真・の・ブログ

日常的な事、ちょっと考えさせられるような事、まじめな事、不真面目な事、料理の事自転車の事等々等々、音楽の事以外の事を徒然と書き綴っていくつもりです。 が、どうなるかはわかりません。

NY旅voi.2

仕方がないから、家でパスタを食べてから街へ繰り出すという日々を過ごしました。
ミネストローネスープと、ラタトゥイユ。大村君の提案で、ラタトゥイユというものを初めて作ってみましたが、簡単で美味しくて、大量に作れる。これはキャンプでも使える料理だ。
アメリカは野菜が美味しい。人生で何度もポトフを作ったが、アメリカでやると大抵美味しく出来る。驚きのおいしさ。オーガニックの基準が世界一厳しいらしいアメリカ。その反対にジャンクなものはとことんジャンクであるアメリカ。変な国。

美術館にはほぼ毎日通った。メトロポリタン、自然史博物館、MOMA。
NYは新しい街なのだが、建物は古い。歴史がはるかに古いはずの日本の建物は大抵新しい。
日本の古い建物は、木造が多い。だから長持ちしないのだろう。それに、日本は戦争で多くの街は全滅している。
木造建築は、コンクリートより長持ちするのでは?実際に法隆寺などでは今が一番強度が高く保っているではないか?という疑問を持つ人もいるだろうけど、そういう建物は、建材から何から何まで最高のものが使われ、最高の技法が用いられ、最高のメンテナンスを維持し続けているから持つのであり、一般の木造建築はそう長く持つものではない。

メトロポリタンも自然史博物館もその建物自体が素晴らしい。
そして、美術品の収集も、半端ない量と質である。
ヨーロッパの美術館や、中国の美術館に豊富な美術作品があるのはわかる。
だが、歴史も新しいアメリカの美術館にこれほどの収蔵物があることは、いかにアメリカが富める国であるかを如実に物語っているだろう。

あらゆる時代の、あらゆる場所のアートや、文化的価値のある物が集まっている。
1日ではとても回り切ることは出来ない。僕たちは結局メトロポリタンへは5回ぐらい行ったのではなかろうか。

MOMAにゴッホの絵があった。世界中を旅してきた絵。普通に触れる場所に展示してある。
さすがに絵の前には少しの人だかりが出来ていた。だが、おそらく絵はこう思っているだろう。
俺が世界を旅してきたときに出来る人だかりはこんなもんじゃないんだよ!!って(笑)

日本で僕はほとんど美術館に行かない。
特に東京では行かない。何故ならば、人が多すぎるから。
伊藤若冲5時間待ちとか、阿修羅3時間待ちとか、何考えているのだろう。
東京の美術展示は、上手くコマーシャルされて、ビジネスとして成り立たせている気がする。
チャラい宣伝文句などで、面白そう!!という感じで見に行く人々が多いのだろう。
ディズニーランドに行く感覚とそう変わらないメンタリティーで、美術を鑑賞していると思う。
表面上の感動を得るために行ってると思う。

僕は、美術作品は、日常的に眺めたいと思っている。
特別な目で美術作品に触れるのは、美術作品に対して、曇りの眼で見ているに等しい。
そういう意味では、NYの美術展示は、とても日常的であるように、そして見に来ている人々も日常的な感覚を持って見に来ている人が多いようにも感じた。
にしても、万博の民族学博物館的な、自然史博物館。規模もリアリティーも何もかも圧倒的にすごかった。民博はあれに比べたら子供だましだ。結構面白くてよく行くのだけどね。






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  1. 2017/08/18(金) 18:55:46|
  2. 2017,8.NY
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NY旅vol.1

NYに行ってまいりました。2週間。仕事と仕事の打ち合わせを兼ねての見聞を広げる旅でした。
いつもの大村君との旅。NYには山中君がいます。山中亭に世話になりました。
20数年ぶりにNYに行って、僕は以前に行ったときに感じた楽しさと、もういいや、と思ったその想いと、両方をまた再び感じました。
感じ取ったものを言語化するのが難しいです。
が、少しずつ感じたことを書いていこうかなという気持ちになりました。

NYに僕程度の金銭しか持たずに、旅行することは不可能でしょう。マンハッタンのホテルに泊まるならば、おそらくは一泊200ドルはくだらないそうです。2週間の滞在ならば、宿代だけで、2400ドル、ざっと25万円のお金がかかる。
外食もありえないほど高い。メトロポリタンのカフェのショーもない、(おいしいけれども)サンドイッチが16ドル!!2000円弱の値段。

地下鉄も乗り放題とはいえ、初乗りが300円ぐらい。何をするのも高い!!

日本より安いものは、ビールぐらい。クアーズの一リットルの缶ビールばかり飲んでいました。

医療費も、くそ高いという話を聞きました。家賃もくそ高い。
山中君の住んでいるシェアハウスの家賃は、僕の家のローンよりはるかに高い。
僕の家のようなマンションに住もうと思ったら、マンハッタンでは家賃70万ぐらい払わなければ住めないそうです。狂ってるとしか言いようがない。

ところが、メトロポリタンや、自然史博物館、これらに対して僕が感じたことも多々ありますが、それはひとまず置き、たった1ドルの寄付金で入ることが出来る。
世界的に有名なギタリストのソロコンサートの入場料が20ドルで見れる。

そして、路上にたくさんいる、浮浪者に対して、お金を与える市民が結構な数いる。

日本ではありえない風景。

色んなことを感じずにはいれない町。NY。
また行きたいか?と問われると、行きたくないです。いや、20年ぐらいしてからまた行きたくなるかもしれない。
少なくとも、NYに移住して住みたいとは全く思わない。

  1. 2017/08/18(金) 18:29:03|
  2. 2017,8.NY
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ブラジルに伝わる小さな伝説のお話

20170729122004151.jpg


「このシャツのこの生き物の話をして。」
「いいよ。この生き物は、ポピーというんだ。ポピーの切ないお話をしてあげるね。」

僕は語り始めた。

このカナリアイエローのTシャツ。ご存知のようにTシャツには一つ一つストーリーがあります。
この話はブラジルのアマゾンの上流の話です。アマゾンの一つの小さな伝説のお話。

