるものではない理念を共有すること、それを押し付けではなく主体的に共有していくこと、に対しての、精神的な疲労は半端なかった。

自分でやること、決めることは簡単なんだな。
人が決めたことを承認し、最終的な責任を負うこと、は、いうは易しなのだが、そう簡単ではないんだな、そういうことを、改めて思い知った、AIR SPLASHでした。

また、アウトリーチが疲れた。
新たに運営に招いた元井は、様々な外部公演を企画してきた。彼は、ダンサーであり地元富山在住であるゆえに、新たなる息吹を我々にもたらしたと思う。
外部公演とアウトリーチの難しさ、わかってはいたけれども、改めて思い知った。
アートを知らない人、日頃触れることのない人に対して、妥協せず我々の信じる即興的なアートを伝え、しかしそれで知らない人たちを突き放さず、聞いてよかった、触れてよかった、と思わせる何かを作ること、そして主催である学びの森や、クライアントである出先を満足させること。どれか一つならば簡単です。全てをやることはとてつもなく神経を使うことだった。
ヘトヘトになる程疲れることだった。

初日から、普段の最終日ぐらいの疲れを感じながらやったAIR SPLASH
疲れ果てたけど、次へのステップは得た気がした。
新たなるステップへ、登っていける気がする。

50年近く、僕は生きてきて、そして30年近くプロとして音楽活動をしてきた。その歩みは常に茨の道だった。
これからも僕は自分の進むべき道を、切り開き続けるんだろうな。
果てしなくクライマーが登り得ぬだろう壁をそれでも登ろいうとするが如く。


  1. 2019/09/20(金) 13:14:30|
  2. にはたづみプロジェクト
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AIR SPLASH TOYAMA 折り返し地点です。

AIR SPLASH折り返し地点まで来ました。
今年も様々なドラマが繰り広げられています。
10年継続してきたミュージックキャンプは、今季からAIR、アーティストインレジデンスと名を変えました。
にはたづみ(水たまり)は、SPLASHしていきます。
我々ゲストアーティストがAIRを作るのではない。運営委員会が作るのでもない。参加者各々が、このAIR全体を「作品」として捉え、皆がそこで生み出していく全ての事柄が、AIR全体を作り上げているんだ。そんな思いを育んでいきたい。そういう気持ちで11年やってきました。
毎年、疲れます。終わったら精根尽き果てています。
年を経るにつれ、疲れは増していきます。それは、単純に歳いったからではなく、AIR自身が多様化し、考えなければならないこと、やらなければならないこと、または、やれば簡単に進むことをあえてやらないこと、とか要素がどんどんと増えてきている、それもあると思います。
ラストスパート、頑張っていきたいと思います。
そして、9・15(SUN)14:00から、LIVE SPLASHにて、その創作成果を発表します。
GALIVEは、18:00から。
https://niwatazumi.org/live-splash-toyama/
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  1. 2019/09/12(木) 12:37:05|
  2. にはたづみプロジェクト
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9月、10月ライブ

9/4(水) 南与野 ジャズマル 中村 真、中島朱葉as デュオ
9/18(水)新宿 J 長島百合子vo、中村新太郎b、中村 真
9/21(土)池袋 P’s Bar 中村 真、寺井雄一ts デュオ
9/25(水)上尾 プラスイレブン 中村 真、川村健(アコーディナ)デュオ

10/3~6 那覇 パーカーズムードジャズクラブ
10/10(木)上尾 プラスイレブン 中村 真、菅野浩as デュオ
10/16(水)池袋 P’s Bar 中村 真、石井信義gt
10/25(金)新潟 Monks mood Jazz Club 橋爪亮督ts、中村 真デュオ
10/26(土)群馬 スイングセカンド 橋爪亮督ts、中村 真デュオ
10/31(木)南与野 Jazzmal 長島百合子vo、北床宗太郎vln、中村 真

  1. 2019/09/01(日) 23:36:33|
  2. ライブの事
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親父の思い出話

親父のことについて、いつか書きたいと思っていたことがある。
親父は、もはや数少ない、戦前生まれでした。あと数年早く生まれていたら、学徒出陣に駆り出されていて、そうなったら俺はこの世にいなかったかもしれない。
親父と戦争の頃の話は比較的よくした。
空母加賀の二等兵の水兵と親父は友達になり、お兄ちゃんお兄ちゃんと懐いていたそうだ。無論その水兵は、ミッドウェイで命を落としている。
親父を連れて家族旅行で沖縄に行くという話が出たのだが、最後まで親父は積極的に行きたがらなかった。
何故なら、小学校の同級生が、「疎開」のために、沖縄に引越しし、消息不明となったからだ。そういったトラウマは、80を越えた当時の親父ですら持っているものだ。
親父は、戦争を本当に憎むというか、思想的にも、当時の帝国の在り方等についても、否定的だった。
戦争を、生身で見ていた親父のその思想に対してぼくはリアリティーがある、一つの意見として聞くことができる。
ぼく自身の見解として、大東亜戦争は、当時の国際常識と照らし合わせて、日本がとった政策は、取らざるを得ない政策であっただろうし、その結果もたらした日韓併合などにおいて、害だけでなく、効もあったとぼくは思っているし、多くの「欧米」の国の植民地支配に比べれば、マシだったのだろうと思う。
が、だからと言って、日本の「罪」は、なかったのだ、という意見にも賛成し難いのだが。
俺の親父は、そういった先の大戦の体験談を語れる貴重な生き字引であった。
あと、ほとんど読めない漢字がなかった。凄まじい漢字力であった。
あれは昭和一桁にしかできないわ。
  1. 2019/08/16(金) 23:12:06|
  2. 徒然と
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父である中村洋一こと、中村希山(尺八)が他界しました。

2019.8.12 午前10:50分ごろ、父親である中村洋一が他界しました。
尺八名は中村希山といいました。享年89才。大往生でした。
生前、皆様にはひとかたならぬご厚情を賜りまして、誠にありがとうございました。
父は、生まれた時から、死線をさまようような生き方をしてきました。
5才でトラックにはねられ、戦争中を生き延び、成人してからは慢性的な肝炎に悩まされ、2度の癌から生還し、そして89才で肺炎で倒れてからも、何度も危篤から回復し、その度に我々はやきもきしたのです。
低空飛行ながら、生命力を持ち続けた人でした。