アマゾンの上流の小さな村に、ひと組の若い夫婦がいました。彼らはアマゾンの河の恵みを糧として生きるつつましやかな夫婦でした。

ある年子宝に恵まれました。かわいらしい女の子で、ポピーと名付けました。
珠のように可愛がりました。そして4年の月日が経ちました。ポピーは少し言葉を話すようになりました。
ある日夫婦は、初めてポピーをアマゾンの河に連れて行きました。マゾンの河は深く厳しい。でも河のほとりに住む者として、いつかは経験しなければならない。アマゾン河の儀式。
河にポピーを入れました。ポピーは恐る恐る河の中に向かって進んでいきます。

その時でした!!河がまるで真っ二つに割れたかのごとく水面に渦が起こったかと思うと、6メートルはあろうかと思われる、大きな鰐が、ポピーを一瞬にしてのみ込んだのです。
「ポピー!!」夫婦は叫びました。鰐を捕まえようと必死になりました。しかし、鰐はポピーをその口の中の頬袋に収めたまま、悠然と泳ぎ去りました。
鰐に連れ去られたのです。
その日から夫婦は、アマゾンを捜索しました。行けども行けどもしかし、ポピーを連れ去った鰐を見つけることは出来ませんでした。

夫婦は悲しみにくれました。来る日も来る日も悲しみにくれました。
しかし、生活のためには働かざるをえませんでした。でも、働く気力もわかなくなりました。

それから10年ほど経ちました。夫婦はアマゾンの上流でとれた魚を、下流にある大きな町、ポラレスで売って、そこで買ってきた織物などを自分の村に持ち帰って売る、という生活をしていました。

ポラレスの市場は、様々な果物や織物がそろい、お香のにおいや爆竹の音、行きかうリクシャのエンジンの匂い、貧しい人もとてつもない金持ちもいる、雑多な町でした。

夫婦はポラレスの市場を行きかう人たちが、今日は面白い旅芸人が来ていて、今から広場で芸を見せるという話を聞きました。
その芸を見に行くことにしました。

広場には大きな鰐のはく製が吊るされていて、その横には、肌が鰐の色になってしまった小さな女の子がいました。
鰐に育てられて、鰐のようになってしまった子供を見せものにしているという芸でした。

夫婦は、その子供を見ました。「ポピー!!!」
なんとその子供は、10年前に鰐に連れ去られたポピーでした。
見た目はすっかり変わってしまいました。鰐に育てられ、鰐のようにふるまいますが、まぎれもなくポピーであることを、夫婦は確信しました。
その芸人に事の顛末を話し、ポピーを返してくれるようお願いしましたが、芸人は首を縦には振りませんでした。
その鰐の子供の見世物で、芸人は生計を立てていたからです。
夫婦は、たくさんのお金を、芸人に払うことを約束し、ポピーを連れて帰りました。

小さな村に連れて帰られたポピーは、いつまでも人間の言葉を話すことが出来ませんでした。
そして、ポピーは、夫婦の事を両親だと理解することも出来ませんでした。
だけど、夫婦は、深い愛情を持って、ポピーに接し続けました。
長い年月がたち、ポピーは片言の人間の言葉を話せるようになり、そして、両親の愛情を感じることが出来るようになりました。
幼少の頃を鰐と過ごしたことにより、人並みに生活が出来る、というようにはなりませんでしたが、でも、ポピーと夫婦は、幸せに、仲睦まじく、暮らしていったという事です。
でもポピーの見た目だけは、うろこがついて緑色になったその見た目だけは、一生変わることはありませんでした。



「この話は、ブラジルの人たちならば、誰でも知っている、ポピーと夫婦の話、という話なんだよ。」
「そうなんだ、かわいそうだね、でも幸せなんだろうね。」
「ポピーが鰐と暮らしているときはどんな暮らしだったのだろうね?」
「鰐は優しくしてくれたのかな?」
「きっと優しくしてくれたのだろうね。鰐もかわいそうだね」

Tシャツの森は、小さな村の森、左端の赤いものは、ポピーが死ぬまで遊び続けたという小さな毬です。


という、お手々絵本でした。

作:中村 真
  1. 2017/07/29(土) 14:43:09|
  2. おてて絵本
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僕の未知のエナジー

今年上半期を終えました。

思えばこの半年間本当に色々なことがありました。
たくさんの、忙しい日々を過ごしました。トリオの大規模なツアーもありました。
僕は、たくさんの、悲しみを抱えつつ、たくさんの、悔しさを抱えつつ、たくさんの絶望を感じつつ、それらをこなしてきました。

ある人に、真さんはすごいよ、といわれました。真さんには未知のエナジーが備わっているのだね、と。

僕自身は、今思えば、苦しまなければならない苦しみの中に存在した訳ではない。
自分から不必要な苦しみの中に飛び込んでいってた、その事は今となってはよくわかります。

でも、自分自身があの途方もない苦しみの中ででも、少しずつ、音楽を進歩させ、仕事を進めていく、その精神力は未知なるエナジーだよ、と言われました。

僕は多くの人々の助けの中で生きてきました。
大村や、新太郎さんなどは最も身近で僕を見てきて、そして有形無形に限らず助けてくれました。
何よりも音楽で僕を支え続けてくれました。
プライベートな中でも本当にたくさんの人の助けを得て、人に迷惑をかけ続け、それで漸く立っていられる、いや立たせてもらっているだけの僕、に、何の精神力もあるものか、と僕は反論した。

今年は方位的にいえば僕は八法塞がりの年になります。方位除けはお願いしていって来てもらいお札はもらってきたものの、僕はやはり閉塞感を感じていた。
でもそんな中、インドに行き、ツアーを続け、沖縄にも行き、助川のレコーディングも企画し、そしてラプソディーに対して、自分が納得いくまで向き合い、自分の中の一つの殻を破ることが出来たと思う。その事は、僕が陥っていた八方塞がりを自ら打破したことになりはしないか?そう僕は感じています。どんなにどん底でも、どんなに人の助けを借りたとしても、僕は前に進んだ。前に進むことが出来た。その事を、その人は未知なるエナジーといったのだと思う。

この上半期を終え、僕は新たなる自分への旅に旅立つことになりそうです。
現実に、8月はニューヨークに演奏を兼ねて行ってきます。
何か新しい事が起こるに違いない。そして、9月にミュージックキャンプ。10月もまたトリオのツアーです。そして、11月には今回ニューヨークに行く目的の一つでもある山中一毅君と、僕のトリオとのツアーもあります。
僕にとって色々な大きな仕事がたくさんあります。
僕はそれらに全力で向かう事により、新たに自分を深化させていくのだろう。

未来に存在する、善悪美醜の事柄は、僕を喜びに顫わせ、そして苦痛のどん底にたたき落とし、そして、それでも又僕を前へ推し進めるのだろう。
それが僕の未知なるエナジーなのだろう。
その宿命は受け入れなければならないだろうな。





  1. 2017/07/28(金) 14:19:14|
  2. 徒然と
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ラプソディーインブルーのコンサートを終えて。

ラプソディーインブルーの演奏が終わりました。
この仕事をただの仕事として捉えるのではなく、僕にとっての新たなる挑戦であるととらえ、取り組んできました。僕にとってはこのシンフォニーが、堺フィルであろうが、ウイーンフィルであろうが、同じ取り組みをしたと思います。そういった外的な要素は僕にとっては関係がない事です。
僕はこの作品に対して、どれだけ深化したところで即興を紡ぐことが出来るか?という事をテーマにしてきました。
表面で曲を解釈したり、適当にアレンジを施して、それに対してのアドリブソロをとる、という感覚ではなく、僕の中に、ガーシュインの、ラプソディーインブルーを、本当の意味で落とし込んで、それをお腹の中に抱え、自然に発生してくる音を紡ぐ。そうありたいと思い、この半年取り組んできました。
本番一週間前のオケとのリハの段階では、まだ僕は表層の中にいました。
ラプソディーインブルーは僕の左脳の中にいました。左脳コンピューターは、失速し、音楽を見失っていました。
一週間かけて、僕は少しずつ、蓄積したラプソディインブルーを、右脳へお引っ越しさせていきました。

前日のリハ、当日のゲネ、全ての時の僕の意識は変化していきました。
当日のゲネを終えた段階で、僕は完全に右脳的に、感覚としてラプソディーインブルーを捉えることが出来たと確信しました。

本番、カデンツが始まりました。
曲が進み、幾つめかのカデンツの時に、存在しているのは、僕と音楽だけである、との事に気付きました。満員の聴衆、オーケストラのメンバー、指揮者、存在していなかった。
存在しているのは、僕と僕の奏でる音楽だけだった。
深く、深く、自分の意識の中にダイビングしていった。そして、そこには、静かな、静かな自分の意識との対話しか存在しなかった。
いや、実はその事に気付いていなかった。
カデンツが終わりに近づくにつれ、深い意識のそこから浮上し来る、すると少しずつ、オーケストラが、井村君が、聴衆が意識されてきて、海面に浮かびあがる。井村が棒を振り、オーケストラが起動する。その時初めて、僕は、本当の意味での、深い意識の底に潜り、そこで自己との対話をしていたことに気付いた。
何も考えていない。音楽に対してのこざかしい気持ちも、ちょっとした虚栄心や、恐怖も、一切の音楽的でない、意識がそぎ取られた、深海へ潜っていたことに気付いた。音楽と、それに向き合う自分しか存在しない空間にいた。

オーケストラや曲、聴衆を無視していて、利己的に演奏していた、そんな風にとらえられる発言かもしれない。そうではない。そんな次元ではない、本当の意味で、自分を見れた。新しい自分の意識を開拓した。

作り出された音楽が、他人から見てどう見えたか、どう感じたか、どう評価されたか、その事も僕にとっては気にならないわけではない。だけど、この演奏に関して、僕は、誰が何と言おうと、自分が到達した境地の値打ちを自分で感じ取る。
演奏が酷評されたとしても、それは僕には関係がない事です。
自分が真剣に向き合ったこと、それに対しての、したたかな手ごたえを感じ取ることが出来た。
とてつもない財産を手にしたと思います。
音楽の完成度ではなく、僕は100%の満足を感じています。

僕は、真剣に音楽に向き合ってきて、本当によかったと思います。

こうやって自分に向き合える機会を与えてくれた、同級生の井村君、そしてそれを是としてくれた堺フィルの皆様、そして来てくれたたくさんのお客様たちに、感謝の気持ちでいっぱいです。

本当にありがとうございました。


  1. 2017/07/24(月) 20:57:22|
  2. 徒然と
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物事に対するチャレンジ

ガーシュインのラプソディーインブルーのオファーが来たときに、とてもうれしいと思った反面、大変だろうなと思った。
全てのカデンツを即興でやること、軽くアレンジを施す、という程度ならだれでもやっていることだろうが、全カデンツを完全即興で、ソロでやるのは、世界でもそう沢山の人がやっていることではないだろう。
頂いた仕事を、仕事としてこなすだけであれば、何てことないこと。
だが僕にとってこの、ラプソディーインブルーに取り組むという作業は、また新たな自分の越えなければならない、与えられたオーバーハングとして捉えてた。


思えば僕は人生の選択肢において、必ずリスクのある方向を選んできたような気がする。
ほとんど誰もやったことのない冒険を選んで生きてきたような気がする。
自転車でのツアーなどやる前は誰もが馬鹿なのではないか?そう思っただろう。
新太郎さんとのほぼ成功率3割のトリオを、お客さんにほぼ見はなされながら、店にももうちょっとわかりやすい音楽をやってください、と言われながらも、ずっとひたすら即興にこだわり続けてきたトリオも今ではそれなりのポピュラリティーすらあるだろう。
ソロも、ひたすらリスクのあるやり方を続けてきた。スタンダードをひたすら即興的に取り組んだ時期もある。完全即興でのコンサートを続けてきた。それも都内ならばわかるが、地方都市での完全即興はリスキーだった。本当の意味で自分を解放できていなければ、絶対に伝わらない。
それらを乗り越えた後は、スタンダードをただシンプルに歌い上げる、という、その時の僕にとって最も難しいやり方でのソロにチャレンジしてみた。

音楽というワールドを冒険すること。それは相対的な意味合いにおける冒険ではなく、僕自身にとっての冒険。
他人から見たら、冒険に見えないかもしれない。無謀に見えるかもしれない。愚かに見えるかもしれない。
だけど、僕にとってはそれらは冒険なのだ。

冒険の目的は結果ではない。それに向き合ったか否か、本気で取り組んだかどうか、が全てだ。


例えばだけど、カデンツの途中、この調に転調してしまったら、もう戻ってこれなくなるかもしれない、でも行ってみたい、と思う瞬間、僕は本番でも迷わずその調に転調するだろう。結果破綻した音楽になったとしても、僕はその選択を選ぶ。
無論僕は、プロのピアニストだ。僕の選択はただの無茶な選択ではない。
僕の選択する、チャレンジ、なのだ。僕の選択による破綻すらアートたりえるという矜持の元、チャレンジするのだ。