7月に入り、父が倒れた時、僕はずっとツアー中でした。
音楽の仕事とは、親が死んでもその現場を離れることができない、ある意味冷酷で、シビアな世界です。無論、エキストラが立てられる仕事も多々ありますが、僕にはそのような仕事は少ない。
何度目かの危篤の時に、ずっと親父を面倒見てくれていた弟に、葬儀に立ち会えない可能性について話しました。弟は、立ち会ってほしいが、判断は兄に委ねる。が、そのようなことにはならないのではないかな、といった。その通りになり、我々兄弟三人は親父を見送ることができた。

父と僕は、それほどに関係が親密であったわけではない。
親父と二人で出かけたような記憶は皆無だし、話をした記憶もほとんどない。
音楽に対して深く語り合ったこともほとんどなかった。

ただ、僕と父のやることなすことはとても似ていたらしい。
売れるようなことに対して一切の興味を持たなかった。
母曰く、くだらない楽曲を書いて、東京のコマーシャルなシーンでお金になる仕事を得るチャンスはいっぱいあったらしいが、見向きもしなかった。
その代わり、半世紀にかけて自分の文字通り人生を賭けた全55曲にのぼる組曲「東海道五拾三次」を完成させた。
親父はそれを完成させた時点ですでに85を超えていたと思う。
楽曲のレコーデイングは、田辺 頌山さん、藤原道山さんはじめとして邦楽界のトップの面々にお願いしてのものであったが、それに親父は立ち会う体力はもうなかった。
数ヶ月に及ぶレコーディングに僕は立ち会える限り立ち会った。
僕はほとんどレコーディングに対して何も指示などしていない。ただ立ち会っただけ、ただそれだけのことをしただけですが、それが親父と僕との直接的な関わりの最も大きかったことなのではないかな、と思います。
その楽曲は古典的な邦楽のフォーマットに則っていて、特に難しい調性や調弦を使っているわけではないのだけど、ひたすら変な曲のオンパレード、どこかに何らかのひねりが加えられている。
アーティストに必要な集中力には、短、中、長期的なものがそれぞれ必要だと思う。
親父は、一生かけてそれに取り組むことができる、長期的な集中力を死ぬまで失わなかった。
本当に、死の直前まで、楽曲を書き続けた。
その一点だけにおいても、僕はアーティストとして、中村洋一を尊敬する。
おそらくは、僕は無意識のうちに父の背中を見て育ったのだと思う。
必ずウォーミングアップで演奏するメロディー、練習している、変なフレージング、ピアノを触りながら、ああでもないこうでもないと作曲している音。今思えば僕はそれらの音を無意識に取り込んでいたはずだ。

弟妹三人は京都大学法学部を現役で入学するほど勉強ができたこともあり、一流会社に勤め、現在では僕の年収ぐらいの月収があり、親の自慢の二人であるし、親父の最後をずっと面倒見てくれたことに対して僕自身も感謝している。

僕は彼らより一般的な通念から見れば、はるかに劣る存在ではあるが、こと父と僕、という二人の関係においては、ジャンルは違えど、父の跡をついだのは僕だ。おそらくはその部分においては、父は喜んでいてくれていた、と僕は信じている。

死の2ヶ月ほど前に、僕の東松山の新居に、中村の親族全員が集まって、バーベキューをすることができた。
妹家族四人、弟家族三人、僕と和音、そして両親。

また夏にやろうね、そう話して楽しい時間を過ごし別れた。

今となっては、その開催が出来たのもなんらかの思し召しであったと思う。

親父よ、安らかに眠っててくれ。
そして、覚えているかな?天国のピンクの柱のところで集合な。それまで待っててくれ。






  1. 2019/08/15(木) 17:15:08|
  2. 徒然と
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8月のスケジュール

8/4(日昼) 池袋P’s Bar 中村真、津山遼ts デュオ
8/6(火) 上尾プラスイレブン 中村真、大村亘ds デュオ
8/10(土) 三鷹ウナマス 中村真、石川広行tp デュオ
8/28(水)吉祥寺ストリングス 伊藤かおりvo、中村真 デュオ
8/29(木)表参道Zimagine 石井信義gt、越野振人b、木村紘ds、中村真
  1. 2019/07/13(土) 05:59:03|
  2. ライブの事
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中村 真トリオツアー詳細です!

中村 真トリオツアー詳細です!
7/3(水)熊谷 space1497
〒360-0802 埼玉県熊谷市下奈良1497−5
048-529-1745
7/4(木)新潟 Monk’s mood Jazz club
新潟県 新潟市 (213.79 km)
中央区米山2-2-5 ING BUILDING 2階
025-278-3972
7/5(金)秋田 j's cafe
〒010-0021 秋田県秋田市楢山登町3−24
070-6494-5520
7/6(土)会津 太郎焼総本舗
福島県会津若松市七日町8−10
0242-24-7911
7/7(日)福島 MUSIC BAR HARVEST
福島県福島市置賜町8-15 ピア21ビル4階
024-556-1161
7/8(月)黒磯 割烹石山教会
住所 栃木県那須塩原市本町5-5
0287-64-2330
カフェドグランボア佐藤 
7/23(火)浜松 Hermit dolphin 
静岡県 浜松市中区田町 326-25
053-451-1807
7/24(水)大阪 Mr.Kelly’s
大阪府大阪市北区曾根崎新地2丁目4−1 Hotel MYSTAYS 1階
 06-6342-5821
7/25(木)岐阜 アイランドカフェ
岐阜県岐阜市北島5丁目3−5
058-213-7505
7/26(金) 京都 le club jazz
〒604-8082 京都府京都市中京区 御幸町西入弁慶石町48 三条通
075-211-5800
7/27(土)白山 松雲寺
石川県白山市美川新町ル-88
090-3294-1978
7/28(日)富山 Jazzる
富山県富山市中央通り1丁目5−10 米三
 090-6271-7014
7/29(月)甲府 桜座
山梨県甲府市中央1−1−7
 055-233-2031
7/30(火)長野 ビストロ クエルドクエル
長野市南千歳2-8-5長野大通りホテルナガノアベニュー2F
026-219-0255
言うまでもなくメンバーは
中村真、中村新太郎b、大村亘dsです。
  1. 2019/06/28(金) 20:40:48|
  2. 未分類
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5.6月スケジュールです。

5/9(木) 表参道 ZIMZGINE LINA(vo)、中村真、中村新太郎b
5/12(日昼) 関内 ABsmile Music For Children !
Miqui、中村 真、佐藤 忍b、サポート メンバー トモぴょんtp、Miko ds、ゲスト Charito(vo)
5/15(木) 上尾 プラスイレブン 中村真トリオ、澤田穣治b、沼直也ds
5/18(土) 京都 bar つちや 寳子久美子vo、中村真デュオ
5/19(日) 伊丹 always 即興の森survival 
いろんなミュージシャン20人くらいがくじ引きでその場で演奏パートナー決めてデュオで即興するイベント。
5/20(月) 岐阜 BAGU 原れい子vo、中村真デュオ
5/31(金) 南与野 Jazzmal 長島百合子vo、中村真、中村新太郎b
6/5(水) 氷見 agreeA 中村真、小泉智誉vo デュオ
6/6~10 那覇Parker's mood Jazz club 
6.赤崎まゆみvo、藤井学ds、中村真、他
7.Shoketta vo、中村真デュオ
8.中村真、津山遼ts、城間巧介gt
9.城間巧介gt、中村真デュオ
6/9(日昼) 八重瀬町 Music studio 森 中村真、Sebastiaan Kaptein ds デュオ
6/10(月) 糸満 JJ’s 
中村真、蔵方正仁b デュオ
6/12(水) 石垣島 double M 中村真ソロ、ゲスト 市川美鈴vo
6/14(金) 南与野 Jazzmal 中村真トリオ CD発売ライブ 中村新太郎b、大村亘ds
6/20(木) 表参道 Zimagine 中村真トリオ CD発売ライブ 中村新太郎b、大村亘ds
6/21(金) 茅ヶ崎 ストーリービル 松崎加代子vo、安東昇b、中村真
6/22(土) 上尾 プラスイレブン 中村真、上野賢治fl
6/30(日) 東松山 m3chi(自宅ライブvol.2) 中村真、梅津和時as デュオ(6/1予約開始 限定15名)
  1. 2019/05/07(火) 09:08:13|
  2. ライブの事
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にはたづみプロジェクトのウェブサイトが出来ました。

昨年で10年を迎えたにはたづみプロジェクトでのミュージックキャンプ。
今季からは、名をAIR SPLASH TOYAMAと改め、継続していくこととなりました。

キャンプに集ってきたアーティストたちは10年で様々なアーティストの水たまり(にはたづみ)を形成してきました。
そのにはたづみから新たな潮流(アーティスト)が流れ出し、新たなにはたづみを形成してきました。

そのにはたづみが、SPLASHする時が来たのです。

にはたづみからアーティストは弾け飛んで、さらなる動きを生み出して行きます!!
より創作的な自主性が求められるArtists in Residence(AIR)、参加アーティストによる、共同創作の現場、として一新します。

ゲストアーティストとして、今季は、じゅんじゅん(ダンサー)、大村亘ds、tabla、上野賢治fl、落合康介b、チャル(タップダンス)、等、音楽の範疇からもどんどんはみ出して行きます。

僕が総合監督として、描いている絵はないのです。この集まったアーティストたちならば、どのような絵が描かれていくのだろうか?
その場所を作る仕事を今運営委員会と共に毎日切磋琢磨しています。


AIR SPLASH TOYAMA開催に伴い、にはたづみプロジェクトのウェブサイトを一新しました。

ご覧くださいませ!!


https://niwatazumi.org/
  1. 2019/04/15(月) 12:06:45|
  2. にはたづみプロジェクト
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四月スケジュール

3/29(金) 上尾プラスイレブン 中村 真ソロ、大木和音チェンバロソロ4/1(月) 名古屋 kennys junko vo、中村 真デュオ
4/3(水) 甲南山手gallery zing 岩宮美和vo 、中村真デュオ
4/4(木) 甲南山手gallery zing 中村真トリオ、荒玉哲郎b、木村紘ds
4/5(金) 京都 le cluc jazz 上田麻喜vo、中村 真デュオ
4/6(土) 鵜飼谷温泉 中村 真、えんどうまりvo デュオ
4/7(日) 豊中 我巣灯 中村真トリオ、畠山令b、森下啓ds
4/9(火) 浜松 ハーミットドルフィン 鈴木麻美vo、中村真デュオ
4/11(木) 上尾 プラスイレブン 中村真、吉橋厚ts デュオ
 山中一毅Ja pantsu are ?
山中一毅as、中村 真トリオ、中村新太郎b、大村亘ds
4/16(火) 新潟フラッシュ
4/17(水) 桐生 ヴィレッジ
4/18(木) 南与野 Jazzmal
4/20(土) 横浜 エアジン
4/24(水) 吉祥寺 サムタイム
4/23(火) 池袋 P's Bar 中村真、中島朱葉as デュオ
4/26(金) 蕨 Our Delight 中村真、古谷淳pf デュオ 
4/30(火) 三鷹 ウナマス 中村真、津山遼ts デュオ
  1. 2019/03/17(日) 16:02:31|
  2. ライブの事
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芸能人のコカイン逮捕を受けて、僕のドラッグに対する考え方をここに記す

結論から述べる。


ドラッグを摂取したり所持したりすることにより罰せられる罪は、それを摂取した時に自らや周りを傷つけるその傷、以上のものであってはならないと思う。



芸能人が、コカインで捕まったという報道があった。別に珍しい話でもなんでもないが、それに対してフェイスブック等で反応している一般の人々やミュージシャンの方々の意見の多くが、偏見と無知に基づいているように思える。故に、僕がこのブログで自分の意見を述べることとする。