誰にとっても、アーティスト以外にとっても、日常の生活の中にもチャレンジの機会はある。ただ、その事に気付いていない。
チャレンジは作れる。
その事に気づくことが、気付けることが、もしかしたら感受性なのかもしれない。

とにかく、新しいチャレンジの機会を楽しみにしたいと思っている。
  1. 2017/07/19(水) 14:09:34|
  2. 徒然と
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チャラいバンドのツアーでの出来事

割とチャラ目のバンドのツアーに出た。歌二人とベースとドラム。
僕はたまたまそのバンドのツアーに乗ったのだけど、ベースとドラムに対して軽くリーダー的存在になっていった。。
ツアーは雰囲気見ながら、まあ楽しくやっていたのだけど、ベースとドラムは仲良しなのだけど、よくけんかをする。冗談のけんかなのだけど、それが度を越して殴り合いになったりすることが頻繁にあった。僕は、上段で制止していたのだけど、あるとき、殴られたベーシストが本気になって怒りだした。
僕は、一連のけんかは、ドラムの悪ふざけが度を越していて、ベーシストが笑ってそれに付き合っていたように感じていた。僕は仲裁に入り、いい加減にしろといった。
そして、もうドラム、お前はクビだといった。トラを探さなければならない。
衣類を買わなければならなかったので、衣類を買うレジに並んでいた。知らない人に横入りされてむっとした。
衣類を買ったら、何故かショウガ焼き定食の小さいのをサービスで出された。
感じのいいおばさんがレジ係だったので、断れなかった。
衣類を買った後、食事会だったのでどうしようかなと思っていたら、メンバーが全員食堂のテーブルに座っていた。その太ったドラマーもまだいた。ふてくされた顔をしていた。
僕は無視して、ベーシストと、ご飯どうする?少しだけ食べるか?というような話をして目覚めた。

便宜上ベースといったが、ベースではなさそう。デブのドラムは、ドラムっぽいけど、楽器は不明。
だけど、探そうとしたトラは現実にいるドラマー二人でした。普段全く一緒にやらない人。
女子二人のボーカルも、ボーカルかどうかはわからない。
でも何らかの音楽のツアーでした。
  1. 2017/07/11(火) 12:54:26|
  2. 夢日記
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東京の暑い夏

車がないと生活できない。一家に一台マイカーを。そういう社会構造を作り上げた。
道路を舗装した。世の中に車はどんどん増えてきた。道は車であふれかえった。

夏。舗装した道路は太陽の熱を蓄え、そして大気にその熱を放つ。
車のエンジンも、熱を放つ。
百葉箱で計測した気温をはるかに超えた気温。
東京の大気は、灼熱のサハラ砂漠より実は暑いかもしれない。

暑い東京。だから、冷房機は必需品。一回に一台エアコンを。社会構造はそういう風潮をもたらす。。
エアコンは室内を冷やしてはくれる。が、その排熱はやはり東京の大気に放たれる。
更に東京の大気は熱せられる。

エアコンを動かすための電気が足りない。
だから、原子力発電所をたくさん作った。

車を作り、アスファルトで舗装し、東京を熱すれば熱するほど、「誰か」は確実に儲かる。

世界一暑い東京に住んで、本当ならば使う必要のない電力を使い続け、その事にお金を使わされ続け、本当に必要な何か?が何なのか?感覚が麻痺させられたところで、働かされ続ける。
そういう社会構造を作り上げてきた。

車がもたらしたものはあるだろう。舗装した道路がもたらしたものもある。
エアコンも、原子力発電所にももたらすものはあるだろう。

また、それらなしで生活することがきわめて困難だ。
そういう社会構造なのだから。仕方がない。それらを拒否して生きていくことは、極めて困難なことだから。

だけど、こういう社会構造を作り上げてきた「何か」が確実に存在する。
その事は知っておきたい。

  1. 2017/07/04(火) 12:08:38|
  2. 徒然と
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ラプソディーインブルーの公開練習をしてみました

公開練習をしてみてよかった。
というよりも、やらなかったらやばかった。全く見えない部分が、見えた。
ガーシュインは、他のクラシックの曲と違って、楽曲の精密さが低いので、なんとなくニュアンスで出来るかな?と思わせる何かがあるのだけど、実際に本番の気分でやってみると、出来なかった。
クラシックとジャズの間に存在する曲なのだけど、やはり、譜面との距離を縮めていく作業は必要だと思った。
カデンツの部分も、つながるという意味合いにおいてはつなげることは出来たけど、自分自身の普段のジャズの即興とは程遠い、自分との距離が遠すぎるものになってしまった。
一時間ほど曲を試してみたけど、得たものは、出来ない、という結論だった。
出来ない、全く出来ないことに対して、人前でチャレンジしていること、かっこ悪いことです。中村真を尊敬するミュージシャンたちが幾人か来ている人の前で、恥ずかしい演奏をすること、嫌だったけど、むしろそういうかっこ悪い姿を恥も外聞もなくさらけ出している僕の事を、逆にかっこいいなと思うようにもなった。

来てくれた幾人かのミュージシャンに対して、感謝の意味のをこめてスタンダードを数曲弾いた。
その中で、ドルフィンダンスを演奏したのだけど、最後のEのペダルの時に思いついて、ラプソディーのテーマを引用して、そこからラプソディーの即興につないでいった。
その時に初めて、自分との距離が0に限りなく近い、ラプソディーインブルーの即興が出来た。
手ごたえを初めて感じられた瞬間だった。

もう一度公開練習をします。
一週間後の9日にやります。

聞きに来たい人は来てください。
15時開場、15時半開演です。
終わってから飲みましょう。
  1. 2017/07/04(火) 11:36:37|
  2. 徒然と
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杉本匡教との共演について

昨日、テナーサックスの杉本匡教(まさのり)君の31歳のバースデーライブでした。
杉本とデュオでライブをするのは僕の記憶が正しければ、一年半ほど前のプラスイレブンが最後だと思います。