僕はイリーガルドラッグ使用は法律に悖るこういではあるが、同義に悖る行為であるとは思ってはいない。

法律は普遍的に正しい規範ではない。その基準は道義や道徳に基づいたものたろうとしてはいるものの、その基準は時として変わる。
禁酒法時のアメリカでは、飲酒は法に悖る行為であった。唯一の、と言っていいだろう、国産のドラッグ、覚醒剤は、戦後すぐヒロポンという商品名で、それは受験生の勉強のお供であった。
アヘン戦争という名前の戦争があったが、あれはイギリスの綿が売れずに困ってアヘンという麻薬を中国に売りつけて中国に流出していた銀を得るという、今思えばヤクザと同じやり方の商売をしていた。
無論、近代法治国家以前においては、ドラッグ使用はほぼ禁止されていなかっただろう。
日本中に、麻〜、〜麻などという地名がある。これらは自生していた大麻から来る名前が大半だろう。
川崎には麻生区という場所がある。札幌にも大麻という地名が、そして奈良にも当麻寺という寺がある。
古来日本には、麻酔い(あさよい)、とう風流なことばで、大麻を楽しむ風習があった。
つまり、ドラッグの罪とは、相対的なものであり、絶対的なものではない。人の物を盗む、人を傷つける、そう言ったものとは区別して僕は考えている。

相対的な罪悪であるドラッグは、故に国により法的な扱いも異なる。
国際的にみて、日本はドラッグに対する罪はかなり重い方だと思う。
大抵の国では、大麻は交通違反程度の罰則しかない。国によっては、合法である国や、限りなく合法に近い扱いである国も数多くある。
有名なところではオランダのコーヒーショップ。好みに応じてブレンドしてくれるそうだ。そしてそれをショップで吸うもよし、お持ち帰りして楽しむもよし。スペインやイタリアも限りなく合法に近いのではなかろうか?
アメリカでも週によっては合法である。NY州が最近合法になったという話を聞いた。
対し東南アジアの小乗仏教の国では、日本よりはるかに罰則が重い。シンガポールやタイでは、ヘロインや覚醒剤を所持しているだけで死刑になる。
これは滞在外国人に対しても適応され一時話題になった。

ドラッグ使用が同義に悖ると考えている人は、ではオランダでマリファナを吸う人は人非人であろうか?
あなたのおじいさんがヒロポンを摂取しながら刻苦勉励した結果家族を養える立派な人間になったことは、不道徳なことでしょうか?


さて、一口にドラッグといっても色々なものがある。
簡単に分類分けすると、興奮系のドラッグ、鎮静系のドラッグ、幻覚系のドラッグなどだ。
興奮系の代表は覚醒剤であり、今回のトピックとなっているコカインだ。リーガルなものとしては、カフェインもそれに含まれる。
鎮静剤の代表は、アヘンをはじめとするオピウム系のドラッグ。リーガルなものとしてはお酒はこれに含まれる。
幻覚系はLSDやマリファナなどもこれに分類してもいいと思う。リーガルなものとしては、朝鮮朝顔のタネや、ペヨーテというサボテンはリーガルな幻覚をもたらすものとして、好事家には知られる。

日本ではこれらを取り扱う法律が異なる。
マリファナ(大麻)は、大麻取締法で、そして日本オリジナルのドラッグである覚醒剤は覚せい剤取締法により、そしてそれ以外のドラッグは麻薬取り締まり法により取り扱いされる。

記述した順に罪は重くなっていく。
ちなみに、狭義で言えば、麻薬とはオピウム系のドラッグのことのみを指し、コカインは麻薬ではない。

ドラッグ各々にそれぞれの効能がある。その効果については詳しくここで述べるのは避けたいと思う。というよりも、僕自身がドラッグの経験があまりにも浅いので、詳しく知らない。

薬物依存について。
ドラッグをやること=薬物依存であるという誤解をしている人を数多くみた。
それは違う。
99パーセントの人は、ある程度自分の理性でドラッグの使用をコントロールできる。
今回捕まった人が依存であったのかどうかはわからない。が、そういう誤解はよろしくない。

WHOによる、ドラッグを依存度により4段階に分類したものがある。
それによると、全く依存度がないドラッグは、唯一大麻である。一切の依存が認められない。
タバコやコカイン、覚醒剤は、依存度が3である。
最も依存性が高いドラッグとして分類されているドラッグが、あらゆるドラッグの中で二つだけある。
一つは、アヘンを10倍に精製したモルヒネ、モルヒネはご存知の通り末期癌の患者の痛みすら和らげるだけの強力なドラッグで、使用は医者の厳重な管理下でしか行えないものである。そのモルヒネをさらに10倍精製したヘロイン、ヘロインを医療用ですら認可している国は世界中でイギリスだけである、そのヘロインと、皆様お馴染みの酒、である。

依存度の強いドラッグ、危険性の強いドラッグが必ずしも禁止されているわけではないことはお分かりだろう。

多くの人々はKing of the drugである酒をコントロールして飲んでいることだろう。酒を一口でも飲んだら依存に陥るか?そんなわけない。
様々な要素が複合的に絡み合い、酒を二十四時間連続飲酒するに至り、治療極めて困難なアルコール中毒に至る。
アルコール依存がどれほど恐ろしいか、は、アルコール依存病棟というものが存在することからも理解できるだろう。
タバコ病棟はない。外来治療がほとんどだろう。
だが、世の中にはタバコ依存の人はアルコール依存に比べてはるかに多い。
それは、タバコはいつでものべつまくなしに摂取することが出来るからだ。
現在においてはタバコを取り巻く環境は厳しいものであろう。が、それでも仕事をしながらでもタバコを吸うことはできる。5分の時間と場所さえあれば。酒を飲んでしまったら、酔っ払って仕事にならないだろう。
そういった、ドラッグにまつわる環境なども依存には深く関係はあるだろう。
ゆえにアッパー系のドラッグの方が環境的には依存に陥りやすいかもしれない。酒を飲んだら仕事にならないが、シャブやりながらバリバリ仕事をすることは可能だからだ。
何れにせよ、どのようなドラッグでも使用の仕方により依存を引き起こす。それは、コーヒーでも同じことだ。
どのようなドラッグでもやり過ぎたら体には害がある。それは、チョコレートでも同じことだ。



ただし、大麻には依存性はない。
ちなみに時効だからいうが、僕は25年以上前に大麻を毎日摂取していた頃があった。無論若気の至りで、法律を犯していることに対しての意識や危機感は限りなく低かった。その大麻は大学の友達がくれたものだった。
大学の庭で、その女の子は、「はい」と、ドライフラワーの花束を手渡すかのごとく僕にそれをプレゼントしてくれた。
それを一ヶ月間毎日僕は摂取した。それはそれは楽しい日々であった。しかしその日々も長くは続かない。当然それがなくなる日が来る。なくなったが、特に依存を感じたことはなかった。欲しいとも思わなかった。もし毎日タバコをひと月摂取したとしたら、立派なニコチン中毒の完成だろう。
それから、僕は大麻が身近にある環境や、リーガルな環境、海外に行った時に勧められた時ですら、別にいらないと断った。自分にとって必要であると思わなかったからだ。
ちなみに僕が海外で大麻を摂取しても罪に問われることはない。いや、国内で摂取したとしても罪には問われない。大麻で罪に問われるのは、所持している場合においてのみである。もらい大麻を吸うことは、罪にはならない。(はずです)
(大麻に害はないのか?全くの無害ではないと思う。が、あらゆるドラッグは多かれ少なかれ有害です。
具体的には、大麻にはかなり大量のタールが含まれる。これは平均的なタバコの20倍だという話を聞いたことがあるが、おそらく1日に摂取する大麻の量は、平均的な喫煙者の1日に摂取するタバコの量の1/20以下であろう。)


ではなぜ大麻が未だ数多くの国で禁止されているのか?

これは僕の想像に過ぎないが、持論を述べてみる。

これもあまり知られていない話だが、大麻とは、繊維を取る植物である「麻」の、葉っぱや花のことを指す。
忍者が跳躍力を身につけるために、成長の早い植物をうえて、それを毎日飛び越えて訓練した話はご存知かと思う。
その植物こそが麻である。
それぐらい、簡単に栽培できる麻が、世の中でまかり通れば、綿産業が成り立たなくなる。
それが理由ではないかと思っている。
つまり、綿が売れなくなっては困る人々がいるのだ。
それが誰なのか、は、上の記述の中にもヒントはある。


僕の私見を述べる。ドラッグを摂取したり所持したりすることにより罰せられる罪は、それを摂取した時に自らや周りを傷つけるその傷、以上のものであってはならないと思う。
つまり、ドラッグ使用は、なんら罪に問われるようなことではない。タバコの受動喫煙の方がよほど罪深い。

大人しくマリファナ吸って何が悪いの?一人でコカイン決めてビンビンになってて誰かに迷惑かけるかな?
無論、それにより、暴れてものを壊したり人を傷つけてはならない。しかしそれには、その行為を罰する法律がある。
事実酔っ払って暴れてしょっぴかれる人は後を絶たないが、故に酒を法的に禁止する法律は当分出来そうにないしね。
そしてマリファナで酔っ払って暴力を振るった人の話を僕は聞いたことがない。

  1. 2019/03/15(金) 22:53:21|
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露玉もゆらvol.5 無事終わりました!ありがとう!!

露玉もゆらvol.5お越しいただきました皆様方、本当にありがとうございました。
ソロは日常であり、そして全ての演奏は、日常である。そうカッコつけて言ってしまいたい気持ちはありますが、実際にはやはり自分にとって特別なコンサートでした。
自分が、25年以上プロとして活動してきた、その一つの集大成であったと思います。
無論、王子ホールぐらいが集大成として考えるのは志が小さい、人によってはそう受け止められることもあるかもしれません。でも今の僕にとってはそれでも大きすぎる舞台。
そういった相対的な価値基準ではなく、自分自身の虚心のありのままの出来ること、それの最大のことが出来たのではないかと思います。
音楽的にも、自分的には会心の出来だったのではないかと思います。
たくさんの人たちの助けを借りての演奏会でした。
運営委員会は、色々とトラブルも多かったけど皆が最善の努力をしてくれた。
楽しくコンサートを迎えることが出来た。
高松建設さんの協力なしにはあり得ないコンサートでした。

調律の狩野さんもいつもながら良い仕事をしてくれた。そして、ライブレコーディングをそう思えないようにさりげなくとってくれた、小伏さんにも感謝です。

そして何よりも聞きにきてくださった皆様に対して、本当に感謝の気持ちで一杯です。

これからも前へ進んでいく。
僕としたことが、大した文章を書くことが出来ない。それぐらいに、色んな思いが心にいっぱいです。

本当にありがとうございました。
  1. 2019/02/26(火) 12:30:59|
  2. にはたづみプロジェクト
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コンサートを明後日に控えて

いよいよコンサートは明後日になった。
僕にとって演奏は日常。それは場所が与野のジャズマルだろうが、上尾のプラスイレブンだろうが、NYカーネギーホールだろうが同じこと。
どこでやるのもそう大差ない。
だけど、今回はほんの少しだけ違う。
それは何なのか。
やはり色々な人の協力なしに成り立たなかったコンサートであるからだろう。

今回協賛いただいている高松建設、いや高松君との関係もそうだ。
高松君とは若かりし頃、本当にくだらないことを言い合ってきた仲間だった。進む道は異なったけど、あの頃お互いにロマンを語り合った、お互いに青かった青春時代のことを昨日のことのように思い出す。まあ僕は今でも青いが。
彼と作ってきた銀座space潦でも色々なことがあった。思えばトラブルしかなかった。運営は困難だった。だけど、それが無くなった時に初めてその価値を知った。

実行委員会とも色々なやり取りがあった。ホール選びから相談をはじめた。ああでもないこうでもないと、もめ事も多々あった。
意見が食い違うことはあったしやり口が違うこともあった。だけど、基本的にこの露玉もゆらを良いものにしようとする、成功させようとする気持ちには違いなかったと思う。

来てくれるお客さん、または来てくれない知り合いも含め、僕はたくさんの人にコンサートの案内のメッセージをした。
その中には、今は付き合いはほとんどなくなってしまった知り合いもたくさんいる。
僕自身が、案内のメッセージを出すことにより、そういった人々と知り合って、触れ合って今までの人生を生きてきたんだな、そんなことを一つ一つ思い出したのだ。
無論返事がない人もいた。でも僕は、その人たちとの人生の触れ合いについて、ほんの少しの時間ではあるけれども、思い出すことが出来たことは、大きなことだったと思う。
実際に、疎遠になっていたのにもコンサートに顔を出してくれる人たちもたくさんいる。
もちろん、全然僕を知らない人もたくさんきてくれることと思う。