彼と初めて共演した時の事を僕はよく覚えています。
何かのスタンダードで、二度目のテーマを一オクターブ下で吹きました。それにより僕はピアノのボイシングを変えたのですが、その事に気付きました。それはまだ彼が26ぐらいの頃かもしれません。
気付くのは勿論当たり前といえば当たり前の事なのですが、意外とその当たり前のことに気付かない人は多いです。その時に僕は杉本はとてもいいプレイヤーになるのではないかな?と思いました。

杉本をよく知る、彼の同世代のサックスプレイヤーに、杉本いいよね、と聞いたら、全然?と答えが返ってきたことがありました。その真意はわかりません。嫉妬心やライバル心が言わせた言葉かもしれませんが、杉本君のユニークなところは、ものすごい古い演奏スタイル、ビバップ以前のスタイルに立脚して、コンテンポラリーな世界観を展開しようとしているところだと思います。
もしかしたら、同世代のプレイヤーから見たら、古臭い、おじん臭いスタイルだと思われたのかもしれません。

でも僕は、コンテンポラリーなプレイヤーの形だけを真似することよりも、自分の中の歌い口を模索することのほうによほど意味があると思います。コンテンポラリーなフレージングを左脳的に研究して、それをそのまま左脳的に表現するようなプレイヤーのほうが大多数な杉本君世代のプレイヤーの中で、(無論そういう時代は、音楽を学ぶ上において必要な通過点であることも事実ですが)彼は、自らの歌い口を既に持っているように感じます。
無論まだ31歳では完成には程遠いことと思います。しかし、ある種の自分の音楽を既に持っているプレイヤーだと感じました。


中村の考えに書いた、管楽器奏者に対しての文章の中に、共演者に要求をすること、という項目があります。彼はすでに僕に色んな要求をしてきます。だから僕は彼の言う通りに演奏しているだけでした。
橋爪亮督とはまた違う僕の中の引き出しを開けていきました。

でも僕はそんなことよりも何よりも、1年半前の共演の時とは、見違えるほど演奏が進歩していたことが、何よりもうれしかった。
僕は、へたくそでもいいから、進歩しようとする人が好き。そしてそういう人に対して僕は全力を尽くして協力する。

彼に贈った言葉。20代は暗中模索の時代。30代というのはある程度の事がわかったような気になる。頂上が見える。だから、頂上に立ったかの如く錯覚する輩もたくさんいる。
無論彼がそんな下者(くだもの)であろうはずもない。

僕は、30代は、無知を知る10年であると彼に言った。
30歳である程度得た解答は、40歳の時、見事に違う事を経験した。という事は、僕が50の時にまだ知らない、今の価値が覆るようなことがあることを、知ったんだ、と話した。
それこそが、無知の知、であると、話した。

この言葉が彼の31歳の誕生日プレゼントとしてふさわしいのかはわからない。

でも僕は、杉本君の演奏に対して、非常にたくさんの期待をしている。
彼の才能を、僕は、見守っていきたいし、僕に可能な協力の全てを彼に費やしてけたらと思う。



  1. 2017/06/28(水) 17:00:48|
  2. ミュージシャン紹介
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アーティストがなすべき政治参画とはvol,2

沖縄慰霊の日。昨日は沖縄の慰霊の日でした。慰霊の日といっても沖縄以外の人にとっては何のことかわからない人も多いと思います。

沖縄戦が終結した日を沖縄では慰霊の日と定めています。

石垣島に斎藤悌子さんという素晴らしいシンガーがいます。もう80を超えたおばあちゃんで、でも本当にチャーミングでお元気な人です。
僕は、数年前の慰霊の日に石垣島で悌子さんと共演しました。
悌子さんは占領下の沖縄の米軍基地などで歌っていたシンガーです。いわば、昭和の本物の日本のジャズシンガーです。
色々な沖縄での想いや、様々な物事を見てきた人だと思う。
悌子さんは、慰霊の日だから、私はダニーボーイを歌う、といって歌いました。
本物のダニーボーイ。禎子さんの、心の中の、戦争に対する想い。それらを歌ってくれました。


それから一月後、僕は稚内にいた。その日は、北海道の輸送船団が米軍の潜水艦に沈められた日であった。テレビではその報道がなされていた。
おそらく、その悲劇を沖縄の人は知らない。そして、沖縄慰霊の日の事を、北海道の人はほとんど知らないだろう。
僕は、斎藤悌子さんの事を話し、慰霊の日の事を話し、そして、稚内の人々の前でダニーボーイを演奏した。
悌子さんの、沖縄の人の想いを、最果ての地から最果ての地へ、届けた。


僕の大好きな沖縄。何度も何度も沖縄を訪ねている。
そして、遥か昔に起こった戦争の、多くの日本人にとって、それは忘れ去られつつある戦争の事、それは、沖縄ではまだ、自宅の隣にある事柄なんだ。
泊めてもらっていた儀保家の別館、二重サッシになっている。北海道でもないのになぜか??
戦闘機の騒音の為なのだ。
みんなにとって、ブラウン管の中の出来事は、沖縄では現実の問題として、身近な問題として存在している。
基地があることのメリットを享受している人たちもたくさんいる。だけど、日本の国の中に、外国の軍隊があることに僕は、違和感を感じずにはいれない。
沖縄では、まだあの戦争の、においが残っているような気がするのだ。

僕は日本中を旅している。だから、日本中に友達がいる。日本に起こる悲劇のすべては、僕にとって友達の事なのだ。
誰だって友達の事は心配するだろう。だから、僕にとって日本で起こる悲劇のすべては、心配なことである。

そこで少しだけ空想を広げてみたらいい。
世界の全く知らないところの悲劇、それも、誰かの友達の悲劇なんだ、と。
誰かの大切な人の命が、奪われている。そう考えることが出来るなら、あらゆる事柄が、他人事でなく感じ取ることができる。

世界の人々が、全員、そう感じることができたら、この世の中から争いが消えて、公平な世の中が生まれるのではないだろうか???

誰かが率先して、そう考えることが必要なのではないだろうか???

基地の問題に対しても、ウヨクの人たちは、いろいろと好き勝手なことをいう。
見たことがあるのか?沖縄の基地を。そこで暮らす人々の話を聞いたことがあるのか??
所詮は他人事として話しているだけだろう。

世界に冠たる民度の高い、日本人。そうウヨクの人は思っている。
であれば、朝鮮や中国の人々の幸せを、願えないものなのだろうか??
本当に民度が高い人々は、他人の不幸を喜ぶだろうか??危機感をあおって争いごとを起こさせようとするだろうか??