要するに、僕が今まで生きてきたその結果として、明後日のコンサートがあるんだな、そう思うんだ。
でもそれは、日常の与野のジャズマルだろうが、上尾のプラスイレブンだろうが、NYのカーネギーホールだろうが、どんなコンサートだろうが、今まで生きてきたその道がなければ、成り立たないコンサートなんだな、という、当たり前のことを、実感しているのだ。

そういう意味で、特別なコンサートなんだな、と思う。

僕の、今まで生きてきた全ての結果としての、コンサートなんだな。
  1. 2019/02/21(木) 22:33:23|
  2. 徒然と
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露玉もゆら vol.5 今週末です。

一昨年の夏、大阪でラプソディーインブルーを演奏した。カデンツを全てその場で即興で作るというチャレンジ。
本番まで僕は幾度かの公開練習をおこなったが、一度も満足いくカデンツを作り出すことができなかった。
そして迎えた本番、僕は幾度目かのカデンツの最中、僕は本当の意味で我を忘れた。
演奏に対して集中している、ということは、普段から当たり前にある。だけど、それとは少し違う。
そこに存在するのは、僕と音楽、それ以外存在しなかった。
例えていうならば、深く深く海の底に潜っていくと、そこには自分と周りの暗い海しか存在しない。
自分の中にある、いろいろな意識も存在しない。様々な邪念も存在しない。
オーケストラの団員も、指揮者も、そしてお客さんすらいない、ただ僕と、周りの音しか存在しない空間。
僕自身が奏でている音であるはずなのだが、それは僕の周りに存在する。暗い海のように。
少しづつ浮上を開始する。上の方にほんの少し明るくなってくる。
少しづつ、少しづつ意識が戻ってくる。ふと気づくとオーケストラがいる。そして、指揮者がいた。
お客さんもいる。
僕は、いわば我に返ったのだ。

僕にとっては大きな舞台である王子ホールでのソロ。
ステージで僕は、我を忘れるのだろうか?

露玉もゆら vol.5
2/23(sat.) 19:00 start

  1. 2019/02/20(水) 14:34:12|
  2. ライブの事
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露玉もゆらvol.5中村 真ソロピアノコンサート@銀座王子ホール

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自身の東京での初となるソロピアノのコンサートを行います。

露玉もゆら
とは、葉っぱにつく朝露の水滴同士がころころと転がり、ぶつかり合う音。それは音として感知出来ないかもしれない。しかし確実に存在するであろう微かな音。 ピアノのほんの微かな音の違いや変化まで聴かせたい、そういう想いで過去7年にわたり綴ってきたコンサートシリーズ「露玉もゆら」

ソロピアノとは自らにとっての最も高いハードルでもあり、それと同時に自分の回帰するゼロ地点でもある。
全てはここから始まり、ここに集約される。

2004年ごろ、ソロのアルバムを初めて作った。その時から僕は、即興に対するこだわりを強く持っていた。
それは純粋即興であるというだけの意味ではない。
その場で起こっていくことに対して忠実に反応し、その場で感じていることに対して忠実に表現する。
無論僕は四半世紀も音楽にプロとして音楽に関わってきた。それは決して短いと言える時間ではない。
その中で自分のやり口、というものが好むと好まざるとにかかわらず生まれてくる。
それは、ある意味自分の個性というものを生み出す。が同時に、停滞を生み出すこともある。
その語り口を、ある意味捨て去る勇気を持つこと、音楽に対し、表現に対し、絶えず鮮度を保ち続けること、それに対してこだわり続けてきた今までの行き方でした。
それはこの、自分にとっては大きなこの舞台においても同じ。
自分の中の何か、を、捨て続ける、永遠に完成することのない、究極の美、に対する挑戦。
つまり報われることのない作業の連続。


それが僕のゼロ地点だ。
露玉もゆらvol.5
2019.2.23 sat.
19:00start
前売り3000円、当日3500円。
学生、清貧アーティスト2000円
銀座王子ホールにて


  1. 2019/01/18(金) 14:22:27|
  2. ライブの事
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今年一年を振り返る

今年一年を振り返る。

厄年を開けてから本当の意味での僕の厄年が始まった三年前の厄が本格的に明けた一年であった。
今年一年を一言で表すならば、新たなる出発、であったと思う。
個人的な一番の大イベントは何といっても引っ越しであった。
浦和のマンションを引き払い、東松山の小さな田舎集落へ引っ越した。
周りは田んぼしかない小さな集落の外れへ。
24時間音を気にすることなく生活できる環境。
家庭菜園をはじめた。資本主義的な消費サイクルからの脱却の第一歩。
なるべく使わない生活の構築。

ミュージックキャンプは10年目を迎え、一つのゴールをくぐると同時に新たなる旅たちを始めた。
振り返る。10年よく続いたな、ではなく、よく終わらなかったな、と思う。
終わらなかったことが不思議だ。キャンプの問題点を挙げていけばきりがない。
運営委員会は、かつてない充実を誇る。僕が主体的に動かずとも活発な議論が展開していく。
まさに新たなる船出。

ツアーも活発に行った。トリオでのツアーはもちろん、インドでの公演や、沖縄、北海道での公演も積極的に行えた。個人的なツアーも今年は何とか再開することが出来た。

様々な行動がやりやすくなってきた。
僕の足を引っ張る人はもういない。いてるのは僕を前に進むことを助けてくれる人だけ。
だからこそ、僕は進むべき道を誤らぬように、より自戒していく必要を強く感じる。
人は己の全く気付かぬところに、気付かぬうちに落とし穴を掘っているものだ。


来年は、久しぶりの大きな公演と、いきなりのレコーディングが三つある。
楽しみでもあり、引き締まる思いでもある。

挙げていけばきりがない。あらゆる人々から贈与された一年であった。
僕は、誰かに与えた物以上のものを与えられて生きてきた。
感謝などという言葉で言い表すことはできない。
僕自身が、今後の自分の芸術活動により、それらを表現し、還元していく。
それ以外に僕には出来ることはない。

来年も我が道を行く。

ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。
  1. 2018/12/21(金) 09:29:10|
  2. 徒然と
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1月スケジュール

1/12(土昼)東松山 m3chi 中村真理子、中村真 バースデーライブ (会員制)
1/14(月祝昼)赤坂ベヒシュタインセンター 中村真ソロ 2/23露玉もゆらプレコンサート
1/20(日)中野ピグノーズ 澤田譲治b、中村真デュオ
1/22(火)上尾プラスイレブン 太田朱美fl、中村真デュオ
1/23(水)高田馬場サニーサイド 菅野ヒロヤスvo、中村真デュオ
1/27(日昼)東川口 u3chi 中村 真トリオ 中村新太郎b、大村亘ds(要問合せu3chi@yahoo.co.jp)
2/23(土)銀座王子ホール 露玉もゆらvol.5 中村真ソロピアノコンサート
  1. 2018/12/06(木) 14:59:52|
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トリオツアースケジュール

中村 真トリオツアー
12/7(金)新潟フラッシュ
12/8(土)会津太郎焼総本舗
12/9(日)黒磯教会
12/10(月)甲府桜座
12/11(火)浜松アナログ
12/12(水)京都ボンズロザリー
12/13(木)甲南山手ギャラリージンク
12/14(金)鵜飼谷 鵜飼谷温泉
12/15(土)岐阜美濃 ディアンジェロ
12/24(月祝)上尾 プラスイレブン
  1. 2018/12/04(火) 10:41:22|
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キャンプ10年目を終えた、代表としての僕の言葉ではなく、完全なる個人的な気持ちの羅列

10年目のキャンプを終えました。
なんというか、言葉がなかなかうまく出てこない。
うまく書くことが出来そうにない。
10年、まあそりゃ色々なことがありました。振り返ってみたら、よく継続出来たな、ということの連続でした。
中津江のとん挫、金沢でのギリギリでの開催、魚津での見切り発車、本当にこれが継続できたことは奇跡に近いなと、振り返ればそう見える。だけど、やってるときは、何とかやってきたんだ。
ふと気づけば、実行委員会は充実して機能して、講師陣にも僕の理念は理解され、また参加者も順調に増え、資金繰りも何とかなっている。
主体的な行動を、という意味合いにおいても、僕の知らないところでいろんな動きが自然発生的に生まれている。
僕は中津江の初年度にキャンプ5年の計を立てた。種をまき、芽を出し、茂り、実り、収穫する。
現実には、出た目は摘み取られ、一から、いやマイナスからのリスタートを切った。
そして10年の節目を迎え、僕は収穫できたのか?といわれたらイエスとは答えられない。
では収穫はなかったのか?それもイエスとは答えられない。

僕は、このキャンプを今年度でやめる選択肢も考えていた。だけど、10年を終え、やめられない、というよりも、このキャンプは、すでに誰かに求められる何か?というものに成長していると思った。
僕の手の届かないところで、勝手に動き始めているようだ。
このキャンプで得た感動を、僕に直接メッセージしてくれる参加者も数多くいる。
感動が、伝播していることを実感する。

10周年のキャンプに、このミュージックキャンプを作った中津江公民館長の大沢さんが突然来た。
キャンプを作り、そして中津江MCをぶっ潰した本人が突然現れた。
色んな思い出がよみがえり、そして、色んな苦労を思い出し、歴史をずんと感じた。
賢治が泣いた。あの上野賢治が泣いた。きっと同じ思いだったに違いない。
大沢さんは謝りに来たんだ、といった。僕は謝られることなど何一つない、と答えた。
大沢さんに対して恨みに思ったことなどただの一度もない。3年目をぽしゃらせたことも恨んだことはない。
むしろ、感謝している。あのまま3年、4年と、中津江でやっていたら、キャンプは絶対に継続していなかったと思う。
大沢さんが手放し、それでも賢治と僕は続けた。そして、僕の右腕であった川本も、にはたづみを離れ、だから今の素晴らしい実行委員が存在する。
僕は三年目を放棄した大沢さんに一つだけ言った言葉がある。大沢さんが作ったものは、実はすごいものだったんだよ。いつかそのことを思い知ることがあるよ。僕はそういった。
その言葉を大沢さんにもう一度だけ言いたい。

運営委員長の岸本はぼくに、こんなに楽しいキャンプは初めてでしたと言ってくれた。
岸本は、はっきり言えばぼくに苦労を押し付けられたのだ。その岸本にそういってもらえたことが、ぼくは何よりもうれしかった。

僕自身は久しぶりに心身ともに健康にキャンプに臨むことが出来た。楽なのかな?と思っていたがとんでもなかった。元気だからこそ、行動できる。故に疲れ果てる。この僕が酒量を最終的にセーブした。体力の衰えもあるだろうが、それだけではないと思う。いろんな事柄に対してのアンテナも変わってきてると思う。だから、見えなかった部分が見えるようになっている。故にそれに反応することにより疲労はどんどんと例年に比べて増えていったような気がした。

じゅんじゅんはこういった。普段のダンスの現場では、作品を作るための指示やディスカッションはあれど、本質的な芸術についての議論をこれほどに深くできる場所というものはダンス界には存在しない、と。
それはそうだろう。音楽の現場においてもこんな話をすることは全くない。酔っぱらって語ることと、これとは大きく異なる。

ジュンジュンはこうも言った。この10年で、最も大きな学びを得たのはあなたですよ、と。
僕は全くその通りだと思う。

キャンプの最終日コンサートのトリを僕が務めた。
僕は、トリオで演奏した。大村ではなく、10年間一日も欠かさずキャンプに参加した吉川元と演奏した。
その理由は、ただ元とともに歩んだ10年を懐かしむためではない。感謝でもない。情でもない。
元が僕のトリオで演奏するに足る実力があるから、だけでもない。
未来へ繋ぐ何か、に対する期待感と覚悟のためであった、かもしれない。
僕にとって、演奏は、日常です。ですが、あの日のあのトリオの演奏は、日常ではなかったかもしれない。
あの日にだけしか演奏できない、何か、であったと思う。