大東亜戦争は正義の戦いであった。そうウヨクの人は思っている。
であれば、朝鮮や中国を欧米列強から解放したこと、それは、彼らの幸せを願っての事ではなかったのか??

誰かが率先して、そう考えることが必要なのではないだろうか???

誰がやるの?それは、あなたです。
あなたがやればいい。あなたは微力です。だけど、誰かがやっていかなければ。

それが僕が考える、政治参画です。







  1. 2017/06/24(土) 15:05:18|
  2. 徒然と
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沖縄に帰りたい

今回沖縄、楽しかったけど早く埼玉に帰りたいという気持ちも心の何処かにあった。理由は解らない。
埼玉に待つ人がいるわけでもない。楽しみな事があるわけでもない。でも何故か帰りたかった。

前回の沖縄滞在、自分の誕生日の旅行が最悪なものに終わったこととか、色々思い出していたのだろう。沖縄を楽しいと思う心すら、僕は失わさせられていたのかもしれない。

昨夜の晩、訪ねてきた友の全てが帰り、独りになった。
そして、ただ城間と二人で杯を交わした。
遅くまで飲んだ。

最終日の今日、最後の昼御飯をうるかそばでビールを呑みながら煮付け定食を食べてたら突然!帰りたくなくなった!



沖縄にいたい。



沖縄から帰りたくない。
そう思った。沖縄は、いつも僕にそう感じさせる。
あらゆるところを旅している僕が、唯一家に帰りたくなくなる場所。それが沖縄。
そして、沖縄の人々なのだ。

また沖縄に行こう。

  1. 2017/06/20(火) 18:57:37|
  2. 徒然と
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ありがとう。

ご心配をお掛けしました。中村真のメンタルヘルスは、寛解いたしました。

かつてあるイベンターでありライターの人に、精神不安定な人が多い中、僕はとても精神の安定した珍しいピアニストだと言われたことがあります。そんな自分は遠い夢の中の世界の人のように思います。

しかし僕は、どん底の中で人の助け無しに生きていけない程に落ち込んでたときでも、落ち込み方に品があると言われました(笑)。この人に頼っていいのはここまでです、という線引きを、どん底の中でも、無意識のうちにしていたらしい。

他人の垣根の中にギリギリ入らずにいることが出来る。そういうことがちゃんと出来るから他人に甘えることが出来るのだ。
僕は過去人格障害の人間に自分の垣根の中を荒らしまくられた事があって、それ以来、自らを傷つけてまで維持し執着しなければならない人間関係はないのだと学んでいたはずでした。

しかし世の中には僕の想像を遥かに越えた、下者(くだもの)がいるものだと改めて知りました。


改めて色々なことを学びました。僕はダメな人間なのではないか?その思いが僕をさらに落ち込ませたこともありました。
でも僕は自分自身に対しての価値を正しく評価出来る人間でした。
自分に矜持を持っている。それを思い出すことができた。
故に僕は寛解が早かったのだと思います。あとは、押さえつけてきた怒りの感情を解放できたことも大きかったと思う。あと何よりも、僕には得難い友がたくさんいることが自分を救ってくれた。

僕が45年間、正直に生きてきた、物事に正面から向かい続けて来た。だからこそ、今僕の回りには本当の友が沢山いてる。本気で助けてくれる友が沢山いてる。だから僕は寛解できた。

あとはこのまま僕自身が、安定していたあの頃の明るい人格を取り戻すだけ。時間はかかるかもしれない。でも必ずそれは出来る。

助けてくれた友への感謝の気持ち、そして、心配してくれた数多くの知人縁者、心配してくれていた全ての人に感謝の気持ちで一杯です。ありがとう。

  1. 2017/06/20(火) 15:08:33|
  2. 心の整頓
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くだもの

くだもの ~真辞苑より~

くだもの。書き方、下者、下物、等。
果物にその語源を発する。

腐った果物が地面に落下してぐちゃぐちゃにつぶれてみる影もなくなり、寄ってくるのはハエや蟻のみという状態から、ほんとうに下らない人や、物を、下者、下物と呼ぶようになった。

用法。
下者
1)あいつは本当にどうしようもない下者だ。
2)あいつがこれほどの下者だとは流石に気付かなかった。

下物
1)このエレピ本当に下物だ。

2)この腐りきった果物は本当に下物だ。

利点。

下らない、屑だ、等という言葉にはネガティブな印象が付きまとうが、下らない者を表するに、下者、という言葉を使うことにより、発信者自身の人格を損ねない。メンタルヘルスを損ねない、等がある。

  1. 2017/06/19(月) 11:59:41|
  2. 徒然と
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関空へ向けて

とてもとても眠かった。空いていた関空快速の座席をフルに使って僕は熟睡した。
ふと気がつくと、関空快速は停車していた。そして関空から大阪へ向けてまさに今出発しようとしていた。

実は何度も飛行機に乗り遅れて大変な目に遭っている。
JRの遅れのせいで関西行きのスカイマークに乗り遅れ、スカイマークの便は振り替えてもらったが、五時間待ち!僕はJRに新幹線に振り替えるように要求したが拒絶された。何故、自社の失態を、他社にケアさせるのか理解できない。本当にJRが嫌いだ。

東松戸駅で北総線を待っていた。普段必ず4番ホームに来るアクセス特急がその日に限って3番ホームに来た。恋人と共にその事に気づかず、仕方なくジェットスターのチケットを無駄にしてバニラエアに乗った。札幌行き。

関空から東京へ戻るのに、ピーチエアを使った。
駅で立ち食いそばを思わず食べた。余裕を持って出たつもりだった。だが、丁度その立ち食いそば分の時間で、間一髪間に合わなかった。
仕方なく新幹線で戻った。

これだけならばまだよい。
成田で、渡米するときに、税関でパスポートを出した。
すると、パスポートは?といわれた。
今出しているというと、期限切れだと!昔のパスポートを持ってきていた。なんたる失態!やむを得ず翌日の便をとり、渡米した。
思えば何度もどじなことをしてきた。
今回もその轍を踏むかと思ったが、間一髪目覚めて電車を飛び降りて事なきを得た。


  1. 2017/06/14(水) 15:37:13|
  2. 徒然と
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愛されること、愛すること