一口でこの10年を語る言葉があるとするならば、それは感謝、という言葉に集約するだろう。
大沢さんをはじめ、上野賢治、本多千紘等の初期の運営、発起人の二人のシンガー、大輔や光田さん、いっていけばきりがない。山田うんさんがいなければ、僕はダンスに対して興味を今ほどに持つことはなかったかもしれない。川本悠自なしに中期のキャンプは成り立たなかった。すべてのアートディレクションから事務まであらゆる相談を彼にした。学びの森のスタッフも、適度な距離感で我々のプロジェクトを見守り、そして可能な限りのサポートをしてくれている。はっきり言ってお荷物団体だろう。だけどそれを山田さんは、庇い、ケアし続けてくれた。
協賛してくれた方々は言うに及ばず、まったくの手弁当でともにキャンプを作ってくれている運営諸氏、そして歴代の講師の皆さん。中でも大村は川本に言っていたようなアートディレクションの部分に対しても、適切なアドバイスやサジェストをくれる。
そして何よりも参加してくれたみんなが、感動を伝播していってくれること。
キャンプという潦(にはたづみ)に集ったみんなは、キャンプからあふれ出て新たなる潦を形成する。そしてまたそこからあふれ出ていく。
にはたづみの基本的な理念は、感動の伝播にある。

色々あったけど、10年やってきてよかった。

  1. 2018/09/26(水) 23:46:08|
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10月スケジュール

10/1 金 昼 新宿ピットイン 既成概念をぶっ潰す会
10/7 日 昼 横浜ジャズプロムナード 中村 真トリオ、中村新太郎b、大村亘ds
10/15 月 甲南山手 gallery zing 中村 真、木村紘ds デュオ
10/16 火 洲本 笑む 中村 真ソロ
10/18 木 岡山 インターリュード 遠藤マリ vo、中村 真 デュオという
10/20 土 金沢 バー ドルフィン 吉本恵津子vo、中村 真デュオ
10/24 水 リディアン izaura vo 中村 真デュオ
10/25 木 南与野 ジャズマル 長島百合子vo、中村 真デュオ
10/26 金 上尾 プラスイレブン 中村 真、前原孝紀gt デュオ
  1. 2018/09/24(月) 14:57:16|
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明日から10年目のキャンプが始まります。

いよいよ、明日から、ミュージックキャンプが始まります。
僕は、何らかの物事が成すにはおよそ10年という月日が必要だと思っています。
キャンプは、僕個人が大分の中津江村のホールでの合宿個人練習から始まった。
それに帯同した、いづみ、裕子、カモ、他何人かの九州のミュージシャンたちとともに練習し、共に学び、寝食を共にした。

11年前のある日、中津江村民ホールの大沢館長から、一年後、日田のパトリアホールを一日借りたから、と伝えられた。それに対して僕は中津江ホールでの短期間のレジデンスによる音楽創作と、ミュージックキャンプの同時開催に着意した。
伊藤大輔と光田臣を講師に迎えた。その人選からも、このキャンプは、僕自身の自転車のツアーからの流れであることがわかる。彼ら二人は、僕のソロピアノツアーに帯同した二人だったからだ。
旅の延長線上にあったキャンプ。
二年目にはそれは大きな広がりを見せた。伝説の中津江の二年目。今年それを知る参加者は講師である上野賢治と僕以外に二名。しかしあのキャンプに参加した者たちが再び集ったとき、必ずあのキャンプがもたらしたものについて話す。

キャンプは満帆に進むかと思いきや、3年目の中津江はなかった。
いきなりのとん挫。終わるかに思えたキャンプは、上野賢治により救済された。
彼は自宅であった蛍庵でコンサートを開催し、合宿を湯涌創作の森で行ってくれた。
10年のキャンプにおいての唯一の赤字開催。それでも火は消えなかった。

その後の3年は、賢治が金沢芸術村の音楽監督に就任したことにより、経済的にも環境的にも恵まれた開催となった。恵まれたといっても、場所の使用料が無料であった、という程度のものですが、でもそれは我々にとってとても大きなことだった。少なくとも、赤字は出ない(笑)。
その間、様々な講師を招聘した。今思えば、その三年は、仕込みの三年間だったと思う。
仕込んできたものはしかし、少しずつ熟成を生んでいたと思う。

賢治の任期満了をもって、場所を魚津学びの森に移すこととなった。
実は3年目の中津江がとん挫したときに、僕は学びの森での開催を検討していた。だが、それは当時の僕にとって大きすぎる課題だった。
しかし6年の月日を経たキャンプは、それを何とか開催することが出来るぐらいには成長していた。
それでも見切り発車だった。
この三年間は大変な三年でもあった。長年の右腕であったスタッフの川本がにはたづみを降りた。それは大変なことではあったが、結果として現在の実行委員会をを得ることが出来た。

少しずつ少しずつ、バトンは回っていく。
僕の思うようなペースではなく、思うような結論にも至らず、しかし、自然にバトンは回っていく。

そんな10年だったように思う。


沢山の人に感謝の言葉を述べたいと思う。上野賢治はじめ、多くのアーティストの参加なしに成り立たなかった。
スタッフの文字通りの手弁当の協力なしに成り立たなかった。
学びの森、湯涌創作の森、蛍庵、場所とそこにいる人の協力なしに成り立たなかった。
数多くの個人協賛者や企業協賛者の力なしに成り立たなかった。
上げていけばきりがない。
一つだけ言えるのは、僕は何もしてない。始めただけ。その後、このキャンプの理念に賛同する者たちが、自主的、主体的に行動してキャンプを動かしてきてくれた。

僕はキャンプ5年の計を立てていた。
種をまき、芽が出、枝葉を伸ばし、実り、収穫する。
実際にはそんなスムーズには行かなかった。自分の人生を振り返ってみても、常に事を成す前にとん挫しいてる。僕は、しかしそれをとん挫とは思わない。
永遠に完成することのない、成長なのだと考えている。
キャンプもそうであった。
10年間、終わらなかった。僕には実は、思うようなペースなどなかったし、思い描く結論などなかった。あるのは、漠然としたイメージと美意識だけだった。だから、終わらずに来れたんだ。

そのことが僕にとって、僕たちにとって、そしてそれに触れる者たちにとっての、直接間接的な、財産となるのではないだろうか?

そう思ってます。
10年目を迎えるにあたり、今まで通り、何もしないで臨むつもりです。


  1. 2018/09/14(金) 13:31:05|
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