人は年取ると、愛されることから、愛することに変わっていくのだろう

愛し抜いて傷付き抜いた
信じ抜いてそして裏切られ続けた
僕のなかには憎しみだけが残った

それでも僕は誰かを愛することをやめないだろう

  1. 2017/06/13(火) 17:59:32|
  2. 心の整頓
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会社を作った

会社を作った。
数人の従業員のいる小さな会社。
最初は大変だったけど、作りたいもの、伝えたいものを作り続けた。
それらに好感を持ってくれる人々が現れた。大好きだと思ってもらえる。とてもうれしい。
会社の経営は少し軌道に乗り始めた。
従業員の数を増やし、会社の規模を拡大したいと思った。
そのためには作りたいもの、伝えたいものだけを作っていては無理。
作りたくないけど世の中が求めてるものを作らなければならない。
心ならずとも、そういうものを作り始めた。
会社は順調に大きくなった。
更に従業員の数を増やし、会社の規模を拡大したいと思うようになった。
100人単位、自社ビルを一棟持つようになった。
その為には、作りたいもの、伝えたいものを作っていてはダメだった。世の中が求めてるものだけを作る必要があった。
会社は順調に大きくなった。
大会社といってよい会社になった。

最初に、自分が作っていたものを好きでいてくれた人々は今は身の回りにはいない。
今自分は、使いきれないほどのたくさんのお金と、本当に必要なのかわからない贅沢なものに囲まれて生活してる。いつ乗れるかわからないフェラーリ、ダイヤの指輪、100万もするヴェルサーチのコート。
だけど、自分が本当に大好きだったものは、身の回りにない。
心から信頼しあえる、利害関係のない友は、周りから去った。
金銭など、必要なだけあればよい。
身の丈にあった会社の規模であればそれでよいのだ。慎ましやかに生活出来ればそれでよいのに。

でも、今はその事に気がついてすらない。
世間の暗黙が強制するがまま、ひたすらに会社を大きくすること、その本来副次的であるはずの事柄に、夢中になる。
我を忘れ夢中になる。
生きる目的を見失ってる。
だけどその事に気づいてすらいない。

大富豪になったら幸せになれる。

わけではない。

幸せを、感じとることすら出来ない、いや、自分が実は不幸であることにすら、気づけない人間になっていることに、気付いてない人間になった。


  1. 2017/06/11(日) 13:23:05|
  2. 徒然と
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名古屋、台風、かずおが溺れる。

名古屋のホテルに泊まっていた。かずおを伴って宿泊していた。
どうやらすごい台風が来ているそうだ。翌日には東京に戻らなければならない。大丈夫だろうか??
台風の進路などを調べてみた。うん、大丈夫そうだ。
翌日窓から外を見てみると、快晴。
台風が本州を縦断していっている。台風の後ろ姿がホテルの窓からも見て取れる。
「もっとよく見えるところに行こう!」かずおを連れて海岸へ行った。
海岸からは高速道路が走っていてよく見えない。
もっと海の近くへ行こうよ、そういってかずおは走りだした。海の中へ入ろうとしていた。
「かずお、ちょっと待て」だが慎重なかずおにしては珍しく、耳を貸そうとせず、そのまま海へ入っていった。
「危ない!!」僕はそういった。かずおが入った直後に、かずおの身長を超える大きな波が来ているのが見えたからだ。
案の定かずおは波にのまれた。僕は、かずおがそのまま自力で波から脱出できるだろうと思ったが、念のため僕は海に飛び込んだ。かずおは上がってこない。波にもまれながらも、数十秒、いや体感的にはそれぐらいだろうが、実際には数秒の時間を要して、かずおを海から引きずりあげることに成功した。
水を飲んでいるだろうか?しばらくはボーっとしていたかずおだが、揺さぶると意識を取り戻した。
僕は、かずおの頬をぶった。何度もぶった。危ないといっただろう!!
すると僕の母親が、それを止めに入った。そんなにぶたなくてもいいだろうと。
僕もぶちたくはない、だが命にかかわることに関しては、厳しくしつけなければならないだろう、というところで目覚めた。

名古屋ではない場所だった。
久しぶりに子供の夢を見た。
  1. 2017/06/07(水) 13:30:31|
  2. 夢日記
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ぶぶ漬け

僕は何一つ悪いことをしていない。何一つ悪いことをしていないのに、自分の心の中をめちゃくちゃに踏みにじられて、あらゆる負の感情、憎しみ、恨み、悔しさ、怒り、悲しみ、あらゆる負の感情が僕の心の中に留まり続け、苦しめられ続けている。

こうなった原因を作った存在の事はもはや全くどうでもいい。全く以てどうでもいい存在。
心の中に癌細胞を植え付けていった存在でしかない。
その存在に対しての負の感情すらない。どうでもいい。

だけど、心の中に滞在し続ける、その悪いお客さんに、どうやったら出ていってもらえるのだろうか??
ぶぶ漬けでもたべていかはりますか?毎日そういっているのだけど、その悪いお客さんは、いつも本当にぶぶ漬けを食べていかれる。

苦しい。逃れられないほど苦しい。

  1. 2017/06/06(火) 17:17:24|
  2. 心の整頓
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七月スケジュール

7/3(月)中野 ピグノウズ 川村健(アコーディナ)、中村真Duo
7/5(水)上尾 プラスイレブン 橋爪亮督ts、中村真
7/12(水)南与野 ジャズマル 中村真トリオ、中村新太郎b、大村亘ds
7/13(木)三鷹 UNA MAS 中村真、大村亘ds Duo
7/28(金)高崎 サンガム 中村真トリオ、中村新太郎b、大村亘ds
7/30(日)柏  ナーディス 中村真トリオ、中村新太郎b、大村亘ds

  1. 2017/06/03(土) 12:40:15|
  2. ライブの事
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言葉のごみ箱。

彼女が、僕の想いを受けるに値するほどの人間ではないことに、僕自身がようやく気付いた。


某シンガーに対して書いたブログは、彼女を暗喩して書いた。
あなたは、自省しないと、20年後にはああなるよ、と、暗喩している。
某シンガーとあなたは、まったく同じことをしているよ、と諭しているのだ。
20年後、ああいった、醜い姿をさらすことになるよ、と諭し続けた。

僕はお人よしだから、あらゆる意味合いにおいて、人に対して誠実に接する。
誠実に接するとは、自分の確信した価値観を相手に伝えること。
不誠実であるという事は、そこに目をつぶること。そして、適当に受け流すこと。
僕にはそれはできない。

今でも彼女が変わればいいなと思っている。でも変わらない。変われない。
たぶん本人は、変わりたくてもがき続けている。だから苦しんでいる。
だから助けたくなる。でも僕がそれをサジェストすることは彼女にとって苦しみであったのだろう。

猫が死ぬときに孤独に死ぬのは、死ぬ前の苦しみを、周りから与えられていると勘違いし、そこから逃れるために、一人っきりになって死ぬのだそうだ。それと似ている。
僕は彼女に苦しみを与えたことは一度もない。僕は、彼女自身が、自分自身が苦しんで乗り越えなければならないテーマを提示し続けただけだ。
僕の、恋人に対するエゴを彼女にぶつけたことなど一度もない。そういったことが彼女を苦しめていたのならばわかる。僕は、彼女が向き合わなければならない、彼女自身の問題点を、提示し続けただけ。
そこから逃げると、某シンガーになるよ、ってね。

人生は孤独だ。僕は彼女の苦しみを、助けることはできるけど、変わってあげることは出来ないのだ。

彼女自身が本当に変わろうと覚悟しないことには、絶対に変われないのだ。

いままでも幾人もの人のああいった、変わらない人に対しての関わりを持ち続けてきた。
よく考えてみると、結果として変わった人を僕はついぞ見かけなかった。
変われない人々。

僕自身は、いい方を変えると執着心が強い人間であるとは思う。人に対する執着は強い。
いい方を変えると僕は愛が深い。諦めきれない。だから、そのだめなシンガーに対しても数年間も付き合い続けることができた。
今回はそれが自分を苦しめた。だけど、そういう資質が故得てきたものも数多くあると思う。
それがいい資質なのかどうかはわからない。だけど僕はそういう人間だ。



彼女が何を思っているかは僕にはわからない。
もしかしたら、後悔しているかもしれない。自分の愚かさに。
もしかしたらせいせいしているかもしれない。僕の「本気」とサヨナラできたから。
いずれでもいいと思う。いずれにせよ同じことだと思う。
変わらないという一点においては。

後悔しているにせよ、せいせいしているにせよ、いずれにせよ根底にあるのは、自己正当化。と、言い訳。

そんな女とのかかわりを、一年間持ち続けたモチーフの一つである、彼女との音楽的なシンパシー、それすらも僕は感じれなくなってきつつある。
最後に聞いた彼女の演奏は、彼女の年齢では絶対に出すことができない、僕とのかかわりの中で生まれていった、僕の音色の香りが消えていた。
実に平凡な演奏だった。

彼女の才能を大切に思った。けれども、それは僕にほんの少し欠けている部分を彼女がほんの少し持っていただけの、錯覚だったのかもしれない。そう指摘された。

少なくとも僕が人生を賭して彼女に挑む価値はない。そう誰もが思っていたことだろう。

そう誰もが思っていたことに、僕はようやく気付いた。


あいつはこれからの自分の生き方を示すことによって、自分の価値を世に問うていくといった。何を問うのだろうか?
彼女が親しみを持っている人間ですら、彼女のもとを去っていっている。本人はその事に気付いてすらいないだろう。みんな、本当の意味で親切に、あなたの元を私は去るね、と言って去っていくわけではないのだから。

人をちゃんと愛することができないあのひとが、人を真剣に愛することに極端に憶病なあのひとが、今後どうやって生きていけるのか、そして何を得るのか、僕は見てみたい。


彼女が僕に投げ捨てていった、言葉の数々。僕は、全て覚えている。
ぼくは、彼女の言葉のごみ箱ではない。
人を、言葉のごみ箱として扱う女に価値などないのだ。







  1. 2017/05/29(月) 13:12:26|
  2. 心の整頓
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思いを伝えること

心の中で思ってることって、誰もが話してくれるわけではないんだね。

能動的にも素直な言動は人を不快にさせる。

わだかまることがあったとして、その事を伝えてくれる人ってかなり貴重なんだな。
僕は、思ってることを伝えるけど、そんな人は稀なんだね。

普通は、黙ってシャットアウトなんだね。
あなたをシャットアウトします、っていってシャットアウトしてくれる人はまだ親切なんだね。

だから、その人はシャットアウトされてることに、しばらく気づかないんだね。

気づいたときには、かなりの人からシャットアウトされてるんだ。癌細胞みたいに、回りに自分をシャットアウトしてるひとが増えて、もう取り返しがつかなくなるくらいにまで進行して、はじめて自分が愚かだったことに気付いたりするんだろうね。
かわいそうだね。でも仕方ないね。

思ってることを僕は伝えるから疎まれたことも多いけど、だからこそ得てきた信頼もたくさんある。
だからぼくを慕ってくれる人もたくさんいてる。
自分が正直に生きてきた結果得た財産なんだ。

正直に生きてると正直な答えが返ってくる。それらに虚心に耳を傾ける。
すると、色んなことが見えてくるし、色んなことが学べる。

受動的に素直でいたい。

そして、能動的には頑固でいたい。

自分の哲学や理念を一生のスパンで貫き通す覚悟を胸に蓄えて生きていきたい。


http://nakamuranokangae.blog55.fc2.com/blog-entry-77.html?sp

この文章の対句です。

  1. 2017/05/26(金) 13:46:30|
  2. 徒然と
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コンクリート

人の家の屋根で泥酔して寝てる男がいた。
業者は屋根にコンクリートを流したくて仕方がないのでその男を起こそうとしているのだが、一向に起きる気配がない。
業者は嫌がらせの意味も込めて、その男のからだの上からコンクリートを流し込み始めた。そのうち気付いて起きるだろう、との思いもあったと思う。
ところが、思いの外コンクリートが固まり始める速度が早く、みるみるうちに硬化して男はコンクリートのなかに閉じ込められた。辛うじて口と鼻の部分だけほ空いているような状態。不幸中の幸い。
男は意識を取り戻したと同時に、身動きもとれない、視界もない状態。恐らくは何が起こったのかすらわからなかったろう。
自分の身に置き換えてみたらその恐怖足るや想像に難くない。
即座にコンクリートを破壊して救出すればよいのだが、理由はわからないがそう簡単ではないらしい。
男がその状態になってから八時間が経過したところで目が覚めた。
ものすごい閉塞感と恐怖を感じて目が覚めた。
嫌な夢だった。

  1. 2017/05/21(日) 11:01:23|
  2. 夢日記
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